船窓から見る死界       117



 黒、時々、光。
「わ、わ、わ、わ、わっふーーーー!!」
「はっはっはっ。そんなに喜んで貰えるとおねーさんとしても嬉しいよ」
 窓の外には夜の世界。ふわふわふわと浮きながら、小さな窓から外を見る。大きくて小さな船の窓から見る世界、空を見上げればある世界。
 宇宙に浮かぶ船。そこから外を覗く小さな少女と大きな少女。
 いつかはと願ったその窓の外を目の当たりにして、クドの顔にはどんな感情も浮かんではいない。

 ☆

「当たった」
「何が?」
「宇宙旅行」
 携帯を見ながらめずらしく難しい顔をしていた来ヶ谷。そんな彼女に理樹が声をかけてみたらそんな返事が返ってきたのはもう一ヶ月も前の話。
「ゴメン来ヶ谷さん、もう一度言って?」
「当たった」
「その後」
「宇宙旅行」
 チュンチュンとスズメの平和な鳴き声が聞こえた。
「で、それはなんの仕込みなの?」
「いや、本当に当たったんだ」
 来ヶ谷の言う事を一切信じないで理樹が聞いてみるが、来ヶ谷も冷や汗をかいて困った表情で画面を見ている。いつもみたいに理樹の事をからかわないどころか携帯の画面から一切顔を外さない辺り、真面目な話らしい。
「来ヶ谷さん、それ、本当?」
「本当だと言っているだろう。信じられないなら見るか?」
 そこで初めて来ヶ谷は画面から視線を外して、理樹に向かってその画面を見せつける。
「英語じゃん」
「ああ、英語だな」
「いや。僕、英語読めないんだけど」
 ズラーと並んだ英語を見て他に言葉を出せる高校生は少ないだろう。困った顔をする理樹。
「じゃあ私が読もうか?」
「それじゃあ来ヶ谷さんが僕をからかわないかどうか分からないじゃないか」
「信用ないんだな、私は」
 ちょっと落ち込んだ、ふりをする来ヶ谷。そんな彼女を全面的にスルーして、理樹は教室内を見渡して小毬を探す。
「あ、いたいた。小毬さーん」
「ふえ?」
 自分の机でノートと睨めっこしていた小毬もその顔をあげて自分を呼んだ人物を探す。そしてすぐに理樹と視線を合わせると、にっこり笑ってパタパタと理樹の方にかけよって来た。
「どーしたのかな、理樹くん。May I help you?」
「うん。これを読んでほしんだけど」
 そう言って来ヶ谷の携帯を差し出す理樹。
「はわわわ。え、英語だぁ!」
「あ、うん。そうなんだよ。僕は読めなかったんだけど、よく考えたら小毬さんもいきなりこんな物見せられても読めないよね?」
「『やあリズベス、久しぶりだね。突然だけど出した懸賞の旅行が当たったんだ。まさか当たると思わなかったから少し扱いに困っているんだけど、もし都合が合えばと思って連絡したんだ』」
「って、読んでる!?」
「あ、うん。これくらいなら読めるよ〜」
 いつも通りの笑顔を理樹に向ける小毬に、流石に理樹も絶句する。専門書とかは辞書がないと無理だけどね、とか笑顔で言っている辺り、彼女はもう立派なバイリンガルだ。
「続けるよ〜。
 『旅行と言ってもただの旅行じゃない、宇宙旅行だ。冗談じゃないからな。宝くじの一等が当たるよりも低い確率らしいが、どういう訳か当たってしまった。実は最新型のマウンテンバイクが欲しくて応募したんだけどね、当たったのは欲しかった3等賞じゃなくて特賞だったのだからいい笑い話だ。
  しかし一ヶ月後と言っても、いきなり休みが取れる訳もない。だからとても困ってしまってね。だけどリズベスはまだ学生だし、ある程度の融通がきくんじゃないかと思ってね。もしよかったらどうだろう』
 ゆいちゃんのお父さん、宇宙旅行が当たったんだ!」
「うむ。慣れない事をすると変な事が起きるものだな」
 小毬の言葉にも反応出来ないくらい、来ヶ谷も相当テンパっているらしい。どうしたものかと頭を抱えている。
「いいじゃん、宇宙旅行なんて普通いけるものじゃないよ。いっちゃいなよ、ゆー」
「いや、実はまだ問題があってな。先を読んでみたまえ、コマリマックス」
「?」
 再び携帯の画面に目を落として目を動かす小毬。
「『ペア旅行だから、仲のいい友達を連れていくといい。出発はだいたい一ヶ月後だから、もし行くのなら早めに連絡を頼む。キャンセルの連絡もしなくてはならないからな』
 これのどこが問題なの?」
「うむ。ペア、というのが問題だ。私は誰を連れていけばいいのか。小毬くんに鈴くん、クドリャフカくん葉留佳くん佳奈多くん西園女史。よりどりみどりだから私も迷ってしまってな」
「真面目な顔をしてたと思ったらそんな事を考えてたんだね。来ヶ谷さんらしくて安心したよ」
 呆れる理樹。
「そんな事とはなんだね少年。私にとっては死活問題だぞ」
「死ぬのっ!?」
「ああ、死ぬ」
 大真面目に下らない話をしているそばで、小毬はんーと少し考え事を。
「私としてはゆいちゃんが好きな人をって言いたいけど、宇宙旅行ならやっぱり答えは決まっちゃうんじゃないかな?」
 そう言って、ぴっと指さす小毬。そしてその先にはたまたまこっちの方を向いていたクドの姿が。
「わふ? なんでしょーか、小毬さん?」
「宇宙旅行ならやっぱりクーちゃんでしょう」
 きょとんと首を傾げるクドとにっこりと笑う小毬が印象的な教室の一幕だった。

 ☆

「さて、もうすぐ地球に帰る訳だが、どうだった、クドリャフカ君?」
「もうなのですかっ!?」
 時計をチラと見ていう来ヶ谷に、思わず大声をあげてしまうクド。準備期間やらなんやらを考えると、圧倒的に滞在時間が短い。確かに事前に予定表は見せて貰っていたものの、実際にその時間を過ごしてみるとそのあっけなさはとても物悲しい。そこが、あこがれの場所であればある程。
「もうすぐだな。逆に言えばもう少しだけ時間がある訳だ」
「もう少しですかっ!?」
「いちいち反応が大げさなのが面白いが、その通りだ。後1時間はないな。さて、その時間はどうやって有効活用する? おねーさんと無重力空間で戯れてみるか? クドリャフカ君はずっと外を眺めているだけだったし、おねーさんは少し寂しかったんだ」
「あ」
 来ヶ谷の言葉に思わずそんな声を漏らしてしまう。確かにここに来れたのは来ヶ谷のおかげだったのに、ほとんどの時間をクドは窓の外を見る事に費やしてしまっていた。いささか来ヶ谷に対して不誠実だと言わざるを得ない。
 でも、と。目の端には無限に広がる世界を映す窓が見える。1秒でも長くこの世界を見続けていたいのも確かな話で。
「ぅ、ぅぅぅ……」
 困った顔で来ヶ谷と窓を見比べるクド。その可愛らしい姿を見てめずらしく、本当にめずらしく来ヶ谷は穏やかな笑みを浮かべてクドの頭に手を置く。
「ふぇ?」
「では、おねーさんと一緒に窓の外を見て楽しもうか?」
「あ」
 今度の漏れ出た声はさっきのと全然違う。そしてぶんぶんと勢いよく首を縦に振るクド。
 そんなクドを優しく抱きしめると、一緒に窓の外を眺める来ヶ谷。
「どうかな、宇宙は?」
「はい。とっても素敵なのです」
 少しの沈黙。
「本当に、素敵」
 窓の外を見るクドの表情は無。虚ではなく無。
 来ヶ谷もクドが宇宙に関心を抱いた経緯、そしてその想いの強さには何度も触れてきた。だけどその全てを理解できた訳でもないから、その顔をしたクドに何も言葉をかけない。もとより来ヶ谷は自分が人の心に触れられるような人間ではない事、百も承知である。その代わりにぎゅっとその小さな体を少しだけ強く抱きしめた。抱きしめた体は少しだけ震えているような気がした。
「   」
 クドは何もない言葉を口にする。なんでもない、ではなく本当に何もない言葉。
 自分の感情が分からない。まさか見る事が出来ると思わなかったその世界を見て、自分の心が分からない。
 窓の外に広がるのは、黒。時々、光。
 まるで死界に浮かぶ命を見ているみたいだと、そんな漠然とした事を感じた。
 それは、宇宙にお母さんを重ねて見たからかも知れない。

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