「俺っ、佐祐理さんのことが好きだからっ!!」


 祐一は布団を跳ね飛ばして、弾かれるように起き上がった。夢の内容を反芻するまでもない。昨日の夢だ。 握り締めた手のひらにはびっしょりと汗をかき、呼吸はまるで1500m走をこなした直後のように荒く、心臓 の動悸はまるで静まる様子がない。
 ――昨日の、佐祐理さんへの告白。
 前後の脈絡などまるでなく、文脈の整合性などは皆無。正しく思いつきの突発的な行動、考える前に口か ら飛びしちゃった、というヤツだ。今になって酷く後悔しそうな気分になってきた。異性に告白するという のは、実は祐一にとっては初の経験だった。一生に一度しかない大切な大切な初体験を、選りによってあの ようなザ・キング・オブ・修羅場な場面で繰り出してしまうとは。
 ――告白する時っていうのは、もっとこう、なんと言うか、そう、夕暮れの校庭を背景に、だとか、見晴 らしの良い公園で夜景を眺めながら、だとか、そんなシュチュエーションでやっちゃうもんじゃないのかよ。
 意外と祐一は古風だった。

 しかし、告白という本来なら祐一の自分史に書き込まれる程の大事件でさえ、今の祐一にとっては瑣末な 問題に過ぎない。祐一は今の今まで見ていた夢の残り香すら振り切ってしまうかのように頭を振り、意識を 無理矢理に覚醒させる。目覚めに濃い目のコーヒーを一杯飲みたいような気分だったが、流石にそこまでは 望むことは出来ないだろう。
 今考えるべきことは。
 否。
 今やるべきことは――

「よぉ相沢、起きたんならいつまでそんなとこでぼーっとしてんだよ? とりあえず朝飯でも食いに行こーぜ」
「あぁ、そうするか」

 何故か北川宅にて目覚める相沢祐一の巻、だった。

    ☆   ☆   ☆

 話は昨日に遡る。
 佐祐理が乗った車が祐一達の前から走り去った同時刻、自他共に認める祐一の相棒・北川潤は水瀬家の玄 関前にて途方に暮れていた。
 ちゃらんぽらんそうに見えて意外と時間とか約束には正確な相沢祐一が待ち合わせ場所に遅刻、しかも2 時間以上の大遅刻ときたら、北川でなくても祐一に何かあったかと思うだろう。携帯には何度電話してもお 留守番サービスに接続される。北川は10回機械のサービス音声を聞いた後、祐一が居候している水瀬家へ 突貫することを決めた。
 覚悟を決めてインターホンを押す。

「あら、北川くん。こんにちは」
「ど、どもッス。こんちはッス」

 泣く子も黙る若作りで娘と歩けば姉妹と間違われる率文句なしのナンバーワン、甘くないジャムも含めて 得意料理は数知れずの料理の鉄人……とにかく肩書きには不自由しない若奥様・水瀬秋子に応対された。祐 一が転校してきてから数回水瀬家にお邪魔した北川だが、秋子と相対するとどうにもドモってしまうの だ。
 熟女の色香に惑わされるのか、挨拶まで体育会系になってしまうのである。

「祐一さんなら朝早くに出て行きましたよ。てっきり北川さんと約束してたと思ってたんですけど……」
「みな……じゃなくて名雪さんは何か言ってませんでした?」
「ごめんなさいね、名雪はまだ寝てるんですよ」

 今午後1時なんスけど。
 北川は喉元まで出かかった台詞をすんでのところで押しとどめた。

 結局祐一の消息を辿る手がかりは何も得られないまま、北川は水瀬家を後にした。

 ――どうすっかなぁ……
 ひとりごちながら勝手知ったる街をぶらついた。
 改めて言うまでもなくここは狭い街だ。交通事故とか、その手の事件があれば何かしら騒然としている はずだが、どこからどう見てもこの街は平和そのものだし、勿論通り過ぎる救急車などにも遭遇はしなか った。
 北川が祐一捜索を諦め今日は家でのんびり過ごそうと決意を固めた時、すれ違う主婦二人組みの会話が 耳に飛び込んできた。

 ――若い男の子と女の子が言い合い……
 ――黒塗りの車で連れてかれて……

 若い男と女?
 黒塗りの車?
 まさか。
 ――相沢のヤツ、ヤ○ザとトラブルにっ!?
 キュピーンと北川の脳内パトランプが赤く点灯し、光の速さで演算結果をはじき出す北川ブレイン。

「それっ! 場所はどこっすか!?」

 とりあえず井戸端会議をしていた主婦をひっ掴まえて場所を聞き出し、北川は全速力でたった今聞いた現 場に急行した。

    ☆   ☆   ☆

「……そして、自他共に認めるイケメンの北川様は、道のど真ん中でどうしようもない状態になってる相 沢と川澄センパイを発見し即座に回収した、というわけだ」
「解説ご苦労、北川」
「祐一、水取ってきてくれると嬉しい」
「馬鹿か。んなもんは自分で行け」
「……祐一の享年は18歳」
「氷はいくつがいいッスか」
「3つ」
「…………」

 朝っぱらから入ったファミレスにて、明らかに浮いてる3人は微妙な空気を醸し出していた。

「お前も中々大変なんだなぁ……」

 ウエイターよろしく水を持ってきた祐一に労いの言葉を送る北川。
 当たり前だ、とアイコンタクトで返す祐一。
 とっくの昔に朝食のセットは食い終えた。後はセットのドリンクと水で粘れる所まで粘るのが常套手段 だ。

「しかし、相沢はいつものことだからいいとして、川澄センパイは家の方とか大丈夫なんですか? 勝手に 一晩家空けちゃって……」
「ああ、舞んとこは心配ねーよ。なぁ?」
「昨日の夜に一応電話はしたし、ウチのおかあさんは優しいから大丈夫」

 中々に突っ込みどころが満載な舞の台詞だった。
 毎晩毎晩遅くまで学校に平気で残ってたやつだからなぁ、と密かに考えていた祐一。

 昨日北川に保護された二人は、そのまま北川の家に収容された。と言っても、気兼ねなく話せそうで金の かからない場所など北川の家くらいしか無かったというのもある。そのまま3人で夜通し話続け、明け方に 3人とも力尽きて眠り、そして今に至るというわけだ。

「それで? 結局これからどうするんだ?」

 北川が昨晩のメインの議題であり現在も継続審議中の問題を蒸し返す。
 いつになく真面目な顔になった祐一。

「とりあえずポテトの追加でも頼むかな」
「あ、ミニうどんも欲しい」
「追加注文の話じゃねぇよ! っておい! 呼び出しボタンを押すな!」
「すいませーん、ポテトとミニうどん追加で」
「かしこまりましたー」
「頼むな! そして俺の話を聞け!」
「いいじゃないか、俺の懐が痛むわけでもなし」
「――ってここはオレのおごりなのかよ!」
「だって俺も舞も金持ってねーし」
「なお悪いわ!」

 ぜえぜえ。
 朝っぱらから他人のテンションを嫌な感じに上げさせることに関しては天下一品の相沢祐一。

「まぁ落ち着けや北川よ。俺だってこのまま手をこまねいているつもりは毛頭ねーよ」
「ということは、お前やっぱり倉田センパイのことは諦めるつもりは――」

 先程までとはうって変わった相沢祐一の真剣な眼差し。

「――この俺が諦めないって言ったんだ。例え雨が降ろうが槍が降ろうが天地がひっくり返ろうが俺は絶対 諦めんさ。佐祐理さんは必ず取り戻す」

 騒がしい雰囲気から一転、静寂に支配される祐一達のテーブル。

「でも祐一、昨日の佐祐理の様子だと、佐祐理の意志は相当固いと思う」
「そうだぜ。お前が言ってた久瀬の話が本当だとしたら、それはもう単なる見合いじゃないぜ。はっきり言 ってもう俺達の手に負えるレベルの問題じゃないような気がするんだが……」

 二人の言葉を聞き、祐一は少しの間沈黙する。
 北川と舞も口を開かない。
 やがて祐一は低い声で呟いた。


「――誘拐だ」


「「は?」」

 北川と舞の声がシンクロする。

「何度も言わせんなよ。誘拐だ。文字通り、そのままの意味で倉田家から佐祐理さんを奪還する」

 おまたせしましたー、とこのテーブルに立ち込める空気をぶち壊しにする明るさでウエイトレスがポテ トとミニうどんを運んできた。
 3人とも無言で目の前の品に取り掛かる。

 もぐもぐもぐもぐ。
 もぐもぐもぐもぐ。
 ずるずるずるずる。

「…………」
「…………」
「…………」

 祐一、北川、舞の3人は、3人が3人とも全く口を開かずに目の前の品を食べ続ける。

 もぐもぐもぐもぐ。
 もぐもぐもぐもぐ。
 ずるずるずるずる。

 食べ終わった。

「…………」
「…………」
「…………」

 食べ終わったかと思ったら3人とも即座にスクッと席を立ち、相変わらず一言も発さずにセルフサービス のドリンクを調達する。
 3人ともホットコーヒーを調達し、砂糖もミルクも入れずにそのまま無言で飲み続ける。
 テーブルを見ると、いつの間に持っていかれたのか料理の皿が一つ残らず消えていた。

 カチャン。

 3人とも同時にコーヒーを飲み終わり、誰からと無く視線を交差する。
 沈黙に耐え切れなくなって最初に口を開いたのは北川だった。

「……マジなのか?」
「マジもマジ。大マジだ」
「一応確認のために聞いておくが、倉田センパイに振られたショックで既知の外の存在になってしまった、 とかそういうことではないんだよな?」
「おう、黄色い救急車は多分必要ない」

 はっはっはと笑い飛ばす祐一。
 北川も、そして何故か舞もつられて笑う。
 はっはっは。
 これ以上無いほどに乾いた笑いだった。

「それじゃあお前が正常だと言うことを前提に話を進めさせてもらうぞ。単刀直入に言うが……お前は 馬鹿か?」
「いきなり失礼なヤロウだな北川は。そりゃ世間一般の平均値から考察すれば多少は馬鹿にカテゴライ ズされるかもしれんが、誤差の範囲内だと自負しているぜ」
「オーケー、お前は処置のしようもないほどの大馬鹿だということは理解した。それじゃ相沢案が否決 される理由を馬鹿ランキングスペシャル級タイトルホルダー、略してスペシャルのお前にも分かるよう に解説してやる」
「まぁ言ってみな」

 激情を理性で抑えつけているかのような北川と相変わらず涼しい顔の祐一が対峙する。
 そんな親友対決を舞は表情の読めない顔で見守っている。

「じゃあ言わせてもらうぜ。第1にだ。お前らの話を聞く限り倉田センパイの決意は固いということだ。 おそらく普通に誘い出すことはもう出来ないと思うぜ」
「まぁそうだろう」
「第2。倉田センパイが連れ出されることを望まないということは、強引に引っ張ってくることになるん だろ?世間一般ではそういう行為のことを未成年略取、拉致、監禁と言うんだ。知ってたか?」
「まぁ聞いたことはあるな」
「第3だ。そういった行為をした人間はかなりの高確率で手が後ろに回る。日本警察の異常とも言える検挙 率の高さを知らないわけではないだろう?」
「検察制度に問題がありそうだ」
「第4。もう俺達は18だ。この年になってそういった行為に及んだら、もうごめんなちゃいでは済まんのだ。 所謂臭い飯というヤツを何年も食することになるぜ」
「確かに少年Aでは済まないだろうな」
「第5だ。客観的に見て倉田センパイに完膚なきまでに振られたお前にそんなことをする権利はあるの か?」
「…………」

 祐一は真っ直ぐに北川を見つめている。
 北川はそんな祐一の視線に耐え切れなくなったように目を逸らす。

「まぁオレの言えるのはこんなところだ。……悪いことは言わないから止めておけ。いくらお前でも分が悪す ぎる。勝てない勝負はしない主義だろ?」
「祐一……」

 心配そうな顔で祐一を見る舞。
 祐一の意志の強さは良く知っている。
 知っているからこそ怖い。
 相沢祐一は一度言い出したことは、どんな障害があろうと最後にはやってしまうという人間であること を。

「お前の反論はそんなところか? 北川」
「あ、あぁ……」
「じゃあ今度は俺の番だ。耳かっぽじってよっく聞けよ」
「…………」
「お前の言ってることは大筋では間違ってない。実に正しい、実に常識的な意見だ。だがな……お前が見て ないものだってある」
「何だよ?」
「佐祐理さんの目だよ」

 その言葉を聞いて、舞は思わず目を伏せる。

「以前俺は佐祐理さんの過去について話してもらったことがある。佐祐理さんにも悪いからここでその内容を 話すことはしないが……昨日の佐祐理さんの目は、その話をしていた時と同じ目だ。そうだろ?」

 二人に見つめられた舞は、しばらく逡巡した後、コクリと首を縦に振った。

「佐祐理さんがあんな目をしてるんだ。あのまま放っておいて佐祐理さんが幸せになれるとは、どうしても 俺には思えない」
「…………」
「だから、俺は佐祐理さんを助けに行く。確かに俺にはそんなことをする資格も権利も無いかもしれない…… でもさ……俺の好きな人が泣いてるんだ、俺が尻尾巻いて逃げ出すわけにはいかないだろう?」

 北川は祐一が筋金入りでつける薬も無いほどの大馬鹿野郎だということに今更ながらに気づいた。
 それでも。
 それでも、だ。
 好きな人のために。
 誰に遠慮するでもなくそう言い切った親友の姿は素直に賞賛に値するものだと北川は思った。この場は祐一 を止めようとした北川だって、彼の想い人が悲しい顔をしていたら、この愛すべき馬鹿野郎と同じように、何 かも放り出して助けに行くに決まっているのだ。
 ――やっぱり似た者同士だな、親友。

「……まいったな」

 北川は諦めたように大きく溜息をつく。

「オレ、そういうのに弱いんだよ。相沢お前、分かってやってんだろ?」
「へへっ、まあな。そういうわけで止めても無駄だぜ。誰が止めようが俺はやる」
「バーカ、もう止めねーよ。でもさ、相沢お前そんな大それたことをたった一人でどうやってなんとかする気 なんだ?」
「うっ……そりゃこれからそれを考えてだな――」

 北川は呆れたように腕を大げさに広げ「やれやれ」と嘯いてみせる。


「オレが言いたいのは――だ。こんな大それたことやるには頭が切れて二枚目な相棒が必要なんじゃないか ――ってことさ」


 不敵な笑みを浮かべながらそう言い切った親友の顔を、祐一は穴が空くほど見つめてしまった。
 ――相沢が馬鹿なら、俺だって大馬鹿だ。
 そう言っているようなニヤニヤ笑顔はいつまで経っても消えやしない。やがてどちらからともなく手を グッと握り合う馬鹿二人。

 その手の上に横から伸びてきた手が重ねられた。

「舞……?」
「……わたしも」

 舞は決意のこもった眼差しで二人を見る。

「わたしだって、佐祐理にあんな顔、させたくない」

 祐一と北川はポカーンと口を開けて、決意の表情の舞を眺めていた。舞は次第に赤くなってくる顔を隠そ うともせずに、じっと二人を見つめていた。数秒後には舞の顔はまるでりんごのように真っ赤っかになっ ていた。

「くっくっく……」

 最初に笑い声を漏らしたのは一体誰だったろうか。

「ふふふふふ……」
「ははっ……」

 笑いは瞬く間に伝染し、数秒後には3人で顔を突き合わせて大爆笑。

「ははははははっ!」
「ひひひひひひっ!」
「あはははははっ!!」

 朝っぱらから場末のファミレスで顔を突き合わせながら爆笑する若者3人。モーニングセットを食べ終え 会計に向かう中年の男は何やら可哀相な物を見る目で、まだ笑い続ける3人を見るのだった。



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