木々の隙間を縫うように流れる風に乗せて、粉雪が辺り一面に舞っている。こうして見ると中々に幻想的 な風景だが、如何せん寒い。学生服の上に着込んだ黒のダッフルコートに次第に雪が降り積もっていく。払って も払っても次から次へと降り積もる雪。

「寒い……」

 当たり前だった。
 そもそもなんで俺はこんな所に来ているんだろう?
 よくよく考えてみれば当然の疑問に、俺は苦笑する。いやいや、よくよく考えてみなくても、俺にこんな場所 に来る理由など無い。
 ――嘘吐くなよ。夢で見たことを確かめたかったんだろう?
 首を振る。
 頭に積もっていた雪がバラバラと舞い落ちた。

 目の前には無残に切り倒されたであろう大木の死体とも言うべき切り株がある。











沈黙











 少し時間をさかのぼる。

「祐一ーっ! 放課後だよっ!」
「うおっ! 名雪が珍しく元気だっ!?」
「授業終わる時に眠ってない名雪は、確かに、珍しくはあるわね」
「だろ?」
「言葉通りね」
「……もしかして、二人とも酷いこと言ってる?」

 いやいや、と香里と二人して首を横に振ってみる。

「ぶぅ……もぅ、二人とも意地悪だよっ」
「いやいや、そんなことはないぞ。それは所謂被害妄想って奴だ」
「そうそう」

 むぅーっと頬を膨らますこちらを睨む名雪。
 あまり怖くない。ていうかむしろ可愛い。

「今日はそんなお前の誘いを断らねばならんのが、本当に残念だ」
「へ?」
「今日から陸上部休みの日だろ?」
「ん……まぁそうだけど、わたしまだ何も言ってないよ?」
「ふっ、俺様をあまりなめるなよ? 元気な名雪、陸上部休み、放課後、これだけ条件が揃えば次にどんな答え が来るのかは大体予想がつくというものだ。……まぁ、百花屋寄って行こうってことだろ?」
「うっ……」
「しかもその財布は俺持ちだ」
「ぐっ……」
「図星だろ?」
「くー」
「寝るなっ!」

 拳を繰り出すが、ささっと避けられる。

「あははは……さすが祐一……」

 微妙に目が泳いでいる。

「さすが相沢君、伊達に名雪の従兄弟やってないわね」
「お褒めに預かり光栄だ、香里殿」
「殿ってなんだ、殿って」

 いつのまにかやってきて、いつのまにかツッコミを入れる北川。美坂チームとか何とか言って、ちゃっかり 香里のお供をする気か。

「というわけで、今日は俺は行けないんだ、すまん」
「何が「というわけ」なのか分からないよー」
「そうだぞ相沢。まさかお前ともあろうものが部活だ勉強だ、などと言うわけでもあるまい」
「実は……今日生理なんだ」
「「「嘘つけっ!」」」
「ま……そんな小粋な冗句はともかくとして、本当に今日は都合が悪いんだ。また今度付き合うから勘弁 なっ!」

 そう言って、鞄をひっ掴み走って教室から逃げた。
 後ろのほうから「待ってよーっ、ゆういちーっ!」という声が聞こえた気がしたが無視して走り去った。


「んで、今に至るわけだが……名雪の誘い断ってまで、俺は一体何やってるんだか……」

 降り積もる雪に埋もれていく切り株を眺めて一人呟く。
 名雪の誘いを断っておきながら、今日ここに来る必要性必然性共に悲しくなるほど無かった。
 だが、どうしても来たかった。
 確認しておきたかった、と言うべきか。

 ここまでの道は、なんとなくこっちだろう、という直感でなんとかした。要するに、カンだ。

「フォースを使ったわけでもないし……勿論俺はニュータイプではないし……」

 冗談めかして呟いてみても、俺がここに「来る事が出来た」という事実は変わらない。
 そう。
 俺がここに来ることが出来たのは「夢の中の俺」の記憶を引っ張り出してきたからだ。それ以外に俺がここ に辿り着ける理由が無い。
 俺は本当に7年前の冬に、ここであゆと遊んだ……のか?
 トロそうに見えて意外と器用に木登りをこなしたあゆの笑顔を記憶の底から引っ張りだしてくる。
 しかし、その映像に対して俺は何の感慨も抱くことが出来ない。
 本当に「これ」は、俺の記憶なのか……?
 最早「あゆの夢」が、単なる俺の妄想であるというラインはとうに超えてしまったが、どうしても『昔俺と 遊んだあゆという少女が現実に存在していた』という仮定だけは認めることが出来ない。
 「その仮定は正しい、事実だ」と主張する俺と「それは違う、そんな事実は一切無い」と主張する俺。
 俺の深い所に存在している何かの警告に後押しされるように、理性は後者だと言う。

 しかし分からないことがある。
 今こうしている俺の目の前の切り株、かつてはまるで守り神のようにこの町を見下ろしていた大木の成れの 果てを見下ろす。

 ――何故、この木は、切られた?

 夢の中の記憶をいくら検索しても、一向にその答えは見つからない。
 相変わらず雪は、この町の全てを覆い隠すように降り続いている。

雪の降り積もる音に混じって、誰かの嘲笑が聞こえたような気がした。

    ☆   ☆   ☆

「ただいまー」
「お帰りなさい、祐一さん」

 秋子さんに迎えられる。

「あれ、名雪は?」
「まだ帰ってないみたいですね。祐一さんは一緒じゃなかったんですか?」
「いや、俺はちょっと寄るところがあったんで」

 秋子さんは「そうですか」とだけ言って、それ以上追及しようとはしなかった。

 俺はそそくさと2階に上がり、自室のドアに滑り込んだ。
 大して重くもない学生鞄を机の上に放り出し、すっかり冷え切った学生服をベッドの上に脱ぎ捨てる。
 窓の外は相変わらずの雪が降り続いている。
 これ以上降ると屋根の雪下ろしをしないといけないと秋子さんが言っていた気がする。小さい頃この街に来 ていた時はただ降り続く雪を珍しがるばかりで、そんな苦労があるなんて考えもしなかった。雪下ろしをする 時は当然俺も手伝わなければならないだろう。元来寒いのが苦手な俺には辛い作業になりそうだ。
 香里たちとの話が弾んでいるのか、まだ名雪は帰ってくる様子がない。

 ――今夜の夢は俺を何処へ連れて行くのだろうか。
 不意にそんなことを思った。
 あゆの顔と名雪の顔が交互に浮かぶ。
 俺は名雪のことが好きなのだろうか。それとも、あゆのことが――
 「名雪に告白しちゃえばいいじゃない」と事も無げに言った香里の言葉が今の俺には重い。
 きっと俺は名雪のことが好きなんだろうと思う。今更自己確認するまでもなく。
 しかし今日の俺は名雪との時間よりもあゆとの夢の場所を確認することを優先した。
 まるで、夢だけでなく現実でまでもあゆの姿を求めるかのように。
 俺は。
 俺はまさか――
 頭に浮かんだとんでもない考えを吹き飛ばすかのように首を振る。
 馬鹿げている。
 あまりにも馬鹿げている。

 自分の夢の中だけにしか存在し得ない彼女に恋するなんて――

 狂気の沙汰としか思えない。
 それとも俺はもう既に狂気の世界に足を踏み入れているのだろうか。
 俺は部屋の電気を消し、自らの狂気に蓋をするかのように自室のドアを勢いよく閉めた。


「あら、祐一さん。呼びにいこうかと思ってたのに」
「あれ、もう夕飯ですか? まだ名雪帰ってきてないですよ?」
「どうやら名雪は遅いみたいですから、片付かないですし、先に食べてしまいましょう」

 そう言うと秋子さんは何か思いついたように、笑った。

「ふふっ、今日はわたしと祐一さん、二人きりの夕食ですね」

 秋子さんのその言葉と、年齢を感じさせない仕草に少しだけ心臓の鼓動が高まる。
 俺は内心の動揺を悟られないように「ははは……」と乾いた笑いを漏らしながら食卓についた。
 つーか秋子さん、あんた何歳ですか。
 そういえば俺の母さんも年齢不詳な人だった。
 俺の母方の血には一体何が混じっているのか、一度DNA鑑定を頼んでみようかと本気で思った。

 今日の夕食は……オムライスにサラダにスープ。勿論、全て秋子さんの手作りだ。

「いただきまーす」
「はい、召し上がれ」

 居間のテレビはちょうどニュースを映し出している。
 今日のニュースは……なんかよくわからんが経済関係のニュースと政治家のスキャンダルと――

「――怖いですよね、この事件」

 秋子さんが眉を顰める。
 まだ小学校に上がったばかりの子供が自宅の近くの公園の遊具で遊んでいる時に怪我をしてしまったという事 件だ。幸い子供の怪我は軽傷だったが、その事故の原因となった遊具は即日撤去が決定されたらしい。

「親が四六時中子供を見てるなんてことは出来ないでしょうから、せめて周囲の大人がきちんと見守ってあげな いといけませんよね」

 秋子さんの言葉は俺の耳には半分以上入って来なかった。
 子供の怪我。
 即日撤去。
 怪我。
 撤去。

 なんだろう。
 何かがひっかかる。
 なんだ?

 テレビはとっくに次の話題に移ってしまっているというのに、何故か俺はその事件が頭から離れない。
 何か、思い出せそうな――

「祐一さん?」

 秋子さんの声。
 その声が俺を急速に現実に引き戻す。

「あ、あ、はい……どうしました……?」

 明らかに歯切れの悪い返事しか返せなかった。
 そんな俺の様子を見た秋子さんの顔が一瞬ハッとした顔になったのを、視界の隅で見た。
 不自然な沈黙が流れた後、再び食事を再開する。
 俺も秋子さんも何も喋らない。
 名雪もまだ帰ってくる様子がない。
 やがて、何かを決心したかのような面持ちで秋子さんが口を開く。

「祐一さん、昔この街にはすっごく大きな木があったって知ってます?」
「……いいえ、知りませんでした」

 嘘だった。
 今の俺には、きっとあの巨大な切り株のことだろうと見当はついている。
 でも、なぜか秋子さんにその事を知っているとは言えなかった。

「大体7、8年前のことなんですけど、女の子が誤ってその木から転落してしまって……それで、そんな木を 放置しておくのは危ないということになって、結局切られてしまったんですよ」
「……その女の子はどうなったんですか?」

 俺がそう聞くと秋子さんは何故か目を伏せて、

「さぁ、そこまでは……もう随分昔のことですし……」

 と言って目線をまた居間のテレビのほうに移した。
 テレビはいつの間にかニュースから美味しいラーメン屋特集になっていた。
 二人とも目線はテレビの方に向いているが心は別な所にあるようだった。

「おそくなっちゃったーっ! ただいまーっ!」

 名雪の声は沈黙が支配する居間に場違いなリズムで響いた。

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