美夜はそれを見た時、世界の全てがガラガラと崩れたような音を聞いた気がした。

「クウ……」

 名前を呼ぶ。
 返事は返ってこない。
 もう二度と。

『あの坊やは我々で始末した。お気に入りだったかもしれないが、悪く思うな。上の命令で、これ以上は待てんとさ』

 仕事から帰ってきた後、荒らされた室内の中、一つだけ無事だった固定電話に残されていた留守電。それを聞いた美夜の脳裏に浮かんだのは絶望か、それとも憎悪か。美夜自身にすらそれは判別できない。
 しかしその後の美夜の行動は早かった。

 電話をかけた人間を人の『記憶』を辿って発見した。その人間からクウを殺して埋めたという野郎の記憶を取り出す。そんなことを何度も何度も繰り返して、美夜はようやくクウが埋められたという場所をつきとめた。どうせ奴らが知り過ぎた自分を長く生かしておくはずがない。記憶を辿るのに使った連中の心を、美夜は容赦なく『破壊』した。
 そして今、美夜の前には変わり果てたクウの死体があった。

「わたしがっ……」

 それ以上は言葉にならず、美夜はクウを前にただ泣き崩れる。

 ――クウの心をちゃんと探せていたら。

 クウは死ぬことはなかったはずだ。
 余計な記憶を捨てて、どこかの町で幸せに暮らせていたはずだ。

 クウの心を探せなかったわけじゃない。
 探さなかったのだ。
 クウの心を見つけて問題の記憶もろとも美夜との記憶も消してしまえば、もうクウとは永久に会えなくなる。
 会えたとしても、そこにいるのは美夜の知るクウではないのだ。
 だからクウに近づくたびに、クウの心を探すのが嫌になった。

 ――わたしは、クウと、ずっと一緒にいたかっただけなのに。

 そして、そんなエゴの結末がクウの死だった。
 自分は何て醜いのだろうと思った。



 ぽたり。



 涙の雫は美夜の頬を伝い、ぽたりぽたりとクウの頬に落ちる。
 美夜が泣くほどに、クウも一緒に泣いているように見えた。



「泣かないで、美夜さん」



 時が、止まったような気がした。

 ――なぜ。

「ほら、そんなに泣いてちゃ美人が台無しじゃない」

 ――なぜ、なぜ。

「泣き止んで、美夜さん。ね?」

 意味がわからない。
 脳が活動を停止する。

「な……なんで……」
「ん?」

 すぅ。
 美夜は腹一杯に空気を溜め込む。
 発射準備完了。

「なんでアンタ生きてんのよぉ――――――――――――――――っ!!!!」

 きぃーん。
 美夜は自分で叫んで自分の耳が壊れそうになった。

「ちょっと、うるさいな美夜さん。別にどうでもいいじゃないそんなこと」
「だだだ、だって、奴ら、ああああんたを、こここころして、う、埋めたって……」
「うん。確かに銃で撃たれた後、埋められちゃったね」
「じゃじゃじゃ、じゃあなんでアンタは」
「美夜さん。そんなに言うなら僕の胸に手、当ててみてよ」

 クウは何でもなさそうに美夜の手を自分の胸に押し付ける。

「あっ……」
「ね?」

 美夜はこれまでの自分の常識が崩される思いがした。

「心臓の音、してない……」

 美夜は目の前の現実が信じられずに口をパクパクパク。
 そんな美夜を見て、満足そうに笑うクウ。
 そして、その言葉を美夜に告げる。



「僕、アンドロイドなんだ」


    ∞∞∞


 それからクウは何時間もかけて自分の『生い立ち』を美夜に語った。
 日本の最先端の技術を持つ研究室で開発されたこと。
 試作機だから、まだ公には発表されてはいないこと。
 ある手違いから外界に放り出され、そのままわけもわからずに黒服の男達に拉致されてしまったこと。

「でもアンタ食事してたじゃない。腹出してガーガー寝てたし」
「それはね、そういう機能なんだよ」
「納得いかないわね」
「確かにね」
「なんで今まで言わなかったのよ」
「だって聞かれなかったもん」

 二人して苦笑する。

 しかし、美夜はようやく納得した。
 美夜の『力』でクウの心を取り出せなかったはずだ。
 クウは正確には『生きてる』人間ではなかったのだから。

「でも、僕、色々あったけど面白かったよ。僕は作られてからは研究所内の人としか話せなかったのに、外の世界を見れたし、美夜さんにも会えた。外の世界に出られて良かったな」
「のんきに言っちゃってるけど、いいの? 多分研究所の人とか血眼になってアンタを探してるんじゃない?」
「うん、多分ね」

 そんなことを言いながら、どうでもいいよとばかりにクウは草むらにごろんと寝転がる。
 美夜もそれに倣う。
 二人の眼前には雲一つない綺麗な星空。
 その圧倒的なスケールに、しばし見とれる。

「きっと研究所にいたら、僕、こんな星は見られなかったよ」
「……」
「生まれてきて、良かった」

 降ってきそうな星空を眺めながらクウは呟く。
 その横顔は美夜が今まで見てきたどんな人間よりも人間らしかった。
 美夜はその横顔に手を伸ばす。
 理屈じゃなく、ただクウに触れたかった。
 クウの心はきっとあったかいだろうな、と思った。

「さて……と、美夜さん、これからどうしよっか?」

 急に立ち上がって伸びをするクウ。
 そんな仕草も人間臭い。

「どうしよっかって……アンタは……研究所に戻らなくていいの?」

 クウは困ったような顔をして。

「……そうだね。そうかも……しれないね」

 そんなことを言った。

 あれ、と美夜は思った。
 なぜ、と美夜は思った。

「なんで、美夜さんは……泣いてるの?」

 ぽろぽろ、ぽろぽろ。
 涙の雫は次から次へと、美夜の瞳から頬を伝って地面に落ちて、溶けていく。

 ――そんなの、わかるわけないじゃない。

 そう言ってクウの胸に飛び込んでいけるのはきっと可愛い女の子だ。
 そんなことをするには、美夜はこれまでの人生、人を避けすぎた。

 クウはまた、困った顔をした。

「美夜さん、ちょっと膝立ちになってくれる?」
「な、なんで……?」
「いいから」

 言われた通りにする。
 途端に美夜の頭は華奢な白い腕に包まれる。
 頼りない胸に顔を押し付けられる。

「クウ……?」

 美夜はただクウの体温を感じていた。

 ――生きている。
 ――確かにわたし達は生きている。

 そんな感覚を抱きながら。

「僕は――」

 その後に続く言葉は美夜の耳には届かなかった。
 うるさいくらいの鼓動が美夜の頭の中で響いていた。
 これは、クウの鼓動だと思った。
 心の無い少年の、鼓動。
 それはどんな素敵なラブソングよりも強く、切なく、美夜の心を揺さぶった。

「――ちょっと、聞いてる? 美夜さん」

 聞こえてる。
 聞こえてるよ、クウ。
 あなたの鼓動が、うるさいくらいに――

 美夜はこの日、クウの胸に顔を埋めて、今まで一人で生きてきた分だけ、泣いた。




    ∞∞∞




「それで、結局どうするの? 僕達」

 美夜が乗ってきたバイクに二人乗りして、美夜が住んでいた街に向かう。

「そうねー、とりあえず家にカイを迎えに行こうよ」

 あの掃き溜めのような街も朝陽に照らされれば多少マシに見えるもんだ、と美夜は感心しながらアクセルを目一杯開ける。

「その後は?」

 クウの楽しんでいるような、からかっているような、どこか掴みどころのない声。

「わかんない」

 美夜は素直に答えた。
 もう、あの街も見納めかもしれない。
 そんな思いを胸に秘めて。

「えー何それー! 美夜さん頼りなーい」





 あそこは、美夜が一人で生きてきた街。





「うっさい! アンタは黙ってわたしに付いてくればいいのっ!」





 そして、クウと出会った街。









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