たぶん、夏の所為だろう。毎年の事ながら、今年の夏も猛暑らしいのでな。既に頭のネジがぶっ飛びまくっている彼女のことだ。可哀相な事に、更に数百本ぐらいボロボロと落ちてしまったのだろう。私にそんな質問をしたところで何になるというのだ。
「姉御の初恋っていつ?」
 知らんわ。





『夏の所為』      いくみ





 昼の唯一の楽しみであるランチタイムに、いつも通り一人で自作のテラスにて食事をとっていたところ、いきなり「いよーっす、姉御ー!」とか言いながら乱入してきて、人のお弁当をぱくぱくと断りも入れず、つまみ食いしたと思ったら、「初恋っていつ?」とか言い出して脈絡もへったくれも無い。たまに葉留佳君の脳みそは右脳しか動いてないのでは?と思ってしまったりもするのだが、それは少々失礼だと思った。右脳に対して。
 先ほどまでは、どうしてクドリャフカ君の胸はあんなに抉れているのかと、物理的な観点からの推察をしていたというのに。ため息を一つ吐き、暇だし付き合ってやるか、と我ながら珍しい考えに至ったのも、また、夏の日差しのせいだろう。
 首を傾げ過去を振り返ってみる。これまでの長いようで短いようで中身の全く無さそうな自分の人生のことを。我が生涯において、特に男という生物は路傍の石というか、腐った死体のケツを拭く紙以下の存在だった覚えしかない。唯一の例外として、今の野球メンバーに関しては路傍の石レベルの扱いはしてやってるつもりである。が、その程度だろう。強いて言うならば、まだ年端もいかぬロリータだった時代のこと。あの頃は私としてもやたらめったら大人が格好よく見えたもので、今思えば若かったのだろう。人並みに男の先生というものには憧憬の念を抱いたような、そうでもないような。みたいな話を端折りつつしてみた。
「へえ」
 返事は異様に素っ気無いものだった。鼻を穿ってやがる。なんという失礼な奴だ。
「それぐらいか」
 折角、おねーさんが話してやったというのに「ふーん」ととんでもなくつまらなそうな反応が返ってきた。彼女の顔には、意外に普通でつまらん、と書いてあった。たまに、このガキをぶん殴ってやりたくなる。
「で?」
「んー?」
「そういう葉留佳君はどうだ?」 
「え? 私?」
「当たり前だ。人に話を振って、人の話だけ聞いて、さらばだ、とはさせんからな。しかも、相手はこの私だぞ?」
「あはー。あははー。あはははははははははー」
「笑って誤魔化すなんざ無理だ」
「ちぇーい! 煙玉ー!」
 ボウン、と軽い爆発音と共に大量の煙が辺りを埋め尽くした。一寸先も見えない。なんでそんなものを持っているのか謎だが、女の子のスカートのポケットの中は異次元につながっているというもっぱらの噂なので、気にしない。気にしたら負けだ。なんせ葉留佳君は馬鹿の筆頭株主だからな。一般人ならばこれで逃げ果せただろうが、甘い。相手はこの私だ。気配とか匂いとかフェロモンとか、そういったもので人の動きを察知するのは私の特技の一つである。履歴書にも書ける。軽く右手を伸ばし、彼女の頭をふんづかまえる。段々と視界が開けていくと同時にギリギリ右手に力を込める。今までの鬱憤を右手に込めたら、トマトのようにグチャリとか言わせる自信はあるのだが、それをしたら今後の楽しみが大いに減ってしまう上、犯罪者、人殺しのレッテルを張られ、これからの一生を過ごさねばならないので、仕方なくだがやめておく。さて、その小動物のように怯えた顔を拝んでやるとするか。
 開けた視界の先、私の右手には、彼女の顔大のスイカ握られていた。
「なんでやねん」
 思わず関西弁になるほどだった。
 この私が欺かれるとは。何者だ。あの小娘は。物理法則を無視しよって。
 グチャリと音を立ててスイカが砕けた。







 悶々として気持ちを引きずりまくった私は、エアコンも無いサウナ風呂のような教室に帰る気も起きず、学校内でクーラーが設置されている部屋の一つ、図書室に避難することにした。この貧乏校にはそもそもそんなV.I.P部屋は二つしかないのだが、もう一つは当然の如く教職員達の住処、職員室である。自分らばかりいい思いをして、いつか痛い目に会え。搾取した入学金やら、授業料やらを我々に還元するのが義務ではなかろうか。……どうでもいいわ。
 図書室の扉の鍵は閉まっていたのだが、それはアドリブでなんとかして中に入ると、ばっちりクーラーの電源は落ちていた。それでも、昼休みに稼動していたクーラーの最後っ屁的な涼しさはまだ残っていたので、それに微妙な涼を感じつつ、早々に電源を入れた。設定温度は、クーラーの限界点である十八度まで下げ、噴出し口の正面に立って両手を広げた。クーラーはといえば、壊れかけのギシギシ、ミシミシといった音を立てつつ、多分今まで使ったことの無いであろうその潜在能力を目一杯発揮していた。予想以上のパワーに、逆に肌寒さを感じるほどだった。温度を二十度まで上げた。
 たまたま目に付いただけだと思うのだが、己の無意識下において、彼女の言葉がなんらかの作用を働かせた可能性は否定できない。手に取ったそれは、私にしては珍しく文系書物だ。日本の全てが書いてあるといったら過言ではある国語辞典。広辞苑では無いあたり、やはり文系は私の苦手とする分野であると思って欲しい。それを小脇に抱えて、そこらに転がる椅子に腰を掛けた。
 蛍光ペンを胸元から取り出し、卑猥と思われる言葉全てにチェックを入れていく。一頁目から始めて、それなりにその作業もこなし、そろそろ飽きてきたなと思ったところで、先ほどの彼女との会話のメインテーマでもある、私の理解の範疇外にあったその言葉が満を持して登場した。
 

こい〔こひ〕【恋】
 1 特定の異性に強くひかれること。また、切ないまでに深く思いを寄せること。恋愛。「―に落ちる」「―に破れる」
 2 土地・植物・季節などに思いを寄せること。


 だそうだ。全く持ってその意味は分からなかった。曖昧に表現して、逃げているようにしか見えないのは、私が捻くれているせいだろうか。なんだ、『切ないまでに深く』って。さっぱり分からんぞ。その曖昧さ、淡さ、儚さが日本語のいいところなのかもしれないが、これじゃあ、経験したことの無い人には不親切すぎやしないか。不親切すぎるぞ。
 その後、授業に出る気など一切無かったので、暇つぶしのためだったと思う。もの凄い、どうしようもないくらい暇だったのだと思う。だから、恋愛小説の類を放課後になるまで読み漁ってみたりなんかしたのだと思う。まあ、三十冊ほど読んで、あまり理解が出来なかったという結果に陥ったのはとても悲しい出来事であり、とても時間を無駄にした。全てハッピーエンド。好きです。好きだ。僕も。私も。はい、終わり。もし、これらの物語に続きがあるのならば、主人公達ははすぐ別れるだろう。そう思わずにはいられない。結局のところ、恋とは風邪のようなものなのではないだろうか。熱が下がれば、すぐに元通り。多少の喉の痛みなどは数日続くかもしれないが、そこまでだ。アホらしい。
 机に突っ伏す。目を閉じる。真っ暗闇だ。慣れない事をしたせいか、少々疲れた。この涼しい部屋で、少しだけ眠ることにした。







 夢とは過去の記憶の再生だと聞いたことがある。
 これは過去の映像だと言うのだろうか。
 過去に私が妄想した事柄だと言うことか。
 永遠の刹那。一瞬の繰り返し。恥ずかしい私。
 ご勘弁願いたい。







 真っ暗闇の中だった。寝ていたらしい。まだ朝ではないことは分かった。無理な体勢で寝たせいか、身体が軋む。首が痛い。おでこがひりひりする。微妙に覚束ない頭でぼんやりと考える。何をしていたのか。徐々に蘇ってくる記憶は、まるで真綿で首を絞めるような拷問のようだった。自己嫌悪に陥ったことは言うまでも無い。異常な量の汗は暑さのせいだ。そうすることにした。
 今日の自分は無かったことにしようではないか、と自分に言い聞かせながら、クーラーの切れた蒸し風呂のような図書室を後にする。鞄は教室に置きっぱなしだ。別段、物を入れているわけではないのだが、日頃の習慣である。持って帰らないと気持ち悪いし、絶世のセクシーおねえさんである私の、汗と匂いに塗れた体操服なんぞもあったりして、悪戯されたりしかねないので。自然と足は教室へと向かっていた。
 暗闇の廊下を歩いていると思い出す。少し前に肝試しをしたこと。美魚君で遊ぶのは非常に面白かったが、葉留佳君が本気のような演技のような、なんとなく消化不良な反応だったので途中で萎えた。どうして恭介氏は私を仕掛ける側に指名しなかったのか、甚だ疑問で仕方が無い。私ならばきっと恐怖どころか、失禁させることや、ポロリもあるよ、という領域まで、この娯楽を昇華させることが出来たろうに。今考えても非常に面白くない。今度、恭介氏に再び肝試し大会を開くように誘導しようか。頭が切れるように見えて、むちゃくちゃ単純な男だと言うことは分かっているので、すぐにそれは実現されるであろう。一回やったら飽きたし、教室に着いたので、やっぱりやめた。
 体操服は無事だった。それはそれでつまらないと思ってしまう私は、人としてどうなのだろうか。ダメだろうな。夜の学校。夜の教室。学校と言うものは、『夜の』と頭につけるだけでとてもエロティカルな響きに生まれ変わる。夜の授業。一人、真っ暗な教室で席に着く。普段の喧騒には程遠い、静かな教室。夏なので、五月蝿い程に蝉は鳴いているのだが。早く寿命を全うしてしまえ。
 いつからだろうか。
 少し学校に来ることが楽しくなってきたのは。考えるまでも無いことなのだが、そういう無駄なことをしたくなる時がたまにある。それもきっと、夜のエロス教室がそうさせるんだろう。思春期の暴走だと受け止めて頂きたい。
 と、外からワイワイガヤガヤと聞き覚えのありまくる声が聞こえた。また、あの連中は何かを始めるらしい。遊びに事欠かない、楽しい奴らめ。私も混ぜろ。窓から見下ろす。
 目に映ったのは、無駄に綺麗な光のシャワー。皆、それぞれに花火に火を点ける。私の足が止まる。教室から見るその光が、私を金縛りにする。目を奪われたとかではない。心臓がドクンと飛び跳ねる。真人少年が大きな筒を持ってきている。あれはきっとあれだ。たまたまだろう。私が、教室に居ることなんて理樹君が知っているはずがない。だって、今の私の状況は偶然なのだから。
 どこで手に入れたのか。詳しくは知らないので適当に言うが、きっと三尺玉とか、そういう名前の物だ。装填。心臓の鼓動が止まらない。着火。窓ガラスには、半笑いの私が映っている。いやいや、これは私じゃない。発射。ボスっと鈍い音を上げ、光の玉がゆらゆら揺れながら飛ぶ。開花。窓ガラスには、真っ赤な顔をした私が映っている。私じゃない。でも、私だ。
 私じゃない。ガラスに背を向け走る。ドアを蹴破る。荷物は置いていく。とにかく走る。階段を飛び降りる。走る。コーナーを曲がる。走る。靴なんて変えない。走った。
 ハアハアと息切れしている私を見て、少年がにっこり微笑み「遅かったね」と言った。まるで私が来ることを知っていたかのようだ。いや、まあ、こんな派手なことをしていたら、教室にいなくてもすぐに駆けつけただろうが。でも、私を見透かされたようで悔しくて。後ろから羽交い絞めにしてやった。そして、とりあえず笑ってみた。なんだかよく分からんが、笑ってみた。楽しくなってきた。そのまま、一人でへび花火で遊んでいた葉留佳君の近くまで行く。寂しい奴。
「ああ、葉留佳君や」
「なんスかー?」
 ジッとへび花火がうねうねする様を見つめる彼女はやっぱり頭がおかしい。
「昼の質問の答え。訂正する」
「んー?」
「今だよ」
「え?」
「今」
「え? え?」
 ポカーンとした後、意味をようやく理解したのか、「ぬおー! はるちんも負けないッスよー!」とか言って突っ込んできたが、それを私のおっぱいバリアで弾き飛ばしてやった。
 この胸でじたばたしている少年。このまま私の胸の内が伝わらないものかと、青臭いことを考えてみた。
 数秒経って、少年が動かなくなったので若干焦った。
 たぶん、これら全部、夏の所為だ。

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