「あぅ〜、あっ、あぅ〜」

 どこかの部屋から漏れる奇妙な音に目を覚ました。
 奇妙な音っつーか、声?

「あぅ〜あぅ〜」

 「あうあう」うるせぇ。
 この声で、この安眠妨害な音の発生源を大方特定することが出来た。
 こんな奇声を発するバカは、この家に一人しかいない。
 これで、実は名雪の寝言でした、とかいうオチだったらズッコケるが。

 音の発生源を目指して廊下に出る。
 思ったとおりの部屋から明かりが漏れていた。

 ――あの記憶喪失の悪戯小娘め。

 俺は普段の仕返しとばかりに、抜き足差し足で「水瀬家の核弾頭」こと沢渡真琴の部屋へと向かった。






今夜は漫画談義






「あぐっ、あう〜」

 しかし、今日のアイツの声はいつもとバージョンが違うなぁ。
 何か妙なアドリブがあるというか。

 真琴の部屋の前に着いた。
 アイツの部屋のドアには『無断進入厳禁! 特に祐一! 入ったらコロすわよぅ!』と書かれたホワイトボー ドがぶら下がっている。
 勿論、そんな警句など俺が守ったことはないが。
 不法侵入は男の生き様なのだ。

 音を立てないように注意しながら、そろ〜りとドアを開ける。

「あぅっ、あう〜」

 目標は、寝転がって何かを読んでいるようだ。
 十中八九マンガだが。
 ちなみに真琴はドアに背を向けるようにして読んでいるので、こちらに気づいた様子はない。

 ――これは、好機。

 キラリンコと俺の両目が夜の闇の中で光る。
 獲物を狙う鷹の目である。
 そして俺は、手の中にある今夜のエモノを取り出し、唇を歪めた。

 それは、水を冷やしたら出来るもの。
 ぶっちゃけ氷である。
 先程、水瀬家の冷凍庫から2、3個失敬してきたのだ。

 このダイナマイトにも勝る爆撃兵器を、そこでのんきに寝そべってマンガを読みくさる自堕落あぅあぅ娘の 首筋目掛けて一斉投下してやるのだ。

 忍び足で、真琴の背後に近づく。

「あぅ〜、あぅ〜」

 まだ気づかれた様子はない。
 やべぇ。
 まだミッションコンプリートしたわけでもないのに自然と顔が歪む。
 笑いを抑えきれないというのはこのことか。
 声こそ出してはいないが、俺の顔には明らかに愉悦の色が浮かんでいたはずだ。

 そして、目標の位置に到着した。

 ――3、2、1……

 心の中でカウントダウン。

 ――ふぁいあっ!

「うりゃ」

 ボトボトボト。
 氷3発は首筋に着弾後、背中へと滑り落ちていく。

「――ん? はわっ! ひゃあッ……………んぐっ! んん〜〜〜っ!!!」

 叫び声をあげそうになる真琴の口を強引に塞ぐ。
 ここで叫び声をあげられたら、水瀬家に於ける俺の立場が危うい。
 ロリコンレイパー祐一とか、妙な二つ名が付きそうだし。

「んん〜〜〜っ!! ……プハッ!! ぜ〜〜、ぜ〜〜」

 俺の手から逃れた真琴は、荒い息をつく。

「おう、こんばんわ真琴!」
「……って何で爽やかに挨拶してんのよっ! なにすんだこの相沢祐一っ!」

 うがーっと威嚇する真琴。

「アンタ、ドアの外の文字読めないのっ! 入ったらコロすって書いてあるでしょっ!!」
「お、ポテチもーらい」
「人の話を聞けっ!!」
「まぁ落ち着けや真琴。な? ほらポテチでも食べて」
「あむあむ」

 何故かポテチで懐柔成功。
 何でだ?
 元々あいつのポテチなのに。

「あむあむ」

 謎だった。

    ☆   ☆   ☆

「ほうほう、バイトして新しいマンガ買ってきたのか」
「そうよっ! フフン、わたしは祐一みたいなゴクブツシとは違うんだから」
「偉そうにふんぞり返ってるとこ悪いが、『ゴクブツシ』ではなく『ゴクツブシ』だからな」
「細かい所はいいのっ」
「へいへい」

 ビリビリ。
 二つ目のポテチの袋を開ける。
 つーかなんでこんなにあるんだ、ポテチ。

「それで? どんなマンガなんだ?」
「これこれ。すっごく感動するの。祐一が読んだらきっと涙流しすぎて部屋が黒部ダムみたいになっちゃう わよぅ」

 よく分からん例えだった。
 ほれ、と差し出してくるので、手にとって見る。

「ああ、これ『最終兵器彼女』じゃないか」
「あぅ? 祐一、知ってるの?」
「あったりまえだ。結構有名な漫画だぜ? これ」

 ふーん、と改めてその漫画を眺める真琴。

「祐一も読んだの? この漫画」
「ああ、結構前だけどな」
「アンタも泣いたんでしょ? 正直に白状しなさいよぅ、このこの」

 グリグリと肘で押される。
 そんな嫌がらせにも負けずに俺はポテチを摘む。

「まぁ正直に言うとな。かなーり泣いたよ」
「やっぱりねっ! で? 祐一はどこで泣いたの?」

 うーん、と考える。

「アケミが死んじゃう所かな、やっぱ」
「ふーん、わたしはね、最後のほうでシュウジがお父さんとお母さんを置いて、ちせのところに行っちゃう 所」

 そう言って真琴は、ほらここ、と漫画のページを開いて俺に見せてくれる。

「きっとね、シュウジはお母さんのこともお父さんのこともすっごく大好きだったと思うの。でも、そんなお父 さんとお母さんを置いていかなきゃいけないほど、シュウジはちせのことが大好きだったってことでしょ?」

 うんうん、と相槌を打つ。

「わたしね。なんだかその時のシュウジの気持ち、すっごく良く分かる気がするんだ」

 そう言って真琴は何かを思い出すような遠い目をした。

 自分の母親とか父親のことを思い出しているのだろうか。

 そう言えば、大好きな漫画のこととは言え、こんなに雄弁な真琴というのも珍しい。
 明日は雪だろうか。
 って今は冬なんだから、雪が降ってもおかしくないだろうが。

「お、もうこんな時間か」

 時計を見るともうすぐ2時を回ろうかという所だった。
 また朝が辛いぞ、こりゃ。

「祐一、もう寝る?」
「ああ、明日というか今日も朝早いしな」

 そう言って立ち上がると、真琴は少し残念そうな顔をした。
 もっと話したいことは沢山あるんだよ、と言いたそうな顔だった。

「また明日色々教えてやるよ。その漫画はアニメとか映画とかにもなってるしな」
「ホントっ!? 見たい見たいっ!」
「ははっ、じゃあ明日はレンタルビデオにでも行くか?」
「うんっ」

 途端にぱぁっと嬉しそうな顔になる。
 もしもこいつに尻尾があったなら、今頃千切れそうなほどブンブン振られていることだろう。
 ――全く、現金なヤツ。

「んじゃ、もう寝るわ。お前も早く寝ろよ」
「うん。おやすみ、祐一」

 立ち上がってドアのノブに手をかける。

「祐一」

 出て行こうと思ったら、突然後ろから声をかけられた。

「何だよ」

 そう言うと真琴は、ぱっと悪戯っぽい目付きになる。

「祐一も、シュウジの3分の1くらいカッコ良い男だったらよかったのにねー」

 にやり。
 そうとしか形容出来ない真琴の笑顔。
 ちぇっ。
 元々真琴をからかうために起きてきたのに、どっちがからかわれてるんだか分からない。

「うっせ。お前もちせの5分の1くらいは可愛くなれよな」

 バタン。
 最後に憎まれ口を叩いてドアを閉めた。
 部屋の中からは、なにやらギャーギャー騒いでる声がする。
 しかしまぁこれくらいの音なら、秋子さんを起こしてしまうこともないだろう。
 俺はそんな真琴を放置して、部屋でさっさと寝ることにした。

 布団を被り、次の朝のことを思い浮かべる。
 いつも通り名雪を起こして、学校まで走って。帰って来たら、バイトで疲れたお嬢様をレンタルビデオに連れ てってやるとするか。
 明日の一日が描けた瞬間、眠気が強烈に襲ってきた。

 不意にアイツの悪戯の気配を感じたような気がした。
 まぁそれもいいかと今回は放置することにする。
 さっきは俺もあいつに悪戯したし、これで何かされても1勝1敗だ。
 勝率イーブンなら、悪くはない。

 目が覚めたら朝であることを祈って、俺は眠ることにした。




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