名雪と二人で見覚えのない、しかしどこか懐かしい町並みを見ながら歩いている。どこもかしこも雪だら けと言う状況には、もう慣れた……と言いたいところだが、まだ足元は覚束ない。

 「祐一、大丈夫?転ばないでよー?」

 正直に告白しておこう。俺は名雪と会った瞬間、心臓がひっくり返る思いだった。

(名雪ってこんなに美人だったっけ……?)

 まだまともに女の子と付き合ったこともない純情極まりない俺は、まんまと7年ぶりの従姉妹に「してや られた」というわけだ。もしも準備があったなら「お前それは反則だろ!」とばかりにピッピーと笛を鳴らし て名雪の眼前に真紅のカードを提示してやりたいくらいだった。

 「おう、大丈夫だっ! こんな雪道くらいよゆ……うおッとッ!!」

 コケた。
 あ〜ちくしょう。みっともねぇ。

 「もう〜、ほら、大丈夫? 手、貸してあげよっか?」

 名雪は苦笑しながらしゃがんで手を差し伸べてくる。
 別に名雪に違和感を感じているわけではない。会って数分話しただけで、以前の空気を思い出したくらい だ。決して「胸のトキメキが抑えられないっ!」みたいな情けないことになっているわけではないのだ。
 ただ、なんと言うか……それでも名雪は俺と同年代の女の子であることは間違いないわけで……それに伴っ て俺の心に浮かび上がる感情は、健康な男子高校生なら仕方の無いことのはずだ。……多分。

 「大丈夫、大丈夫っ! ほらっ! 寒いんだから、さっさと行こうぜっ!」

 こんなことを言いながら立ち上がってさっさと歩き出した俺は、断じて照れてたわけじゃない。誰がなんと 言おうとそうなのだ。うん。

「あっ! 待って祐一っ! 家そっちじゃないよっ!」

 ……多分な。











帰路











「あら、祐一さん、お久しぶり」
「お久しぶりです。今日からよろしくお願いします」

 叔母の秋子さんは相変わらず若かった。俺の母親もかなり若く見られる方だが、秋子さんほどじゃない。
 秋子さんは電話口の印象そのままの落ち着いた雰囲気で俺を出迎えてくれた。

「ふふっ、大きくなったわねぇ。こちらこそ、よろしくお願いします」

 秋子さんは深々と頭を下げる。慌てて俺もそれに倣った。

「それじゃ、お邪魔します」

 そう言って家に上がろうとしたら、名雪に服の裾を引っ張られた。

「……ん? どうした?」

 名雪はふるふると首を振って、お姉さんぶった口調でこう言った。

「違うよ、祐一。家に帰ってくる時は、ただいま、だよ」

 ふと秋子さんを見ると何か微笑ましいものを見たように優しく笑っていた。名雪も同じ。
 こうして見ると、やっぱり名雪と秋子さんは親子だった。
 姉妹に見えなくもないが、そんなことよりもっと明確に理解したことが一つあった。

「……ただいま」

 ――この親子には、やっぱりかなわない。

「お帰りなさい、祐一さん」
「お帰り、祐一」

    ☆   ☆   ☆

 7年振りの街で過ごした一日目が終わろうとしている。
 俺はあの後簡単に荷物を整理して、名雪に買い物のついでに街の案内をしてもらった。
 ちょっと買い物するだけだと思ってたら、名雪の奴、俺の持てる限界に挑戦するかのように買いまくり やがって。まぁ全部生活必需品だったみたいだけどさ。おかげで初日から腰痛になるかと思った。

 俺はベッドに寝転がりながら窓の外を見た。
 さっきまでやんでいたのに、またちらほらと雪が舞い始めたみたいだ。
 外の街灯に照らされて舞い踊る雪の一粒一粒が浮かび上がり、幻想的な空気を醸し出している。
 昼に駅前広場で見た雪も綺麗だったが、こういうのも悪くない。

 ふと、名雪を待っている間に見たモノを思い出した。
 あの、まるで血のような赤色が世界を染めた瞬間。
 何を捨ててでもいいから一目散に逃げたい気持ちとは裏腹に、何か待ち望んでいたことのようでもあった。
 ――俺はあの時本当は誰を待っていたのだろうか?
 意味の無い問いに思わず苦笑する。

 そう、俺はあろうことか。
 あの不吉な赤のイメージに、誰かの姿を重ね合わせていたのだ。

 単なる色のイメージではなく、人間の意識のようなイメージ。
 俺はそんな匂いをあの映像から嗅ぎ取っていた。
 それは一体誰のイメージなのだろう?
 ――男?
 ――女?
 ――大人?
 ――子供?
 それらは全て闇の中だ。
 理解できるはずも無い。
 あれを人間だと感じた根拠は、単なる直感だ。
 別に論理的な解釈も、科学的な説明も、哲学的な真理も、何も無い。
 それなのに――

 俺は頭を振って今まで考えていた妄想を頭の隅に追いやり、明日から始まる新しい学校生活に思いを馳せ た。
 明日からは新しい制服で、新しい友達と、新しい生活が待っている。
 そんな希望を胸に、俺はいつしか眠りに落ちていった。

    ☆   ☆   ☆

 ふと気がつくと、俺は商店街の入り口で一人突っ立っていた。
 何も聞こえない。
 周りを歩く人たちも、見慣れない町並みも、全てがモノクロに染められている。

 俺は何してんたんだっけ?
 俺は何故こんなところで立っているんだろう?
 そもそも俺は水瀬家のベッドで寝てたはずなんじゃないのか?
 疑問が降って湧いては、またすぐに消えていった。

 ――そうだ、俺は名雪を待っていたんだ。

 目的を思い出し、俺は少し安堵する。
 自分が立っているという意識がより明確になる。
 周囲の声が途端に聞こえてくるようになる。


 世界が、構成される。


 背中に羽を持った、天使のような女の子が俺の背にぶつかってきたのは、その3秒後くらいのことだった。

next
back
戻る



inserted by FC2 system