鈍行列車に揺られはじめてから、もう既に2時間が経過した。待ち合わせの時間は午後1時。この調子で 行けばなんとか約束の時間の10分前くらいには着けそうだ。
 窓の外の景色にも白が目立ちだした。

 住み慣れた街から離れ、両親とも離れ、俺は一人こうして鈍行に揺られている。
 窓の外は都会育ちの俺にとっては最早現実感のない光景を映し出していた。降り積もる雪を見たのなん て、小学生の頃に従姉妹の家に遊びに行った時くらいしか思い出せない。

「――そっか、これから俺はその従姉妹の家にご厄介になるんだっけか」

 思い出したように、呟く。
 言葉と一緒に吐き出された息は、外気に晒されて冷え切った窓ガラスを白く曇らせた。


 行きたくない、両親にそう告げたのは何故だったのだろうか。自分でもよく分からないが、俺は今まで にない強情さでもって両親と一緒に渡米することを拒んだ。
 息子の意志は尊重したい、しかしまだ高校生の息子に一人暮らしをさせるわけにもいかない。母親が出した 妥協案は、自分の妹――つまり俺にとっては叔母だ――の所に、ということだった。

「ほら、アンタが小さい頃冬休みに遊びに行ってた家よ、覚えてる?」

 どくん

 母親の声を聞いて呼吸することを忘れたのは、それが初めての経験だった。
 昔遊んだ、あの雪の降る町で暮らす。そのことを思うと俺の胸はいっそう強く脈打った。

「――いや、あんまり覚えてない」

 何でもない答えのはずなのに、何故か俺の声は掠れていた。











邂逅











 目的の駅に着き電車を降りる。長い間座っていたから身体はガチガチだ。伸びをしようとしたら外のあ まりの寒さに負けて、小さくなって身体を震わせた。

 「寒い……」

 自動改札を抜け、待ち合わせの場所である駅前広場と思しき場所に出る。ど田舎と思っていたが、中々 どうして、立派なものだった。人通りは多いし、まずまずの高さのビルの中には映画館も入っている。
 ここが、これが、これから俺が暮らす街だ。

 広場に脚を踏み入れ、早速目印の時計のそばのベンチに座る。
 約束の時間までまだ数分余裕がある。
 ここに来る前に電話で叔母と話したことを思い出す。

「確か従姉妹の名雪が迎えに来るはずだったよな……」

 名雪の姿を思い浮かべようと努力するが、上手くいかない。
 どんな顔をしていたか、どんな声をしていたか、俺のことをなんと呼んでいたか。全ては霞の向こうにあり、 今の俺には上手く取り出すことは出来ない。
 目印に――と言って持ってきた少し赤みのかかったバッグを横に置く。
 荷物は既に宅配便で先方に送ってあるので、俺の手荷物はわずかしかない。

「後は向こうが見つけてくれるのを待つだけ――か」

 灰色の雲が真上にあり、ちらちらと粉雪を降らせている。
 この街の人にとっては特に物珍しくもないのか、降る雪に足を止める人などいやしない。
 しかし、雪などよっぽどのことがない限り見ることがなかった俺とっては、舞い降りる粉雪は綺麗だった。
 激しくもなく、弱くもなく、ただ淡々と降りしきる雪にしばし見とれた。
 アスファルトに舞い降りた雪は、すぐに雑踏に巻き込まれ、踏まれて消えた。
 何故かその光景から目が離せなかった。

 マルデアノヒノボクラノヨウデ――












 声がした。

 やっと来たかと振り返るが、そこには誰もいない。
 誰もいない。
 誰もいない。
 誰もいないはずなのに。
 俺はその空間から目が離せなくなった。
 視界が赤く染まる。

 マルデアノヒノヨウニ――

 赤。
 血のような赤。
 赤のような血。

 ヤクソクダヨ――

 やめろ。
 やめろ。
 ヤメロ。
 やめてくれ。
 ヤメテクレ!

 そんなもの、俺は知らない――!











 視界がひらいた。
 目の前には、さっきと同じ雑踏がある。
 自分の頭の上にある時計を見る。時間はもうすぐ3時になろうかというところだ。

「夢……か?」

 手のひらにはじっとりと汗をかいている。だが身体はまるで氷のように冷たい。
 夢を見ていたんだ、と思う。
 こんな寒いところでも眠れるなんて俺も結構図太いな、と呟いてもその台詞はどこか空々しい。

 何があったのかはわからない。しかし――

「――雪、積もってるよ」

 確かにそれは始まりだったのだろう。

next
戻る



inserted by FC2 system