郷に入りては郷に従え      みかん星人



「ねぇむつー、あんたいつになったら直枝にコクるわけ?」
「えええっ!?」

 あたしの部屋に遊びに来ていたむつに、以前にも何度かした問いを投げかけると、面白いほど顔を真っ赤にしてうろたえだす。相変わらずの反応で弄り甲斐がある。

「ななな何言ってるの勝沢しゃんっ!? わ、わたしは別に直枝君のことは……」

 台詞噛んでるし。つーか、こやつはまだバレてないと思っているのか、アホ娘が。
 俯いてごにょごにょと口の中で何やら言っているむつの後ろに回りこみ、肩をぐいと引き寄せる。つつーと白い首筋に指を這わせながら耳元に口を寄せ、囁きかける。

「ほらぁ、直枝にもこんな風にされたいんでしょ。正直に言ってみなって、ほらほらー」
「や、勝沢さんっ、そこは……ひぅっ!?」

 首筋がこの子の弱点ってことは知っている。あたしの腕の中で身を捩るむつがなんだか面白くて、ついそこに這わせる指の動きがねっとりと執拗なものになっていく。

「愛い奴愛い奴。ほれほれー」
「ひゃふっ、やぁ……」
「……何をやってるのよ、あんたらは……」

 ついエスカレートしていたむつとのスキンシップに水を差したのは、ドアを開けて帰ってきたあたしのルームメイト、高宮の呆れたような声だった。
 高宮はつかつかとこっちに歩いてきて、気を取られて緩んだあたしの腕の中からぐいとむつを引きずり出した。

「こら、勝沢。あんまりむつを苛めないの。この子はあんたと違ってデリケートなんだから」
「うぅ、高宮さぁん……」

 頬を真っ赤にして涙目になるむつの頭にぽんと手を載せる高宮。何ていうか、姉貴風吹かしてるよなあ。

「……で、なんでああいう状況になってたわけ?」
「いやー、むつってば直枝にコクらないなんて言うもんだから。だったら直枝のかわりにあたしが美味しく頂いてもいいかなーとか」
「アホかっ!」
「いたっ」

 ぱしん、とあたしの頭がはたかれる。十分に手加減されたそれは痛くもなんともなかったけど、あたしは大げさに痛がって見せる。

「だ、大丈夫、勝沢さんっ!?」
「あー大丈夫大丈夫、頑丈さだけが取り得だから」
「あんたが言うなっ!」

 心配そうに声をかけてくるむつに、平然とした声で止める高宮。いや、そりゃ加減されてたし大丈夫だけどさ。

「むつ、あんたは自分の部屋に戻ってなさい。勝沢は発情期みたいだしあんたの身が危険だわ」
「あたしゃ獣かいっ!」
「獣の方がよっぽど可愛げがあるっての……勝沢には私が説教しておくから」
「あ……その、わ、私は気にしてないから。だから説教なんてしなくても……」

 むつはおどおどとではあるがフォローを入れてくれる。うーん、ええ子や……。

「そう? ならいいけど、ちょっと別件でも勝沢に話があるのよ。ちょっとむつには聞かせたくない話だから、悪いけど席を外してもらえる?」

 そう言って高宮がこっちに目配せを送ってくる。あ、なるほど。あの件か。

「あー……確かにあの件はむつには刺激が強すぎるかもねー」

 にやりと笑って見せ、わきわきと手を動かしながら言うと、何を想像したのか真っ赤になるむつ。

「あっ……そ、それじゃ、私は部屋に戻るね。た、高宮さんも勝沢さんも、また明日」
「ええ、また明日」
「おー」

 顔を赤らめたまま慌てて部屋を出て行くむつ。ぱたぱたと小走りな足音が遠ざかっていった。





「……それで、棗先輩は何て?」

 しばらく耳を澄ませ、むつの足音が聞こえなくなったのを見計らって、話を切り出した。さっきまでのふざけた態度ではなく、真剣な態度で。

「うん、あの子が直枝君に告白する機会は与えてくれるってさ。その代わり、私たちに働いてもらうって」
「働く? 何をしろって言うの?」
「……私とあんたで来ヶ谷さんに、そして場合によっては直枝君にも嫌がらせをしろ、って」
「……は?」

 続けて高宮の口から語られた、指示された具体的な嫌がらせの内容は、聞くだけでも腹が立つほどの陰湿なものだった。あの人たちは仲間なんじゃなかったのか。棗先輩は一体何を考えているのだ。一瞬そう思ったが、すぐに疑問は解けた。直枝を鍛えるための悪役になれと、棗先輩はそうあたしたちに言っているのだ。

「……やだよそんなの。どうしてもやらせたいならそこらの“人形”たちにでもやらせればいいじゃん」
「私も勿論そう言ったわよ。でも、できればそこに生きた人間の悪意ってものがあった方がいいってあの人は言ってた」

 生きた人間の悪意。少しだけ分かる気がする。この世界に存在する有象無象、現実世界の人間の投影である人形たちは、本人の行動を忠実になぞった反応を返す。それはとても忠実だが、忠実すぎて……タネを知っていれば、薄気味悪くさえ感じられるものだった。
 形だけを真似た人形の空虚な悪意より、本物の人間が持つ悪意をもってして鍛えるべき、それは正論のように思えた。
 ……だったら、仕方ないか。はぁ、と一つため息をつく。

「……やれやれ、気は進まないけど」
「……あんたはそれでいいの、勝沢?」
「高宮?」
「私には、そんなことまでやらされる必要があるとは思えない。そもそも、今の直枝は気に入らない。あの子の想い人である資格なんかないと思う」

 うわ、呼び方が“直枝君”から“直枝”になってる。しかも口調も微妙に荒くなってるし。

「別に直枝が悪いわけじゃないのは分かってるわよ。直枝は前回の世界でのことを覚えていない、そういう風に出来てるんだから。でもあんな風に毎回毎回別の女の子にちょっかいかけるのは、正直見てて腹が立つわ。全員かどうかは知らないけど、少なくとも能美さんとはやることやっちゃってるみたいだし。事情を知らずに見れば、ただの最低の女たらしじゃない。もしあれが素だってんなら、絶対あの子には近づけさせないわよ、汚らわしい」

 苛立ちを隠そうともせず、直枝に対する不満をぶちまける高宮。まあ、むつの前で言うわけにもいかないし、結構溜め込んでいたのだろう。
 はぁ、とまたため息を一つ。普段は結構クールなくせに、むつのことになるとすぐムキになるんだから。

「高宮ぁ、あんたほんっっっと、むつに対しては過保護よねぇ」
「うっさいわよ、バ勝沢。そんなのあんただって同じでしょうに」
「……まあ、何ていうか、さ……」

 むつってば根暗だし特に成績がいいわけでもないし運動音痴だし自信が無くてオドオドしてばっかだし優柔不断だしすぐ涙目になるしひんにゅーだしで結構ウザいと思えてしまうときもあるけど。
 ……ほんと、いい子なんだから。

「……何ていうか、ほっとけないのよね」

 きっと、あたし達三人がこの世界にイレギュラーとして紛れ込んだのだってそう。むつは、直枝を。あたしと高宮は、そんなむつを。それぞれ心配して、黙って見てはいられなかった。

「あの子、まだ十八歳なのよ? まだまだあの子の人生これからのはずでしょ? なんでこんなバス事故なんかに遭わなきゃいけないのよ……」
「おいおい、そこに関しちゃあたしたちも同じなんだけど? っつーかおばさん臭いよ高宮」
「私たちはまだいいわよ。それなりに好き勝手やってるんだもの。でもあの子は自分のやりたいこともろくにできなくて、いっつも隅っこでべそかいて……」
「……だからせめて、一度くらい日の目見させてあげたくてやってるんでしょ? あたしたちはさ」
「そう、だけど……」

 背を丸めて俯く高宮の背中にぽんと手を置く。
 高宮の言っていることは分かる。でもここまで来たのなら、やり遂げようというのがあたしの考えだった。
 その嫌がらせには、『できれば』生きた人間の悪意があった方がいい、という話だ。つまり、あたしらがやらなければそこらの人形にやらせるのだろう。だったらどっちにせよ来ヶ谷と直枝が嫌がらせを受けることには変わりない。
 それにこう言っちゃなんだけど、相手が来ヶ谷でまだ良かったと思える。あの集団の他の女子メンバーのうち、神北、棗、西園、能美の四人にそういう嫌がらせをするってのは相手の性格から言って洒落にならない。三枝に至っては自分のクラスで嫌がらせを受けているからこっちのクラスに入り浸っているらしい。その上でこっちでも嫌がらせを受けるとか、いくらなんでもと思う。
 その点来ヶ谷は良くも悪くもそういう事をあまり気にしないように思えた。また、本質的には悪人じゃないんだろうけど、教師相手にもその尊大な態度を崩さなかったり、毎回のように数学の授業をサボり、しかも悪びれた様子もないその傲慢さには反感を覚えるのも確かだった。
 さらに、直枝に対してはさっき高宮が吐露したのと同様の不満をあたしだって持っている。毎度毎度別の女の子に手出ししてる姿には虫唾が走る。どうして生き残るのが杉並や高宮や自分じゃなくてあんな奴なのか、そんな妬みもある。
 だったらいいじゃないか。来ヶ谷や直枝にはちょっと痛い目を見てもらっても。そしてむつには想い人に告白する機会を与えられても。肝心のむつの想い人が他ならぬ直枝だというのは皮肉な話だと思うけど、そうなってしまったものは仕方ない。

「やろうよ、高宮。ここまで来たんだからさ。あの子に一回ぐらいいい目見てもらおうよ」
「それで、あの子自身に嫌われたとしても……?」
「それ、は……」

 痛いところを突かれて、思わず口ごもる。
 自分の友人が、自分の想い人に対して陰湿な嫌がらせをしていた。その事実を知ったとき、あの子はどうするだろうか。
 泣くのだろうか。怒るのだろうか。あたしたちを嫌うだろうか。いずれにせよ、このことを知ったところで杉並が喜びはしないのは間違いない。
 あたしたちのやろうとしていることは大きなお世話、余計なお節介なんだろう。自分でも分かっている。



 でも、だったら…… この世界は何だと言うんだ?



 直枝と棗妹を強くするための世界。そんなもの、一体誰が頼んだ? 直枝と棗妹が頼んだのか? そんなわけない。その事実を知った二人が、素直に喜べるか? そんなわけない。
 この世界自体が、頼まれもしない善意の押し付けで形作られた、お節介の塊みたいなものじゃないか。
 死ぬのは怖い。そうじゃないと言ったら嘘になる。あんなバス事故なんて認めない。そう叫べば無かった事になるのなら声が嗄れるまで叫んでやる。でも、それがどうしたって避けられないことなら……最後に、自分の心残りをなくす。それは、この世界を作った八人も、そこに迷い込んだあたしたちも同じはずだ。
 八人の心残りは、生き残る直枝と棗妹の未来への危惧。
 そして、あたしたちの心残りは……あの、ほっといたらどこまでも日陰の道を歩んでいって、惚れた男にも利用された上で捨てられそうな超絶地味内気根暗娘に、一度でいいから眩しい太陽の光を当ててやりたかったこと。
 たとえ、それが最後でも。たとえ、それが偽りのものであっても。たとえ、それがただの独善でも。

「……それでも、あたしはやるよ。あたし自身がそうしたいからするんだ。気が進まないなら高宮はいいよ。あたし一人でやるからさ」
「勝沢……」

 人に陰湿な嫌がらせをする罪悪感はあるけれど。肝心のあの子に嫌われるかもしれないと思うと怖くさえあるけれど。
 それでも、そうしたいんだから。あの日陰娘に明るいところで笑って欲しいというのは、紛れもないあたし自身の願いなんだから。
 そうか、高宮の言ってたあたし達は好き勝手やってるってのはこういうところを言ってたのか、と今更に気付き、苦笑がこぼれる。さっき高宮に言ったけど、あたし自身も大概むつに対しては過保護だと思う。

「……バ勝沢一人に任せられるわけないじゃない。やるわよ、私も」

 渋々と言った感じで高宮が言葉を漏らす。

「ねえ、高宮」
「何よ」
「直枝たちじゃなくてさ、むつやあんたが生き残るんだったら良かったのにね」
「……そうね、あの子や勝沢が生き残るのなら私も安心して逝けたんでしょうね」

 きっとそれが、あたしたちの本当の願い。でもそれが、どう足掻いても不可能なものなら……束の間のものでも、偽りのものでも、あの子の幸せなひと時を願う。
 そのためなら、他の人間には迷惑をかけるような独善的で最低なお節介だって焼く。

 ……いいじゃないか、この、お節介に満ち満ちた、お節介で作られた世界の中でなら。

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