「それは太陽のせいだ」と、この世界における異邦人であるムルソーは言った。ならば、この状況の中で限りなく異邦人である所の僕は、果たして何のせいにすればいいのだろうか。
考えがまとまらない僕をよそに、無神経な父親の手のひらが僕を彼女の方へ、ぐいと押し出してくる。急にかかった重力につんのめるようにして二、三歩たたらを踏むと、そこはもう彼女の眼前だった。
改めて僕は彼女を見る。
ショートとセミロングの中間のような長さの髪をサイドで結んでいる。髪は少し茶色だが、別に染めているわけではなさそうで、ピンクの髪留めがその中にあって浮き出すように自己主張している。服は彼女の年代にしてはかなり堅苦しく、親がフォーマルを気取らせている姿が目に浮かぶようだ。ちぐはぐで吊り合わないそのシルエットが、彼女の持つイノセンスをさらに強調しているようにも見えた。
「あ」
彼女が小さな口を開けて漏らしたのは驚きの声だったのだろう。自分を値踏みするように、視線で自分を舐めまわす男に慣れているとは思えない。
彼女の目にあるのは、純粋な興味の光だった。世界には自分の知らないことがたくさんあって、その中に自分が夢見ているようなファンタジーが星の数ほど隠れていて、いつか自分もその夢の中に飛び込んでいけるんだ、と何の疑問も無く信じる事が出来る目だ。現実という僕らの世界が酷く乾いてぱさぱさしていることを何一つとして知らない眼差しで彼女は僕を見る。直視することが出来ず、僕は何かに怯えたように目を伏せた。
「あげる」
にゅっと、僕の視界がくまさんでいっぱいになった。僕は半ば反射でそれを掴む。手のひらの中に収まったくまさんはふかふかの毛糸で出来ていて、いつまでも撫でていたくなるような肌触りを僕に提供する。
「あらぁ、ゆあ。くまさんお兄ちゃんにあげるんだ?」
「うんっ!」
必要以上に元気な声に、僕の耳がきりきりと痛む。ついでに、僕の胸も。罪悪感など僕が感じる必然性は微塵もない。そんなことは痛いくらいにわかっているが、そんなことが問題なのではないことも分かっている。
「えへへ」
どうすることも出来ずにぬいぐるみを抱えて途方に暮れる僕を見て、自分があげたくまさんが気に入られたと勘違いした彼女が嬉しそうに、にへらと笑みを浮かべる。もうどうにでもなりやがれと、僕も少々ヤケクソ気味の笑顔を彼女にプレゼントした。
僕の目の前にいる推定130センチの彼女は、どうやら僕の許婚らしかった。
推定130cm。
日本史上最初の覇者である豊臣秀吉の息子・豊臣秀頼が徳川家康の孫娘・千姫と婚姻を結んだのは秀頼十歳、千姫六歳の時である。完全な政略結婚で、秀頼の母である淀殿などに辛くあたられ不自由な生活を送った千姫だったが、秀頼との関係はそれほど悪いものではなかったようだ。大阪夏の陣で、大阪城から落ち延びた千姫が秀頼と淀殿の助命を嘆願したことからもそれを窺い知ることが出来る。二人の間に子供を授かることこそ無かったが、秀頼と千姫はそれはそれは良い夫婦だったのではないだろうか。まる。
「よし、現実逃避終了」
「明人にいちゃん、何言ってるの?」
「いや、何も」
とりあえず、僕と、僕の許婚になったらしい女の子・ゆあは、二人でプレステをやっている。ちなみに、桃鉄だ。
「うりゃ」
「あーっ! あーっ! そこっ、ゆあが買占めようと思ってたのにー!」
「勝負は非情なのだ」
「ぶーっ」
おお、むくれてる。
むくれてると言っても、本当にほっぺを真ん丸く膨らませてる女の子なんて初めて見た。指でつっついてやろうかと思ったが、それをやってしまうと色んな意味で死にたくなるような気がしたのでやめておいた。ゆあはまだ「あーあ、清里の駅弁屋さんがぁ……」と、足をばたばたさせながらぶつぶつ文句を垂らしてる。言っちゃ悪いが、その様子は完全にクソガキそのものだ。
僕は、そんなゆあの様子を眺めながら、こんなことになった原因を考察することにした。
「おらクソ親父。どうなってんだこれは。分かるように説明しろ」
対外的には権力者で金持ちで、数えるのがアホらしくなるくらい何代も続いた大財閥の現当主な僕の父ではあるが、息子である僕に言わせりゃただのぐうたら親父だ。躊躇なく胸倉を掴んで不良よろしく脅してやる。もちろん声にドスを利かせるのも忘れない。
「クソ親父とはなんだ。それが親に対する言い草か。お父様、と。敬意と尊敬の念を持ってそう呼べたら考えてやる」
「おとうさまーっ!」
「ほらほら、ゆあはあっち行ってようねぇ」
「えーっ!?」
「…………」
「…………」
僕と親父の間にしばしの沈黙が流れる。僕は親父の額に冷や汗が一筋流れていったのを見逃さなかった。ゆあの保護者(母親だろうか?)がゆあを連れて部屋を出ると、僕と親父はどちらからともなく「こ、こほん」と咳払いをした。
「と、まぁ……そういうことなのだ息子よ」
「何もわかんねぇよ」
「察しろ。行間を読め」
「どこに行があるんだ」
「明人さま。私から説明いたしますので」
「ふ、古川さん」
このままじゃ埒が明かないと察したのか、僕が生まれる前から僕の家の使用人として勤めている古川さんが僕と親父の間に割って入った。なんでも親父がこの家の跡を継ぐ前から勤めているようで、親父も古川さんには頭が上がらないらしい。ちなみに、僕も上がらない。
パニック気味の僕と親父とは対照的に、古川さんは実に落ち着いた口調でもって、かいつまんだ事情を説明してくれた。
要するによくありそうな話だ。古くからあるしきたりで、僕の家とゆあの家の中で最も年齢の近い未婚者同士で婚姻を結び、両家の更なる発展を祈願する亜種の人身御供。そんな風にして生まれた分家はある程度の数存在し、そのどれもが成功を収めているらしい。
「ちょっと待って古川さん」
「なんでしょう明人さま」
「両家内で最も年齢の近い未婚者同士って言ったよな」
「申し上げました」
「――近い?」
僕は自分とゆあのいるであろう応接間を交互に指差して古川さんに詰め寄る。正確に自己紹介をし合ったわけではないのでなんとも言えないが、あの子はおそらく七、八歳の現役小学校低学年だ。ちなみに僕は来年高校を卒業見込みの現役高校二年生。年齢の差、およそ十。
「あら明人さま。年齢の差なんて、年を重ねていけばどうってことないものですよ。お気になさることはありませんわ」
「気にするわ!」
「別に今すぐ契りを結んでいただこうとか、そんなお話でもありませんし」
「ぺ○フィリアっ!?」
僕は放送禁止用語を口走りながら悶絶した。
「明人さま、お口をお拭きになって。泡が吹き零れてますわ」
「そりゃ吹き零れもするわ!」
僕は口泡を吹き飛ばしてシャボン玉にする勢いで立ち上がった。
「そんな趣味は僕にはないし! そもそも勃ちもせんわ!」
「勃ったら勃ったでまた問題だけどな」
「あんたは黙ってろ」
「ぐすん」
親父が部屋の隅で体操座りしていじける。たまにこういうガキくさい仕草をする親父なのだ。よく言えば親しみやすい。悪く言えば年甲斐がない。
「まぁまぁ。明人さまがお勃ちになるかどうかは別の話と致しまして、実際あなたのご両親もそうやってご結婚なされているのですよ」
「そうなん?」
「うむ」
そう言って(復活早いな)親父は大仰に頷き、遠い目をした。
「私の時は、そうだな、私が十五、彼女――お前の母親はなんと二十六だった」
「そんなに離れてたのか」
自分の年齢を聞かれてもけして言わない、年齢不詳な所のある僕の母親だ。何と言っても実の息子である僕をしても、母の年齢を知らないのだ。しかし、まさか親父の十個上とは。
「びっくりだ」
「そうだろう。かくいう私も初めて会った時はマジかよ信じらんねと思ったものだ」
「あなた、ちょっといいかしら」
などと言っていたら、突如現れた僕の母親に親父は引きずられていった。掴まれた首根っこがみしみしと嫌な音を立てていたが、まぁ親父なら大丈夫だろう。
「お父様はお強いお方ですから、奥様の苛烈極まる折檻にも充分お耐えになられると思いますわ」
他人事のように言う古川さん。母さんの怒りの矛先が僕に向けられることがないように祈るばかりだ。
「話を元に戻しましょう。明人さまとゆあさまのことでございます」
さあ仕切り直しだと言わんばかりに、口調を改め気合を入れ直す古川さん。はい、と姿勢を改めてしまうあたり、僕も古川さんに逆らえない人間の一人のようだ。
などと考えている僕の目の前で、ずびしっと、人差し指が立てられる。
「一ヶ月――明人さまとゆあさまには、同室で一ヶ月間暮らしていただきます」
「――はぁ?」
内容がうまく飲み込めない僕をよそに、古川さんは説明を続ける。
「古くから伝わる由緒正しきしきたりと申しましても、そこまで杓子定規なものではございません。当人達の気持ちを無視して無理やり婚姻を結ばせるようなことはしませんし、何より双方共に婚姻出来る年齢にならなければ結婚自体出来ませんしね。何より大事なのは、当人達の気持ちです」
「ちょ、だからって一ヶ月も同じ部屋で暮らせなんて納得いくわけが――」
「ですから」
こちらの反論を遮るように、比較的大きな声を出す古川さん。
「その期間にお相手のことが気に入ればそれでよし。そうでなければ、この話は全て無かったことに出来る――要するに『お試し期間』のようなものなんですよ」
『き――――――んぐぼんび――――――っ!!』
画面の中では、さっきまでCPUキャラに憑いていた貧乏神がキングボンビーに変身しているところだった。ぼんびらす星からやってきたらしい奴の登場を、ゆあはぽけらったと口をあんぐり開けて見ていた。
一ヶ月。
彼女と過ごす一ヶ月間は果たして長いのか、短いのか。今の時点では、まだ何とも言えない。そもそもゆあ自身ここで、さっきまで他人同士だった男と暮らすことをどう思っているのか、見当もつかない。人見知りする様子もないし、何というか馴染んではいるようだが。もしかしたらゆあはこの話について何も知らないのかもしれない。ただ一ヶ月間だけここで生活するんだよ、と言われてただついて来ただけで、許婚だとか、婚姻だとか、そんなことは全く知らされていないのかも。よくよく考えてみればその方が自然だ。
第一、この話自体がどこか儀礼めいたものを感じる。古くから続いてしまっている僕の家とゆあの家の間にある風変わりだがあくまで形式的な風習。そう思ってもいいのかもしれない。正直言って家の発展だとか成功だとか、僕にはあまり興味がない。だからこの話も僕にとっては何の意味を持つものでもない。一ヶ月間という期間限定の、年の離れた妹が出来たと思えば何の問題も無いじゃないか。うん。
いつの間にか僕のベッドの隣に配置された小さめのベッドをちらりと見やる。さっき見た時はそのベッドに対してどこか威圧感のようなものを感じたのだが、今改めて見直してみると可愛らしいベッドだと思えるから不思議だ。
「明人にいちゃん、ゆあのベッドがどうかしたの?」
「いや、別に何も。可愛いベッドだと思うよ」
「へへー! そうでしょー! あれ、ゆあのお気に入りなの!」
そう言ってゆあはきゃあきゃあと楽しそうに笑った。
当人達の気持ち次第だと古川さんは言った。しかし、それが本当だとするなら、今回に限っては当人達と言うよりはむしろ僕の気持ち次第だと言うべきだ。無論、僕はこんなに幼い女の子相手に恋愛感情など抱けるはずもないし、彼女に至っては恋などまだまだ早すぎる。もしも彼女が僕に好意を抱いたとしても、幼い頃の恋愛は麻疹のようなものだとよく言うし。
そんなことをつらつらと考えながらゲームを続け、気付いたら時計の針は10時を回ろうとしていた。彼女を見ると、いかにもねむたそうにこっくりこっくりと首が船漕ぎをしている。僕はそんな彼女の幼い仕草に苦笑した。
「ゆあちゃん。そろそろ寝る準備しようか」
「……うん」
のっそりと立ち上がり、僕が居ることなどお構いなしに服を着替えようとするゆあ。僕は慌てて部屋の外に出る。暖房の効いた室内と違って、廊下はひんやりと冷え切っていた。スリッパも履き忘れた僕は、廊下の冷たさをもろに素足で感じる羽目になった。
一ヶ月間、こんな生活が続いていくのかと思うと溜め息をつきたくなる。しかし、逆に言えば一ヶ月過ぎてしまえば、また晴れて自由の身だ。そう思えば、まだ何とかやっていけそうな気がしてくる。
「第一、僕には――」
好きな人がいるんだ。
声にならない言葉は廊下の冷たい空気の中で淀んでいる。
/
「はぁ、今日は歌ったねぇ」
雅恵の言葉は脇にいる僕や康高に向けられたものではあるが、別にどちらか一方に比重がかかっているわけでもなく、割合は単純に50:50だと僕は思う。
「でも、雅恵は物足りなかったんじゃないか? 人数多かったからあんまりマイクが回ってこなかっただろ」
「別にいいんだよ。私は雰囲気を楽しむ方だからさ。いいんだよ、私が歌ってても他の人が歌ってても」
雅恵が喋って僕が突っ込み、脇で康高が笑う。そんなトライアングルは高校入学当初から一年半経った今も相変わらずチームワークばっちりだ。
今日は文化祭の打ち上げで、クラスの連中とカラオケに行った。皆思い思いに歌って騒ぎ、飲んで騒ぎ、食べては遊んだ。二次会と称してまた夜の街に繰り出す連中、帰る連中と別れたが、自然と僕ら三人は一緒になって帰り道を歩いている。誰が示し合わせたわけでもないのに合ってしまうのは、僕ら三人の呼吸が合っているからだと思う。
「他の皆だけどさ、今の時間からよく遊ぼうと思えるよね。明日学校あること分かってるのかな?」
「遊びたい年頃なんだよ」
康高が分かったような分からないようなことを言う。
「雅恵はまだ遊びたかったんじゃないのか? なんかまだエネルギーたっぷりって顔してるし」
「そういう明人はなんか軽く疲れた顔してるわね。どしたの? 悪いものでも食べた?」
雅恵の言葉から思わずゆあのことを連想してしまい、僕は少し咳き込んだ。
「雅恵ちゃん。僕らも同じ物食べたじゃない」
「そういえばそうね」
と、雅恵は不意に思い切り伸びをする。彼女の綺麗に伸ばした黒のストレートが風に揺れる。しゃらしゃらと音がするような気がする。そんな彼女の仕草など何も見てないふりを装って、僕は康高に話しかける。
「康高は明日もまた朝練か?」
「そうだね。大会も近いし」
「えっ、今度はいつ大会があるの? 応援行くよっ」
脇から雅恵が食いついてきた。康高は陸上部に所属していて、長距離ランナー。近隣の高校の中ではかなり速い方らしく、この辺りで開かれる大会ではしょっちゅう表彰状をかっさらってきている。僕と雅恵は、康高の勇姿を拝むため、ほぼ毎回康高の大会に顔を出している。まぁ、必死で康高を応援する雅恵を見ると、胸のあたりが少し痛むのだが、そのくらいはしょうがないことなんだろう。康高が頑張っているのは知っているし、僕も頑張っている友達を応援する事には吝かではない。
「そうだね、次は一ヶ月後くらいかな。次は結構大きな大会だから、勝てないかもしれないけど全力は尽くすよ」
そう言って康高は笑う。男でも嫉妬しそうな笑みだった。
しばらく歩いて、やがて分かれ道にさしかかる。僕は右で、康高と雅恵は左だ。
「じゃあまた明日学校で」
「遅刻しないようにね」
「ああ。またな」
手をひらひらと振って別れる。二人が歩いて行って、僕の所から彼らの顔が見えなくなったところで僕は軽く溜め息をついた。
どうして溜め息をつかなければならないのか。その理由は僕にもよく分からない。無意識から漏れ出したそれは、僕の本能からの警句だったのかもしれない。無意識はいつだって、自覚できない微細な変化を感じ取るものなのだろうから。意識の舞台に乗せられなかった感覚は、結果として溜め息として還元され外界に放出される。それを、掴まえられなかったのは僕にとって良かったことなのだろうか、それとも――
「はぁ」
逃げている自分を自覚する。
ぬるま湯に浸かったかのような今を壊す勇気が無くて、自分の中の気持ちから目を逸らして、何とか雅恵と康高のいる毎日をやり過している。時折感じる胸の痛みが本物の痛みになってしまわないようにと、本当の気持ちと向き合えない弱い自分を許している。自分の弱さを逃げ出す口実にして、また何にも感じていないふりをしてしまう。
ずっとこのままじゃ、いられない。そう理解はしていても、いざと言う時には心の中で都合よく赤信号を点滅させて、暴走してしまわないよう抑えてしまうんだ。それが自分の悪癖だということも、そろそろ僕は本当の意味で気付かなければならない。
わかっているんだ。
だけど、だけど――
腕時計を確認する。ゆあはもう寝ているだろうか。物音を立てないように部屋に入らなければならないことに若干のストレスを感じながら、僕は家に向かってやや早足で歩き出した。
「遅い」
もうとっくにおねむのはずの期間限定のお姫様は、小さな頬をぷっくり膨らませて僕を睨んでいる。いつものパジャマに身を包み、まくらを抱えて体操座りをしながら僕に対して怒り心頭のゆあの様子は何だか酷く滑稽で、僕はあやうく吹き出してしまいそうになった。
「打ち上げで今日は遅くなるって言っておいただろ。寝ててもよかったのに」
「一人じゃちっとも眠くならないもん」
言ったそばから涙目を擦っていては、全く説得力のかけらもない。結局僕は堪えきれずに笑ってしまう。そんな僕を見て、ゆあは怒ったようにベッドの側にあるぬいぐるみを投げてきた。片手でキャッチしてしまう僕に、彼女はまた頬を膨らませる。
「はは、悪かった悪かった。ごめんな」
「心がこもってない」
ゆあが来てから大体一週間が経った。その間にゆあについていくつか分かったことがある。
彼女は意外と怒りっぽい。まぁ怒ると言っても可愛いものなのだが、大きくなってからこのペースで怒られては堪ったものではないと思う。怒ることの大半が構ってもらえないことへの怒りであるあたり、まだまだお子様だ。遊んでほしい盛りだろうし、それも無理はないのかなとも思うが。
もう一つ、少女マンガが大好きだ。どうしてもと言うので僕もいくつか読んでみたのだが、結構面白くてびっくりした。ゆあが持参した中では『ハチミツとクローバー』が僕の好みだが、ゆあはあまり好きじゃないらしい。『高校デビュー』が好きだと言ってたような気がする。高校にデビューする前にまずは中学校にデビューしてほしいと口走りそうになったが、なんとか堪えた。危なかった。そして、ゆあの蔵書の中に『天使禁猟区』があったのを見つけて、背中に冷や汗が伝ったのは僕の秘密だ。
「今日は何で遅くなったの?」
「おわっ」
就寝準備完了、いざベッドへ突貫せん、と思った矢先にいきなり声をかけられて少し焦った。ゆあはもう既に布団にくるまっていて、顔半分だけ外に出してこっちをじっと見ている。
「だから言っただろ。この前あった高校の文化祭の打ち上げだって」
「とか言ってー、本当は彼女さんとデートだったりして」
くふふ、と笑っている。なんだ、そっちの興味ですか。ゆあもやっぱり女の子なんだなぁ、と実感したのは少女マンガを見せられた時以来二回目だったりする。僕はお構いなしにベッドに入る。
「いや、それはない」
「なんで?」
「なんでって、彼女いないし」
雅恵の顔が浮かんで、あっという間に消えた。ゆあはそんなことお構いなしに詰め寄ってくる。ベッドとベッドの間の境界線はひどく曖昧だ。
「そっかーいないんだー」
「なんでだよ。おかしいか?」
「うん。高校生ってみんな彼女とかいるのかなーって思ってた」
「それは漫画の中でだけだ。現実なんて、こんなもんだよ」
実際僕の周りで付き合っている奴なんてほんの僅かしかいない。実は巧妙に隠しているだけなのかもしれないから、なんとも言えないが。僕だって年頃の男の子だから、そういうことに興味がないわけではない。だけど、僕には今の所「付き合う」とはどういうことなのか、いまいちよく分からない。分かっているのは、僕には好きな人がいる、ということだけだ。
僕の台詞を聞いたゆあは「ふーん」と言って少し黙った。もう寝るのかな、と僕もそろそろ眠ろうとした。しかし――
「ばぁっ!」
「うわぁっ!」
突然ゆあの顔が大アップになって、僕の心臓は派手に飛び上がった。
「ゆ、ゆあ?」
「じゃあさっ」
ベッドの間の曖昧な境界をもぐらのようにして乗り越えてきたゆあの顔が、僕の顔から10cmくらいの所にある。ゆあの瞳は素敵なことを思いついたと言わんばかりにきらきらと輝いていた。
「わたしが明人おにいちゃんの彼女になってあげるっ!」
僕はゆあの瞳に見入っていた。何をすればこんなに綺麗になれるんだろうと思うくらいの瞳の色。ゆあの瞳は髪と同じに少し色素が薄く、茶色がかっている。ゆあの瞳に惑わされそうになりながら僕は考えていた。何と答えればいいのか。幼い彼女だからこそ、こういうことにはしっかり答えてやらなければならないと思った。
「いや――やめとくよ」
「なんで? どうして? 素敵じゃない、わたしと明人おにいちゃんが恋人同士なんてさ」
「僕には他に好きな人がいるんだ」
どもらずに言えたのは雅恵の顔がしっかりと脳裏に映し出されていたからだ。僕は真っ直ぐにゆあの瞳を見つめて言った。
「僕と同じクラスの人で、別に今は付き合ってるわけじゃないけど……出来れば付き合いたいって思ってる」
ゆあの瞳はまだ僕から10cmくらいの位置にある。勝ち負けの問題ではないが、目を逸らしたら負けだと思った。
「その人は、ゆあよりもきれい?」
その瞬間ゆあの瞳に宿ったのは、まだ小学生ということが信じられないくらいに大人びた光だった。僕はゆあのことを少し侮っていたのかもしれない。彼女は幼い。幼いが、幼いという前に、女の子なんだ。僕はそのことを痛いくらいに思い知った。だからこそ誤魔化せないと思った。
「――うん」
「そっか。じゃあ……しょうがないね」
そう言うと、ゆあはまたもぐらのようにして自分のベッドへ戻っていった。
「告白とか、しないの?」
「考えたことない」
「しなよ。きっと上手くいくよ。明人にいちゃんカッコいいもん」
ね、とゆあは笑った。
「そうかな」
「そうだよ」
「自信ないなぁ」
「明人にいちゃんのヘタレ虫ー」
「なんだとこらっ」
「きゃー」
ばふっと掛け布団にくるまって隠れてしまうゆあ。やがてくるまった布団の中から緩やかな寝息が聞こえてきて、僕は虚空に溜め息をついた。
『告白とか、しないの?』
改めて思い返しても、ゆあには実に痛い所を突かれたものだ。
雅恵に告白することを、考えたことが無いとは言わない。いや、むしろ最近になって彼女の側にいるとそのことしか考えられなくなっている自分に気付くことがある。だけど、そんな時僕の脳裏をよぎるのは決まって康高の顔だ。僕の見立てが間違っていないのなら、康高も雅恵のことが好きだ。康高に対して感じているのは同じ人を好きになった者への遠慮ではないし、雅恵に対して感じているのは友達としての配慮でもない。僕が踏み出せない原因は、もっと別の所にある。
『しなよ。きっと上手くいくよ。明人にいちゃん、カッコいいもん』
そう言って笑ったゆあの顔。
きっと僕の心のどこかには大きな隙間が空いている。その隙間は自分を押し殺す度に肥大し、自分を欺く度に宿主である僕を蝕んでいく。そんな空想をしていたことがある。きっと誰しもに存在するその隙間は、きっとゆあの心にも存在する。今はまだ小さいから、それを自覚できないだけだ。自覚すれば、最早それまで。広がっていく隙間を埋めることなど、僕らには出来やしない。
全ては、誤魔化しだ。
誰もが、空いてしまった隙間と上手く折り合いをつけながら、誤魔化しながら日々をやり過している。
だけど、全てが誤魔化しだとしたら、ゆあは一体何なのだ?
あの瞳に嘘など一つだって無い。
それは、かつては誰だって、そして僕だって持っていたはずの瞳だ。
今の僕が持てない物だなんて、一体誰が決めた?
「う……ぅん……」
ゆあの寝息は妙に艶かしく、生きていることを感じさせた。
ごろんと転がりもう見慣れた天井を見上げる。
今日雅恵と康高と別れた時の溜め息と、ほんの少しの胸の痛みが不意に蘇る。憂鬱になりかけた気持ちを振り払うように首を二、三度振り、僕は本格的に眠ることにした。
/
言い訳をさせてほしい。その日の僕には、雅恵の横顔以外はきっと目に入らなかったのだと思う。
今日は前に康高が話していた大会の日で、僕と雅恵は連れ立ってその応援に来ていた。
ここ二、三週間の間、康高は僕から見ても鬼気迫る勢いで練習していた。普段ならば週に一、二回くらいは三人で遊びに行ったりしていたものなのに、今回はどうも様子が違う。「勝てないかもしれないけど」などと言って弱気に笑ういつもの康高じゃないみたいだ。僕も雅恵もそれを感じ取っていたので、必要以上に康高の集中を乱すようなことはしなかった。どこか複雑な面持ちで康高を見守る雅恵を、僕は痛む胸を押さえながら眺めていた。
僕は位置についている康高をちらと横目で確認する。康高も伏し目がちにこちらを伺っている。
どくん、と心臓がか細く鳴いた。
『位置について』
アナウンスが聞こえたと思ったらすぐに、耳をつんざくスタートの合図が鳴る。雪崩のようにトラックを回転し出すランナー達。康高はその控えめな性格通りに集団の中に紛れていて、ここからだと姿を確認するのが難しい。
係員が持っているプラカードの数字が一つずつ減っていってくれなかったら、彼らが何週回ったかなど、とても覚えていられない。そのくらい彼らは数多くのラップを刻んでいた。
雅恵は何も喋らない。いつもならうるさいくらいに話すくせに、今日に限って必死な顔して康高が刻むラップを目で追っている。彼女の膝の上で握り拳が僅かに震えている。
段々と先頭集団の中から脱落する者が増え、やがてその中から小柄な康高の姿がようやく確認出来るようになる。呼吸は乱れてはいないようで、必死な形相で走る他の連中とは一線を画しているのが、僕のような素人の目でも理解できた。周回は止まらず進み、カウントダウンのように康高達を、そして僕を急かしている。
隣で握られた拳が、びくんと震えた瞬間だった。
康高は迷いの無い瞳で団子の先頭集団から抜け出した。虚を突かれたかのように、他の選手達は康高のスパートに追随出来ないでいる。まるでターボでも積んでいるかのように加速する康高は、やがて独走状態に入る。誰も康高に追いつけない。居残る周回遅れを軽やかにパスして、康高はトップのままゴールテープを切った。
康高は、勝った。
僕は知らない内に拳を握り締め、立ち上がっていた。ゴールを切るまでは全くの余裕に見えた康高はゴールした途端糸が切れてしまったかのように崩れ落ちそうになるが、すんでのところで持ち堪え、こちらに向かって手を振っている。康高の顔に浮かんでいるのは、普段の彼と何ら変わらない気弱な笑顔だった。
それを見た瞬間に思った。
辛くないわけなんかないんだ。皆それぞれが他人に自分の中の辛さや弱い部分を隠している。康高はそんな自分の弱さをレース中にけして見せない。きっと康高は、外に出す事で弱さが弱さとして具現化してしまうことを本能的に知っている。
僕も、そうなれたら。
強くなれたら――
「……ん?」
いつの間にか隣にあった気配が消えている。トイレにでも行ったのだろうかと思ってその場で動かず待ってみたが、一向に戻ってくる気配がない。やがて三十分が過ぎ、心配になった僕は、雅恵を探すため会場内をうろついてみることにした。
トラック競技が終わり、会場内にはようやく弛緩した空気が戻りつつあった。残りの競技も最後の試技を待つばかりという状況。太陽も傾き始めたところで、いい頃合なのだろう。徐々に競技の片づけをする係員の姿も目立ち始めている。
しかし、雅恵は一体どこにいるんだろう。先に帰ったかなと思うが、思い直す。彼女はそんな人間じゃない。
もしかしたら、康高と一緒にいるのかもしれない。そう思ったら胸がどくんとざわついた。早く、早く見つけなければ。僕は焦りに任せて雅恵の携帯を鳴らしてやることにする。
メモリの一番上に入っている彼女の番号を選択し、通話ボタンを押す。
すると、聞き慣れた彼女の着信メロディがどこかからかすかに聞こえた。
僕は咄嗟に通話を切り、辺りを見回す。
見つけた。
僕はそこからのことをよく覚えてない。自分自身でも驚くほどの瞬発力を発揮して、その場から脱兎の如く逃げ出したのは、かろうじて覚えている。どこをどう通ったのか、どの交通機関を使ったのか、手に持っていた競技会のパンフはどこへやったのか、なぜ自分がこんなに疲労しているのか、そういったことは綺麗さっぱり記憶から抜け落ちている。気付いたら僕は家の前にいて、時間は真夜中になっていて、僕の服はなぜかぼろぼろだった。
一つだけ記憶に残っているのは、康高とキスをしていた雅恵の閉じられた瞳。
/
「明人さまっ! どうなさったのですかっ!?」
尋常じゃない僕の様子を見て、古川さんが駆け寄ってくる。
「すぐに着替えを用意いたしますので、そこでお待ちください」
「いや、いいよ」
もうこれでいい。
「食事も風呂も着替えも、何もいらないから、今日は一人にしておいてくれないか」
「ですが……」
じっと古川さんに見つめられる。その視線は目の中を検査する眼科の医師のように鋭く、僕は視線で犯されたような気になって、すっと目を伏せた。古川さんはそんな僕の様子を見て「ふぅ」と溜め息をついた。
「わかりました。今日は、明人さまのお好きなようになさってください」
「……ごめん」
理由を聞かないでいてくれるのが古川さんの最大の美徳だと思う。僕はするりと古川さんの脇を抜けて自分の部屋に向かおうとする。
「……一つだけお小言をお聞き願えますか」
背後から、古川さんにしては酷くドスの利いた声がして僕はぴたりと立ち止まり、無言で振り返る。
「今日は何の日だったか、明人さまのことですから、きっとお覚えになっていらっしゃると思っていますので、そのつもりでお話します」
今日が何の日か、だって?
僕の中に思い当たる節が無く、条件反射で首を傾げそうになるが、それは流石にこの状況ではまずい。
「なぜ今日は家に居てくださらなかったのですか?」
今まで聞いたことがないほどに冷たい声。反論しようにも、古川さんの冷たい視線に晒された僕は途端に反論の材料を失ってしまう。
古川さんは僕の様子を三十秒ほど観察した後「差し出がましいことを致しました。申し訳ございません」と、一礼して下がっていった。僕はまだその場から動けずにいた。廊下を曲がっていこうとした古川さんは、僕の視界から消え失せる前に、もう一度だけ立ち止まった。
「部屋……片付けておきましたので」
そう言って古川さんは僕の視界から消えた。
部屋?
片付け?
今日は一体何の日だ?
疑問が頭の中でいくつも浮かんでは消えていく中、一つの台詞が僕の頭に浮かんだ。
『一ヶ月――明人さまとゆあさまには、同室で一ヶ月間暮らしていただきます』
「あっ――」
僕は彼女のことを思い出した。思い出すと同時に僕は一目散に廊下を駆け出した。
そうだ。
あの日から数えて、今日でちょうど一ヶ月。
今日は、ゆあがこの家にいる最後の日だった。
/
そして、目の前には前より少し広くなった自分の部屋がある。一ヶ月間僕のベッドの隣を占拠していた可愛らしいベッドは既に無く、カーペットに残った足の跡が悲しくその存在を晒している。
「そうか、行っちゃったのか」
実を言うと、この生活に限りがあったことなど、僕はすっかり忘れていた。ゆあが、あまりにも当たり前に僕の生活に入り込んできたものだから、お互いに錯覚してしまっていたのかもしれない。いつまでも続くものなんてないことは、分かりきっているはずなのに。
部屋は驚くほど綺麗に片付けられていた。一ヶ月間ゆあが使っていた机も、教科書も。ゆあが寝る時に抱いていたぬいぐるみ達も、ゆあが持って来たテレビゲームの類も全て。本当にこの部屋で彼女が暮らしていたのかさえ怪しく思えてくる。
机に置いてある写真立ての中の写真が不意に目に入った。それは一年前くらいの体育祭で雅恵と康高と僕の三人で撮った写真。僕はいたたまれなくなり、そっとそれを伏せた。
机に身体を横たえて窓から見える月の光を感じる。雅恵のことや、康高のこと、そしてゆあのことが僕の頭の中をかき回し、やがてそれはミックスジュースのように原型のわからない彩りを見せる。月の光を浴びても、僕の中で化学変化などは起こらない。ミックスジュースは味を変えない。
「ゆあ……」
何気なく名前を口にする。
もしかして――僕は、寂しいのか?
始めは嫌だった。
僕は自分の生活に他人が介入することを酷く嫌っている。こんな風に一緒の部屋に寝泊りするなんて、吐き気がするくらい嫌だったのに。ましてワガママ盛りの子供のお守りなんて――けれど今は、ゆあがいなくなってがらんとしてしまった空きスペースを疎ましく思う自分がいる。
ゆあは、僕が子供に対して抱いていたイメージとは、どこか異なっていた。ワガママで、ガキっぽくって、うるさくて、それでも構って欲しくて――そういった子供の鬱陶しい部分をゆあが持っていなかったわけではない。
子供である前に一人の人間だ、ということ。
そんなゆあの「強さ」みたいなものを、僕は薄々と感じ取っていたのかもしれない。今日のことにしたって、ゆあは僕に対して何も言わなかった。「デートでしょ? 頑張ってね!」なんて言って。普段と何も変わらない笑顔で僕を見送っていた。
見守る側であるはずの僕が、逆にゆあに見守られていたような、そんな一ヶ月だった。そして、僕はそんなちぐはぐさが嫌いではなかった。
どこでもないところに手を伸ばす。何も掴めないはずのその手は、何かふさふさしたものに触れた。僕の手は馴染みのないそれを掴んで目の前に持って来る。
「くま……じゃないか」
ゆあはそいつのことを好んで「くまさん、くまさん」と呼んで可愛がっていた。出会った初日に僕がもらったそのぬいぐるみ。
「本当に置いてったのか」
溜め息が出る。あんなに好きだったのに、僕なんかのために手放したのか。失望に近い気持ちを覚えた。くまを衝動的に強く握ると、くしゃり、とぬいぐるみとはどこか違った感触を手の平に感じた。
気になって、くまを月明かりで照らしてみる。くまは、右手で何か紙のようなものを握り締めていた。僕は、それを広げる。
それには短い言葉が記されていた。
『机の右下の引き出しを見てね』
右の引き出し?
反射的に引き出しを開ける。
「これは……」
漫画、だった。
しかも、結構な数だ。それほど大きくもない引き出しの中に所狭しとゆあが持って来た漫画が詰め込まれている。全て少女漫画。漫画の上には、先ほどくまが握っていたものと同じ紙が添えられていた。僕はゆっくりとそれを見る。
『にぶい明人にいちゃんはもっと女心を勉強しなきゃだめ。だから、これを読んで次にゆあと会う時までにはしっかり勉強しておいてね。 byゆあ』
「はは……はははっ」
思わず笑みが零れる。
笑いの衝動は次第に全身を包んでいき、気付けば屋敷中に伝わるような大声で笑っていた。「鈍い」だなんて、年下の、しかもまだ十代にも達していないような女の子に言われるなんて。可笑しくてしょうがなかった。
「そうだな。確かに僕は……鈍かったのかもな」
女の子に対して、男友達に対して、そして身の回りの全てに対して。
ひとしきり笑った後、ベッドに身体を投げ出した。
そして目を閉じる。
このまま眠ってしまっても構わないような心地よい疲労感が僕を包んでいた。ついさっきまで、どうしようもなく暗い闇に囚われていたような気持ちでいた自分が恥ずかしくなる。
雅恵のことを好きだった。どうしようもなく好きだった。
でも僕は、そんな過去の自分を呪う事しか思いつかなかった。全て無かったことにしてしまいたいと、無意識の底から願っていた。
だけど――違うよな。好きになるってことは、きっとそういうことじゃない。
僕は何も知らない。愛だとか、恋だとか、大切だとか、そうじゃないとか。まるで生まれたての赤ん坊のように、僕は何一つ知っちゃいないんだ。知らないことは、知っていけばいい。ゆあの言葉を借りるなら、勉強していけばいい。身長が130cmくらいしかない彼女の言葉に教えられて、何が悪いんだ。
さっき伏せた写真立てを、もう一度ちゃんと立て直した。月明かりが照らす、机の上で一番のステージにそれを置いた。先ほどより、少しはマシな気分になれた。
『P.S. もしふられちゃったら、ゆあがなぐさめてあげるから、今度は明人にいちゃんがわたしの所に来なさい。男の人には、そのくらいの“せっきょくせい”が必要なんだよ』
翌朝、裏の追伸に気付いた僕が盛大に噴き出したのは、言うまでもない。
ゆあに会う口実を作るために、とりあえず雅恵に完膚なきまでにフラれてこようと思った。