春秋

     浜村 ゆのつ


 世界が崩れていく。
 空が、山が、そして、誰もいない街が白く染まり、消える。不思議な景色だ、何もかもが消えていく。見慣れた校舎も、まもなく見えなくなるだろう。
 いつの間にか風がやんでいる。もう、それすらも維持できないのか……
 俺たちが作り上げた世界が、その役目を終えて消え去る。そして、俺たちも。
 空に漂う自分、真人の姿はどこにも見えない。まぁいい、俺もすぐ行くさ、最後まで見届けたらな。

 理樹と鈴が、手をつなぎ、そして駈けだした。校門へと……

 恭介は、それを泣きながら見送っている。なんだ、人に泣くのは許さないとか言っておきながら、大泣きじゃないか。
 あいつらの方がよっぽど強い、俺たちが守る必要なんてどこにもない。
 だから……もう大丈夫だ。今のお前達ならきっと生き残れる、生き残れ。そして、月並みだが俺たちの分まで幸せになってくれ。
 俺は古式を救えなかった、古式を救えるのは俺だけだったのに……救えなかった。あんなのは一度で十分なんだ。

 二人は走る。振り向かず、駈ける。

 いいぞ、それでいい、振り返る必要なんてない、未来へ走れ。その為に、その為に俺たちは集まったんだ。
 幸せだった、最後の最後で、リトルバスターズは今までで最高のミッションをやり遂げたんだ。大切なものを、大切な仲間達と共に残すことができた、最高に幸せだったさ。

 二人が消えた、校門の向こうへ。

「健闘を祈る、友よ」
 もう聞こえる事はないだろう、だがもう姿も見えない二人へと言葉を贈った。どうか、二人の前途に幸運を。





 二人を見送った後、ぼんやりと空に浮いた。死んだ後はどうなるのか……それはわからない。わからない以上、じたばたしても仕方あるまい。
 だが、仲間と共に逝けるのならばそれもまた幸せかもしれない。それに向こうには古式もいる……許してもらえるかわからないが、もしかなうならば、今度こそ、今度こそ彼女と共に未来を目指したい。
「ふっ死んでは未来もなにもあったものではないか……」
 間抜けな思考に自嘲する。死……その先に何があるのか?

 最後の喧噪が消えて、世界が崩れる音だけが響く。
 白い、もう、学校以外の全てが消え去り、そして、まもなく俺も……

 目をつぶる、初めて感じる浮遊感に身を任せ、ただ静かにその時を待つ。

「……さん」
「……宮沢さん」
「……?」
 声が聞こえる、どこかで聞いた声が……古式? 今際の際に彼女の声が聞こえるとは……我ながら未練たらしい。
「宮沢さんっ!」
 とても楽しそうな、弾んだ声。
 違うな、古式はこんなに明るくはない、誰だ?
「みーやーざーわーさんっ!」
「ぬおっ!?」
 突如として衝撃を感じ、思わず回転しながら受け身をとろうとする。いや待て、浮いているのに受け身をとる気か俺は?
 目を開ければ、見慣れた校舎が回転している。うむ、恭介の奴なかなか面白い仕掛けを……するわけはないな、俺が回っているのか。
 何かが抱きついている、柔らかい……人?

 一度全てを受け入れていただけに、突然の変化には対応できない。思考がまとまらん、くっ俺は最期まで未熟なままか。

「くそっ!」
「きゃっ!?」
 強引に体勢を立て直し、抱きついていた何かを押さえ込む。何か……何故……
「……古式? 古式なのか?」
 腕の中の少女が恥ずかしそうに微笑む。古式だ……眼帯ももうない、二つの瞳が、俺を見ている。
 整った顔、長い髪……俺が、俺がこの世界でまで追い求めた彼女は、俺が夢見た通りの笑顔を見せて、言った。

「みゆきって呼んで下さい♪」
「茶番だっ! 恭介ぇっっっっ!!!」





















「……そうですか、私は宮沢さんに根暗女の代名詞のように思われていたんですね。精一杯明るい再会にしようと、慣れないながらも何度も何度も試行錯誤を繰り返しておりましたのに、まさか偽物扱いされるなんて……」
「あ……いや、その何だ。あんなに明るい古式はあまりに予想外だったからな、慌ててしまってつい……」
「つまり私には明るさなど似合わないと……そう仰るのですね」
「い……いや、そういう意味では……」
「そういう意味なんでしょう?」
「似合わないのではなく、今までの古式とは違いすぎていて」
「宮沢さんだって、リトルバスターズジャンパーなどというものを着てはしゃいでいたではありませんか、人間は変わるものなのです」
「……古式がそれを言うか」
「何か?」
「いや、何でもない」

 参った。
 最後の最後で、恭介の奴が悪戯でもしかけてきたのかと思って叫んでしまったが、どうも違ったらしい。考えてみれば、恭介はあれでもしてはならない事というのは知っている、知っていた上で行う事もあるが、それは恭介にとってそれ以上の何かを求める時だけだ。文字通り、いたずらに行うことはない。
 この期に及んで仲間を疑うとは、猛省を要する所であった。
 さて、目の前の古式は、すっかり機嫌を損ねて地面にのの字を書いている。非常に上手いのは言うまでもないが、そんなに見事なのの字を書かれても反応に困る。そういえば書道もやってるとか言ってたな……
 それにしても、のの字の為にわざわざ降りてきたのかとか、可愛くすねるのは似合わないからやめろとか、だが落ち込んでいるのは古式らしいとか色々な言葉が脳に浮かんで来たのだが、そんな事を言うとさらに事態が悪化しそうなので黙っておくことにした。俺は真人とは違うのだ。

それに……

「ふっ」
「……さらに笑いますか」
「あ、いや、そういう意味じゃないんだ。ただ……」
「ただ……?」
「嬉しかっただけなんだ。古式」
 そう、古式の姿は少し透けている、そして俺も。だが……
「また逢えた、古式に。そして初めて逢えた、明るい古式に……」
 恭介に聞かれれば、ロマンチック国連総長だの、ロマンチック総統だの言われそうな言葉ではあったが、別に構わない。
 古式に逢えた、そして、古式の笑顔を見ることができた。ならば、他の些末な事などは気にする必要もなかった。
「私もです……宮沢さん」
 古式がそう言ってこちらを見上げる。少しだけ染まった頬を、不覚にも綺麗だと思ってしまった。
 地面ののの字は、いつの間にかハートになっていた、これには触れないでおこう。





「すまない、古式」
 しばらく見つめ合った後、呟くように言った。俺が言いたかった言葉、言わなければいけない言葉……古式は不思議そうに首を傾げる。
「なぜ謝るのですか? さっきいじけていたのは冗談です。本気で謝らなくても……」
「いや、違うんだ」
 冗談です、の一言に古式らしからぬ新鮮さを感じつつも、姿勢を正す。
「俺は、古式を助けられなかった。挙げ句、この世界で好き勝手に……」

 古式は黙って首を振る。それは予想済みだった、古式は俺を責めるような人間ではない。むしろ、謝ってしまう方だ。
 だから俺は無理にでも続ける。これは俺のけじめ、未練……

「言わせてくれ、古式がどう思おうと、俺は……」
「助けてくれました」
「な……に?」
 予想外の言葉に、俺は言葉を止める。古式はまっすぐこちらを見つめている。
「助けてくれました。あなたは、身を挺して私を助けて、未来を与えてくれました」
「古式?」
 繰り返す古式、何を言っているんだ……そう言いかける。
 俺は古式を助けられなかった、助ける事ができたのはこの世界の中だけ。現実にできなかった事を、俺自身が満足する為だけに、古式の姿を使ってやっただけなはずだ。
 だが、古式は笑って首を振る。
「私は助けられたんです。私が自ら命を絶った後、あなたは自分を責めていました、この世界でも、あなたは自分の事を責め続けていました……私のせいで」
「違うっ! 古式のせいじゃない、俺の……」
 言いかけた言葉は、古式の笑顔で止まる。
「だけど、あなたは助けてくれたんです。この世界で、何度も何度も……そして、励まして下さいました。だから私は今笑顔でいられるのです」
「じゃああの古式は……」
 俺の言葉に、古式は頷く、笑顔で。
「そうか……」
 肩から大きな荷物がおりた気がした、とてつもなく巨大な荷物を……
 ああ……やはり俺は幸せだった、こんな幸せな最期を迎える事ができたのだ。もう、未練もない。

 気付けば、世界はとっくに白く染まっていた。俺たちがいる場所だけが、白いもやの中に取り残されたように浮かんでいる。ここは……
「懐かしいです」
「そう……だな」
 校舎の裏、俺が古式と話していた場所、だから古式はここに降りたのか……
 
 古式と並んで座る、昔のように、二人が生きていた時のように……
「宮沢さん」
「何だ?」
「呼んでみただけです」
「ふっ」
 馬鹿にするのではない笑い、古式も笑う。これにもっと早く気付くことができていれば、お互いに幸せだったのだろう。
 真面目に付き合うばかりではない、笑顔で悩みを笑い飛ばせるような会話をしていれば……
「……まぁ今更だな」
 そこまで考えて、ふと笑みをこぼした。だが、不思議と不愉快ではなかった、今更であっても、古式が笑っていてくれるのなら……
「そうでもないですよ。きっと、この気持ちは無駄にはなりません、全ての記憶を失って生まれ変わる時が来ても、あなたからもらった気持ちは、きっと私の中に……」
「ありがとう」
 俺の言葉に、古式は嬉しそうに微笑んだ。





「宮沢さん、ご案内します」
 しばらくして古式が言う。
「……そうか」
 俺の返事に彼女は手を伸ばし、俺はそれを握る。
「迎えに……来てくれたのか」
「はい」
 俺の問いに、少しだけ悲しそうな笑顔、古式の手は、冷たく、そしてほとんど感触がなかった。きっと、それは俺と同じなのだろうが……
 
 古式は軽く浮き上がる、俺もそれに続く。背後では、最後の世界が消えていく。もはや音も聞こえず、消えていく。
 この先に何があるのだろう……だが、古式と共にいられるのならば、少なくとも悪い場所ではないはずだ。
 だから、今度こそこの手を離さない。















 俺は浮いていた。ふわふわと……何もない世界に……
 光が見えていた。あの先に何があるのか……
 声が聞こえている。古式……そうだ、共に……

「今の私は、もう春秋を重ねる事はありません、あなたと同じ季節を生きることもできません。春に桜を見る事も、夏に水辺ではしゃぐ事も、秋の月を見上げることも、冬に身を寄せ合う事もできません。でも、季節は巡る、いつか、いつかきっとあなたと巡り会える」

 古式……?

「私は弱いまま死んでしまった。でも、もう宮沢さんから勇気をもらえました、次は、きっと強く生きられます」

 何を言っているんだ……古式?

「宮沢さん、今までありがとうございました。本当に、本当にありがとうございました」

 古式、古式!

「どうか、お元気で。あなたなら大丈夫、強く生きて下さい」

 駄目だ、古式、君も……

「次に出会った時には、どうか私もあなた方の仲間に入れて下さい。とても強い……あなた達の仲間に……」

「古式っ!!」

「さようなら、宮沢さん。そして、またいつか……逢いましょう」



















 目が覚めた時は病室だった。
 全身に走る痛みが、生きている事を伝えてくれた。
 俺は生きていた。
 恭介は重傷だったが、俺たちは、皆、一人も欠けることなく生きていた。

 奇跡……そうとしか言いようがない出来事。
 あの世界は一体何だったのだろう? 俺たちの作り上げた世界は……
 俺たちが作った世界には、俺たちしかいないはずだった。だが、彼女はあの場所にいた、確かにいたのだ。





「古式……」
 夜、誰もいない病室、天井に手を伸ばす。
「いつか、また逢おう。その時は君も……」
「「リトルバスターズの一員に」」
「っ!?」

 重なる声に周囲を見回す。夜の病室は、暗く、誰の姿も見えない。だが……

「ふっ、お茶目になったじゃないか」
 そう言って、目をつぶる。
 病院は静かだ、いつかの世界のように静か……
 
 俺はそのまま眠りにつく。強く生きるために、古式といつかまた出逢えるように……

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