フラグメント或いは舞い落ちる無限の言葉      大谷 晶広



 この物語の主人公は直枝理樹である。改めて言うまでもなく彼は無数の宇宙や世界や虚構や物語の狭間で、泡のように儚く、幽霊のように曖昧に、夢のように断片化しながら、水のように自在に流れ行く何か――無数の人びとに語られ、書かれ、物語化され、虚構化され続ける存在に他ならない。したがってひとが往々にして求めがちな神聖なる唯一の物語など何処にも存在しないということになるのだが、物語は何処からどのように語り始められても一向に構わないのだとその事実をここでは肯定的に捉えておくとして、さて本編の主人公である直枝理樹は、特筆すべき事柄のない至って平穏な高校生活を送った後、都会の大学に進学した。修学旅行中のバス事故? そんなものありはしない。バスの運転手は安全な運転を極めて円滑におこなった。事故で登場人物の全員が死ぬという暗い展開は誰も必要としていないし、事故で崖から転げ落ちてバスが爆発してなお全員生き残るなどというご都合主義極まりない展開は更に要らないと言ってよい。要らないと言ってよいのでバス事故は存在しなかったのである。それでは虚構世界が誕生しないではないかと心配する向きには安心していただいて構わない。バスが崖から転落するとい
った決定的な一瞬が存在せずとも虚構世界などとっくの昔に誕生しており、勝手な場所から勝手に生成して勝手に展開し、勝手に増殖し続けて何処まで行っても終わりがないからである。そんな世界の只中にあって理樹は友人たちと共に大過なく高校を卒業し、大学に合格し、今ここでこうして鈴との二人暮らしを開始しようとしている。二人暮らしとは同じ部屋で二人の人間が一緒に暮らすことである。とすれば二人は何やらそのような関係であるかの如きだが、二人は未だ名目上は単なる友人で、これは大学が近くにあるからという理由でなし崩し的に決定した同居であった。具体的には以下のとおりだ(1)。
「ん? お前ら学校近いな。家賃勿体無いから一緒に住めよ」
「んなことできるか馬鹿兄貴ーっ!」
「え? 嫌なのか?」
「僕は別に嫌じゃないけど……」
「うーみゅ、そう言われてみればあたしも別に嫌ではないな」
「じゃあ決定な」
 しかしここで理樹は鈴との同居を拒否することも可能だった。その際に交わされる会話は具体的には以下のとおりだ。
「ん? お前ら学校近いな。家賃勿体無いから一緒に住めよ」
「んなことできるか馬鹿兄貴ーっ!」
「ええー、さすがにそれはまずいんじゃないかな、恭介」
「そうか、そうだよな。まずいよな」
 こちらの道を辿った場合にはその後、(2)一緒には住まなかったけれど家は近かったので鈴が理樹の家に入り浸り、そのせいで結局一ヶ月くらいでくっついて、半年後に鈴が理樹の部屋に転がり込んで後は同じ展開、という未来に進むことも、(3)一緒には住まなかったけれど家は近かったので理樹が鈴の家に入り浸り、そのせいで結局一ヶ月くらいでくっついて、半年後に理樹が鈴の部屋に転がり込んで後は同じ展開、という未来に進むことも、(4)一緒に住まなかったせいで鈴以外の女性と仲良くなりかけた理樹だったが、彼女は実は能力者であり、その出会いによって力を覚醒させた理樹は組織の下で様々な活動をこなしていくも、ある日任務の最中に遭遇した敵側の能力者が恭介で、壮絶な戦いの末に相打ちに終わってどちらも死亡するが、鈴はそんなことは露知らず家でテレビを見ている、という未来に進むことも、(5)一緒に住まなかったせいで鈴以外の女性と仲良くなりかけた理樹を鈴が刺し殺し、恭介が号泣して理樹をサイボーグとして復活させ、その技術の流用によって量産型直枝理樹の開発に成功するが、そのうちの一体がオリジナルの記憶を蘇らせて復讐のために鈴を刺し殺し、恭介が号泣して鈴をサイ
ボーグとして復活させ、その技術の流用によって量産型棗鈴の開発に成功した結果、量産型直枝理樹と量産型棗鈴の日本全土を巻き込んだ戦争が勃発する、という未来に進むこともありえただろう。斯様に彼らの人生は無数の未来へ向かって開かれているのである。そんな沢山の未来の中から(1)を選んでお話を先に進めよう。
 さて一緒に住んでれば元々仲はいいのだから一週間で事は進展する(1)。しかしここで理樹はその時期を早めることも遅くすることも台無しにすることも可能だった。言い換えれば、(2)二人暮らしの始まったその日の晩に理樹が不埒な行為に及ぼうとして一度はぶん殴られるも、鈴も別に嫌ではないので最終的には素直に行為に及ぶ、という未来に進むことも、(3)へたれなので理樹が一ヶ月くらい手を出しかねていたところ、ぶち切れた鈴に逆に襲われ以下はほぼ同じ展開、という未来に進むことも、(4)二人暮らしの始まったその日の晩さえ待たず真昼間から不埒な行為に及ぼうとして理樹が蹴り飛ばされ、倒れて頭を打ってそのまま植物状態となるが、鈴はずっと理樹のことを待ち続け、十年後理樹は遂に目覚める、という未来に進むことも、(5)理樹は植物状態となった後、現代医学では治療は不可能と判断されてコールドスリープを施され、鈴も一緒に眠りに就き、六百年の時を経て再び目覚めた二人の前には地球外生命体との半永久的な戦争に突入した地球があって、適性を見出された二人は人型兵器を駆って地球外生命体との最終決戦に臨む、という未来に進むこともありえたのだ。斯様に彼らの人生は無数
の未来へ向かって開かれているのである。そんな沢山の未来の中から(1)を選んでお話を先に進めよう。或いは(5)を選んで欲しいという向きもあるかもしれないが、そんなひとにあっては人類対地球外生命体の激烈なる戦いを活写した一大巨編を手ずから妄想もしくは想像もしくは創作されるのがよろしかろう。ここではあくまで(1)である。
 ところで実質的に話はまだ始まってさえいない訳だが、始まってさえいないにもかかわらず理樹の生活の大体は決定されたと言ってよい。学生である。周知の通り学生とは生物学的に言って勉学とは無縁であり、悪事、誹謗、怠惰、傲慢、背信、などの語によって特徴付けられる生き物である。加えて同棲である。無窮の欲望と飽くなき放縦の虜たる十代後半、このたった二文字から如何なる罪深き展開が導き出されるかは最早自明と言う他ないであろう。可能性としては確かに、(1)学問に勤しみ、勤しみすぎてフランス現代思想とラカン派精神分析の不毛の沼地に脚を踏み入れて沈み込み、沈み込みすぎて知と学の人間として今後生きていこうと決意するに至る、という未来も、(2)学問に勤しみ、勤しみすぎて日本近代文学百五十年の歴史の泥沼に脚を踏み入れて沈み込み、沈み込みすぎて文学に一生を捧げようと決意するに至る、という未来も、(3)学問に勤しみ、勤しみすぎて溢れる探究心を暴走させた結果師事していた文化人類学の師に研究室から放逐され、仕方なく自ら南アメリカ大陸に赴き現地のとある部族の集落で参与観察を実施する最中、現代に残されたイエス・キリストの血液の伝説を巡ってナチスドイツ
の残党との抗争が開始される、という未来も、(4)学問にさえ頓着せず瞑想に瞑想を重ね、人生と人間の真理について真摯に考えを巡らせる、という未来も、なくはなかっただろう。しかし学生であり同棲であるので、やはりここはめくるめく倦怠と懶惰、まことに不埒かつ不純な所謂一つの交渉の日々へと突入するのである(5)。
 そうしてめくるめく倦怠と懶惰、まことに不埒かつ不純な所謂一つの交渉の日々を送っていた二人であるが、それは具体的にはどのようなものなのだろうか。
「だ、駄目だ理樹、そこは……」
「鈴はこういうの嫌なの?」
「別に、嫌というわけじゃ……ひあぁっ!? り、りきぃ……」
 我々の品位と節度のためにもこれ以上の再現的な描写は控えるが、さしあたり以上のような台詞を伴いながら、互いの凹凸をその形状に則って然るべくあてがい、真剣に描写するにはあまりにも滑稽かつ単調な動作を、多くの場合は前後に繰り返すものだと言って間違いはない筈だ(1)。しかしここで想像力を逞しくしてみるのも無駄ではないと思われる。理樹、という名前を冷静に眺め、性別を男性に特定する名では必ずしもないと気付く時、我々の前にはたとえば、かのフランス王家の紋章に用いられた美しき花の名を冠して謳われるある想像力への道が開かれることだろう。フランス王家の紋章に用いられた美しき花とは百合であり、つまりは以下のとおりである(2)。
「だ、駄目だよ、鈴、ボクたち女の子同士だよぅ……」
「なんだ、理樹はこんなふうにされるのは嫌なのか?」
「ひゃっ、鈴、んっ、あぅ……嫌じゃないけど……恥ずかしいよぉ……」
 我々の品位と節度のためにもこれ以上の再現的な描写は控えるが、さしあたり以上のような台詞を伴いながら、然るべくあてがう凹凸といったものは特に存在しないため、後はご自由に妄想もしくは想像もしくは創作していただいて構わない。そうして(2)は各々の妄想もしくは想像もしくは創作に委ねるとして、ここで選ばれるのは勿論(1)である。むしろ(2)を選べ、是非とも(2)を、(1)なんて知らねえよという罵倒と雑言、罵詈に讒謗の空耳が響いて仕方ないのは空耳である以上は勿論気のせいなのだ。さて概ねそのようにして続いためくるめく倦怠と懶惰、まことに不埒かつ不純な所謂一つの交渉の日々は、初夏に恭介から突如入った電話によって一時的に中断される。高校時代に結成されていた野球チームの面々で、連休を利用して海へ行こうと言うのだ。
 ここに至って物語は漸くその本筋に入った。本筋とはこの場合、理樹たちが海へ行くことである。そう、これはあくまで理樹たちが海へ行く物語だったのであり、ここまでに費やされた記述は物語を正しく理解するために必要な解説、注釈、説明の類に過ぎなかったのだ。というわけで二人は恭介の申し出に即座に承知して旅行の準備を始めた。さてここでもまた例の拡散的な力学が働いて、(1)恭介の運転する車で海へ行く、(2)電車で海へ行く、(3)やっぱり海へ行かずにめくるめく倦怠と懶惰、まことに不埒かつ不純な所謂一つの交渉の日々を続ける、という三つの道が開かれることになるが、(1)の場合には恭介の運転する車が、狭い山道を走っている最中に突如として崖から転落し、その後は我々のよく知るところの、事故で登場人物の全員が死ぬという暗い展開は誰も必要としていないし、事故で崖から転げ落ちて車が爆発してなお全員生き残るなどというご都合主義極まりない展開は更に要らない、つまり二重の意味で不必要なあの物語の幕が数年遅れで開かれる。このように執拗に世界が分裂する場にあって、単一の虚構世界から単一の現実世界へと脱出する、という単純な枠組みを今更持ち出すのは些か滑稽
であるし、第一そんな展開は必要がなく、海へ行く物語であるという本編の原理に抵触する(3)もやはり避けておくべきであるとすれば、ここはまず(2)が妥当であろう。
 電車が崖から落ちるという無茶苦茶な出来事はさすがに起きない(1)。いや、起きても全く構わないが(2)、ここではとりあえず起きないということにしておこう。理樹たちは無事に海に辿り着いた(1)。いや、海に向かっていたはずが山に辿り着いてしまっても全く構わないが(2)、ここではとりあえず無事に海に辿り着いたということにしておこう。それにしても彼らは海になどやって来て一体何を企んでいるのだろうか。何せ、悪事、誹謗、怠惰、傲慢、背信、などの語によって特徴付けられる、無窮の欲望と飽くなき放縦の虜たる十代後半の連中の集まりである。可能性としては確かに、(1)遠泳や水の掛け合いや西瓜割りなどをして三泊四日を健全に過ごす、ということもなくはないだろう。しかしそれとて(2)遠泳で遠くまで行き過ぎて恭介が沖に流されて行方不明になり、水の掛け合いが放り込み合いに発展した挙句真人が水没して浮かんでこず、木刀を使い慣れた謙吾が西瓜割りを試みたところ使い慣れすぎていて犠牲者が多数出るなどして三泊四日を健全に過ごすつもりが実に不健全に過ごした、という展開に容易になりうるのであって全く始末に終えないが、更には次のような展開だってありうるのだ
。(3)夕食に毒が盛られて直枝理樹が死亡し、名探偵棗鈴が捜査を開始する。バーベキューの行なわれた砂浜に足跡はなく外部犯の可能性は消え、各人のアリバイが次々と立証されていく中、唯一アリバイの成立しない神北小毬が犯人として浮かび上がった。その朗らかな仮面の下に覆い隠していた黒く冷徹な素顔を露にし、理樹のグラスに毒を投じたというわけである。なんという卑劣な犯行か。神北小毬、許すまじ。無論彼女がそのまま犯人であってもよい(3´)。しかしここで名探偵の推理が冴え渡る。なんと一瞬の間隙を突けば井ノ原真人にも犯行が可能だったのだ。したがって、井ノ原真人が筋肉のない理樹に少しでも筋肉をつけてやろうという全くの親切心からグラスにプロテインを入れたところ、それは実は事故で青酸カリに摩り替わっており服した理樹が死亡する結果となった、という悲劇がその後に明かされても構わないだろう(3´´)。或いはその摩り替えが、朗らかな仮面の下に黒く冷徹な素顔を覆い隠した神北小毬の手によるものだった、との展開も十分にありうる(3´´´)。だが、事態は更に凄惨な様相を呈するのだ。
「きょーすけ、お前のアリバイは確かに、この醤油に塗れたキュウリで立証された。でもそれこそが巧妙なトリックだったんだ。きょーすけのアリバイを崩し、理樹殺しの犯人だと証明するものは、そう、いつの間にか脱がされていたこまりちゃんのぱんつだ!」
 暫く目を瞑って黙り込んでいた恭介は、不意に短く笑ったかと思うと、「そのとおりだ。よく見破ったな、鈴」と呟く。その時鈴は、涙を浮かべながら恭介の襟首を掴んで締め上げ、次のように言うだろう。
「馬鹿兄貴! どうして理樹を殺した!」
「理樹が俺の手から離れて、お前のものになってしまったからだ。俺のものにならないのなら、いっそこの手であいつを――」
 嗚呼、かつてあれほど仲の良かった兄妹が、一人の男を愛してしまったが故に斯様な愛憎劇を演じ、斯くも悲痛なる結末を迎えるなど一体誰が予測したであろうか。誰も予測しない。と言おうかあまりしたくない。したくないのでこの展開はさしあたり選ばれないのであり、(4)突如としてテロリストに占拠されるホテル、人質に取られた恭介達を救うために、たった二人自由の身である鈴と理樹が銃を手に取り敢然と立ち上がる――という展開や、(5)砂浜で楽しいひと時を過ごしていた面々の目の前に突如として降り注ぐレーザー光線、人類が誕生して以来月の前線基地で侵略の機会を窺っていた火星人たちが、その時遂に侵略の魔の手を差し伸べてきたのだ――といった展開もやはりどうかと思われるので、ここは大人しく(1)ということになるだろう。
 さてそうして彼らは三泊四日を健全に過ごした。初日は海を泳ぎ回った。それが健全な過ごし方だからである。二日目は海を泳ぎ回った。それが健全な過ごし方だからである。三日目は海を泳ぎ回った。それが健全な過ごし方だからである。しかしその健全さを打ち砕かんとする邪悪な意志がここで台頭するだろう(1)。いや、しなくても全く構わないが(2)、ここではとりあえずしたということにしておこう。邪悪な意志の持ち主は小毬と葉留佳とクドであった(1)。或いはそれは朗らかな仮面の下に黒く冷徹な素顔を覆い隠した小毬による煽動の結果であり、真に邪悪なのは彼女一人なのかも知れぬ(2)。しかしここではわかりやすく、邪悪な意志の持ち主は小毬と葉留佳とクドの三名であったとしよう。それでは他の人びとはどうであったか。美魚はパラソルの下でずっと本を読んでいるし、来ヶ谷は女性陣の水着姿を追い掛け回していればそれで満足そうだったし、鈴と理樹はめくるめく倦怠と懶惰の気分を引きずっているので一緒にいれば何一つ文句を言わないし、残りの男三人は基本的に何も考えていなかった。彼らは営々と海で遊び続けるというまことに健全なるおこないを健全に実行できる正義の偉人たちだっ
た。それに対して小毬と葉留佳とクドは邪悪なる意志をもって、海で遊び続けるその健全さを破壊しようとしていた。では彼女たちは具体的には一体どのような悪しき企みを抱いていたのであろうか。
「ふえーん、飽きたよー。他のことしようよー」
「肝試し大会なんかいいんじゃないですかネ、ほら、ホテルの裏に廃屋あるし」
「肝試しはちょっと……で、でも、他のことをしたいというのには賛成なのですっ」
 そう、彼女たちは、泳ぐのに飽きたと言い出したのである。海で泳ぐ以外の、別のことをしようと言うのである。より具体的には、肝試し大会などを一つ催してみては如何かな、などと提案するのである。肝試し大会とは肝を試す大会のことである。なんという悪辣非道、なんという驚くべき邪悪さだろうか。溺れたり水没したり西瓜割りで別のものを割ったりして数多の犠牲者を出すこと(2)でも、直枝理樹殺人事件(3)でも、テロリスト襲撃(4)でも、火星人襲来(5)でもなく、ごく普通に健全に過ごすこと(1)を現に選択した以上、幾ら彼らの人生が無数の未来へ向かって開かれているとは言え、既に選び取ったその選択肢までをも翻したり、翻しえた可能性があったと考えたりすることは大変に非倫理的であると言わざるをえないのである。したがって初日にひたすら海を泳ぎ回り、二日目にひたすら海を泳ぎ回り、三日目にひたすら海を泳ぎ回り、四日目にひたすら海を泳ぎ回る、このようにしない者は大変に非倫理的なのであり、それ故に小毬と葉留佳とクドは非倫理的だった。
 ここで彼女たちの邪悪なる意志に屈し、海で泳ぎ続けるという正義の遂行を中断することも或いはありえただろう(1)。ひたすら海で泳ぎ続ける理樹たち正義の人びとは端的に言って無計画なのであり、成程確かにそれも面白そうだ、やってみよう、などと考えて肝試しの準備を始める光景は容易に想像できるためである。その場合海で泳ぎ続けるという正義は脆くも崩れ去り、この三泊四日にあって泳ぎ回る以外に唯一実施された例外的な出来事、肝試しが、三日目の夜に招致される運びとなろう。しかし我々はあくまで過酷すぎるほどに倫理的でなければならなかった。そうでなければならないので邪悪なる小毬と葉留佳とクドの考えは退けられ、延々と海で泳ぎ続ける道が選ばれるのである(2)。斯様にして我々は邪悪を打ち払い、無数の未来へ向かって開かれている人生に、倫理と責任と正義をもたらさなければならない。
 こうして倫理と責任と正義の名の下、驚嘆すべき単調さと無窮の退屈さとこの上ない滑稽さとを存分に発揮した三泊四日が終了し、朝が訪れた(1)。いや、時がとまったり(2)、時空が歪んだり(3)、次元が断裂したり(4)して朝が訪れなくなっても全く構わないが、ここではとりあえず訪れたということにしておこう。まだ他の面々が起きていない時刻のこと、理樹と鈴は二人で手をつないで砂浜を散歩していた(1)。いや、していなくても全く構わないが(2)、ここではとりあえずしていたということにしておこう。やがて砂の上に座り込み、漣の音に耳を傾けながら海を眺め始めた二人の脳裏に去来するのは、楽しかった時間の終わりという真っ当な事柄である(1)。まことに不埒かつ不純な所謂一つの交渉の機会が一度もなかったことを嘆いている(2)、というわけではないし、まるで一定のデータベースに基づいた物語素とキャラクターとを有意味に配列し、文字列として出力することで無限の虚構世界を半自動的に生成するシステムが何処かに存在してでもいるかのように、斯くも複雑な分裂と分岐と拡散を延々と繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返した挙句今もこうして繰り返して単線的な物語の進
行を執拗に阻み、その結果話が一向に進まないことを嘆いている(3)、というわけでもない。尤も話が全然進んでいないのは厳然たる事実だし、何より今ここにこうして登場した一つの比喩――一定のデータベースに基づいた物語素とキャラクターとを有意味に配列し、文字列として出力することで無限の虚構世界を半自動的に生成するシステムという比喩は、我々を不断に貫き続ける分裂的な力を鑑みるに如何にも示唆的ではないだろうか。こうして図らずも虚構世界の無限の生成の仕組み、世界の真実の一端が明かされたわけであるが、これはあくまでも(3)の話であって(1)の鈴と理樹には関係がない。(3)を選べば或いは世界の真実を巡る真摯なる思考がこの後に展開されるのかもしれないが、幸福なる生を生きるためには無知と蒙昧の只中に留まって世界の真実から目を背けるべきであるのは言うまでもない。故に(1)である。
「なんだか一生分泳いだ気がするよ」
「馬鹿兄貴は馬鹿だからな。泳ぐことしか考えてない」
「でもまあ楽しかったしいいんじゃない?」
「まーそうだな」
 そのように会話を交わした後、不意に黙り込んで見詰め合う二人は一体何を企んでいるのだろうか。ひと目につかぬ岩場に移動した後、三日間に渡って抑え付けられてきた欲望をここぞとばかりに解き放ち、めくるめく倦怠と懶惰、まことに不埒かつ不純な所謂一つの交渉の日々を再現しようとしているのだろうか(1)。或いはひと目につかぬ岩場に移動さえせずにそのまま砂浜で、三日間に渡って抑え付けられてきた欲望をここぞとばかりに解き放ち、めくるめく倦怠と懶惰、まことに不埒かつ不純な所謂一つの交渉の日々を再現しようとしているのだろうか(2)。それともそのような欲求に由来する身体的接触をおこないつつも、互いの凹凸をその形状に則って然るべくあてがうことだけは自重するのだろうか(3)。更に自重して、口吻程度に留めておくのであろうか(4)。しかし選ばれたのはそのどれでもなく、手を取り合って立ち上がるという実に健全なものだった(5)。無限の理樹が同時に立ち上がっただろう。無限の理樹が同時に立ち上がらなかっただろう。彼らがその後どうするのかは知らないが、僕は、鈴の手を引き、その細い体を抱き寄せた。
 吃驚させようと思ってのことだったのだけれど、鈴は慌てる様子もなしに「どうしたんだ?」と僕に言った。それが悔しかったので、頭に顔を寄せて、「鈴の髪の毛、いい匂いがするね」と言ってみた。
 ばーか、と返された。

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