ぜんぶこわれてた      翔菜



 甲高い金属音が感情を掻き消す。
 同情はない。慈悲もない。
 目の前の奴らはそのどちらもくれなかったのだから、くれてやる必要もない。
 ハンカチを取り出し、飛び散り頬にこびり付いた血を拭き取る。

 それから、隣で自らに笑みを向けてくる愛しい妹の名を呼ぶ。

「ねぇ、葉留佳」
「なぁに、お姉ちゃん」
「こいつら、どうしよう?」

 ひっ、と短い悲鳴が上がる。

「喋るな。音を発するな。耳障りだって言ったでしょう。物分りの悪い愚図は嫌いなのよ」

 並び立ててから、佳奈多は手に持った鉄パイプを振り上げて、しゃがみ込んだ『それ』の頭に向けて振り下ろした。
 先端がすぐ後ろの壁に当たりまた喧しい金属音を響かせて、脳天を割る寸前で鉄パイプの動きは止まった。
 だが、佳奈多と葉留佳の眼前で恐怖に竦む人間には、その事すら認識出来ない。
 生きている、その事を知るだけで精一杯だった。或いは、その事ですら認識は出来ておらず、何も考えられないまま身体が動いているだけだったかも知れないが。

「そうだねぇ」

 ふむ、と薄く口を歪め、葉留佳は顎に手を当てた。
 思案するような仕草だったが、実際のところ大して考えてなどいない。
 答えは出ているのだ。この機を逃せばどうなるか。最悪、死が待っているかも知れない。
 そうなる前に全てを終わらせて、手に入れなければならない。なら、必ずすべき事は決まっている。
 けれど、結果的にそこに行き着けばいいだけ。

「私と、同じような目にあってもらうのも面白いカナァ」 

 一思いに殺してしまうのもアリだろう。世間様の事を考えればそうはいかないのが実情だが、『もの言わぬ人形に生きる価値など無い』。
 人としても。生き物としても。人形としても。玩具としても。
 かつて自分自身に向けてそう罵った人間が今、身を屈めて震えている。
 動くだけ、生きているだけ、穢れた血が通っているだけ。動く人形は呪われた人形だ。
 そんなこわいもの、

「壊しちゃったほうがいいんじゃないかしら?」
「でもほら、気持ち悪くても人形って一応玩具だからさ。可愛がってあげなきゃ――私たちが、満足出来るまで」
「葉留佳は優しいのね」

 柔らかな笑みを浮かべて、佳奈多は嬉しそうに葉留佳の頭を撫ぜる。
 酷い目にあってきたにも関わらず、羨ましいほどに繊細で綺麗な、自分と同じ色をした長い髪を指に絡め、目の前に運ぶと慈しむようにその髪先に口付ける。

「なん、で」

 ひゅ、と。
 葉留佳と佳奈多の外からした不快な声を制する、空気を切る音。
 鼻先に突きつけられた鉄パイプの僅かに錆びた臭いに怯みながらも、人形は最後の一捻りの生を――生存本能をふたりに対して露にする。

「そんな報告は、」
「へぇ?」
「こいつ面白い事言うね、お姉ちゃん」
「えぇ、まったくだわ。……ここに集められた人形たちを見て、その意味もわからないなんて」
「私らの監視なんてのはね……教師も生徒も、みーんな、もう取り込んじゃってるの。だからそんな報告は行かなくて当然ってこと」

 まるで、本当に玩具の人形に答えるかのような憎しみも怒りも篭らない笑顔で、2人は疑問に答える。
 じゃれ合うように手を繋ぎ、当たり前に顔を近付け、幸せそうに身を寄せる。

「く、く」

 ――狂っている。
 言おうとして、言えない。今更何を言っても、2人は自らを救う気など微塵もないと朽ち掛けた人形は理解出来ていたから。

「狂っている、とでも言いたいのかしら? 残念ながらそれは間違い。狂っているのはあなたたちの方。私と葉留佳を分かった世界の方」
「私たちが継いだら三枝の家の全部をあげる――そう言ったら、みんな簡単に寝返っちゃうんだもん。笑っちゃうよねー」
「ホントにね。でも私はあいつらが単純で助かったわ。……だって、私は葉留佳がいれば、あんなものも、何もかもいらない」
「うん、私もだよ、おねえちゃん。私はおねえちゃんがいれば、ぜんぶ、それでいいのデス」

 夜の空の下、二木家の庭に艶かしい水音が生まれる。
 目を開けたまま啄ばむようにふたり唇を合わせて世界を証明するみたいに、理性もなく本能のまま佳奈多と葉留佳は互いを求め、溺れる。
 仲直りした。一緒になれた。一緒になれる。そのためなら、なんだってする。その決意が揺らぐ事のないよう、ふたりは互いを求め続けその快楽に沈む。
 そんな2人の行為を非難するかのように砂と靴底の擦れる音がして、佳奈多はすぐさま鉄パイプを振り抜いた。
 屈んだ姿勢で脇を走り抜けようとしたのだろう男に向けて。
 その一撃は顔面を的確に捉え鼻を折り最後の気力を容易に奪い去った。

「そんなに死に急ぐ事もないでしょうに。大人しくしていれば殺しはしないんだから……ただ、二度と私たちに逆らえないよう教育する事が目的なんだもの。
 その出来の悪い脳にちゃんと教えてあげる。私と葉留佳の仲を邪魔すれば、どんな報いを受けるのか。もっとも、あと数年であなたたちにはその意思どころか力すらなくなるわけだけど」

 既に痛めつけられ意識を失い横たわる二木の人間。三枝の人間。佳奈多と葉留佳に、恐怖を刷り込み逆らう事をさせないように育てた『つもり』だった愚か者たち。
 だが、本能は理性を凌駕する。同じ血を分け合った姉妹。失敗すればどうなるのか。どんな目に合うのか。2人して奈落の底に叩き落されもう二度と会えないかもしれない。
 そんなリスクなど、考えはしても無視出来るほどに、佳奈多と葉留佳は互いの存在を欲し、求め合い、依存し、生きてきた。
 そしていがみ合った末の理解の先に見たものは……2人で生きる未来。2人だけで生きられるとはどちらも思っていない。
 ただ、誰と関わろうとも、誰と交わろうとも、誰とわかれようとも、姉の手だけは、妹の手だけは離さなくてもいいせかい。

「佳奈多、愛してるよ」
「ええ、私もよ、葉留佳」
「だから」
「うん」
「「ずっと一緒にいようね」」

 それはこの場で倒れ伏し壊れてしまった人形たちに否定され妨げ続けられた当たり前の事。
 その言葉に嘘はなく、永遠に裏切りはありえない。誓いと同時に、佳奈多が最後の一体に鋭い一撃を見舞う。
 鈍い音と共に走る衝撃は肉を突きぬけ、内臓を歪ませ、骨を折り、目から光を奪い、生存本能すら無に帰す。
 仰向けに倒れ伏した人形に葉留佳が近付き、恨みを晴らすのではなくただ遊びの延長のように自然に、足のつま先を喉の奥に押し込んで回し歯を蹴りつけ眉間に踵を落とす。
 共同作業のように2人で首を絞め呼吸する権利すら奪い去り、全てが自分たちの意思のままに決まるのだと調教するかのごとく髪の毛を引き抜く。
 耳障りな叫び声も嘆きも許しを乞うために口を開こうとするその行動もすべてを制する。不幸なのはこの人形が気絶出来なかった事か。
 助けも呼べず非難も出来ず自らの失敗を嘆く事も出来ずただ苦しみをその身に受け続ける。

 人形には生を求める本能はもうなかった。ふたりは殺しはしないと言ったではないか。ただ黙っているだけでいいのだ。
 こんな苦しみの先にもまだなお生を与えてくれると言うならば、この姉妹はなんと慈悲深いのだろう。
 そんな事すら思う。ようやっと首が解放され呼吸を再開したあたりで意識は遠のき始める。生きてるじゃないか。それでいい。逆らわなければ生きて行ける。
 手放しかけている意識の外から聞こえる佳奈多と葉留佳の幸せそうな笑い声はまるで天使の祝福のようにも思えた。そんな錯覚が、狂ってしまっているからだと言う自覚は人形にはありはしないし、芽生える事もない。
 だって、とうの昔にこの家の人間は、三枝の血を僅かでも持つものは、皆狂ってしまっていたのだから、そんなものは今更だ。
 狂っていること、いつか狂うこと。この家の人間にとってそれが正常。学習も経験もせず生まれ落ちた時点で得ている本能同然のものなのだ。

 佳奈多と葉留佳だって、例外じゃない。生まれ方と狂うまでの経緯と境遇がちょっと皆と違っただけだ。

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