恋恋恋歩     アルエム



 唐突であるが、これは恋物語である。有体に言ってしまえば恋愛小説と呼べるかもしれない。しかし、世にある物語の大半は多かれ少なかれ恋愛というキーワードが付随されている。世の中にある文章、物語は少々乱暴な括り方をすればたった一つのことを言うために数万の文字を羅列させていると言えるのかもしれないと私は考える。すなわち愛は偉大。もちろん私の勝手な憶測だ。しかし、この物語を書くにあたって、その憶測に準じてさせて貰おうと思う。後に記述するが、そのほうがこの物語を書く目的を、より効果的にしてくれると思うからだ。
 前置きはこれぐらいにしよう。長い前置きほど読者を飽きさせるものはないと愚考する。もう既に長々と語ってしまっている気もするが、そこは寛容な気持ちで受け止めて頂きたい。寛容ついでに物語にはまったく関係ない、手続き的な意味合いでしかない事項を最後に語らせていただこうと思う。
 この物語は全て三人称で記述している。物語の視点──もちろん恋する少女を追うことになるのだが──それらは全て登場人物に聞いた話、また私が実際に見たものに多少の想像と誇張を交えて記したものである。そのため登場人物達の思考や行動に及ぶための理由に僅かズレが生じているる場合があるだろう。しかし、物語とは得てしてそういうものだ。登場人物たちの思考は、私というファクタを介在したのち、更に文章というファクタを通り白日の下に晒される。その過程に置いて、どのようにした所でズレが生じてしまうのは仕方のないことだ。
 また話が長くなった。これ以上、前置きや語りはなしにしよう。最後に今一度、断っておこう。冒頭に記したことではあるけれど、何度もいうことでこの物語が内包するイメージが確固としたものになるのだからここはぐっとこらえて今一度、同じ文章を読んでいただきたい。

 これは恋物語である。例えその少女が想い人を蹴り倒そうが、暴言を吐こうが、悪戯しようが恋物語であることは一切翳りはしない。何故ならば。
 恋する乙女、それは恋愛小説に置いてどんな行動を取ろうと許容されるキーワードだからだ。








 棗鈴は、自分のことをこの所おかしいと思っていた。その考えは今現在も続いている。鈴は、自室にある机の前でノートを広げ四つの感じを書いた。直枝理樹。それは鈴にとっては見慣れた文字。見慣れた発音。だというのに最近、その文字を書くだけでどういうわけか顔がカーっと熱くなった。声に出そうものなら、もう大変で風邪を引いたかのように頭がボーとして舌が上手く回らなかった。鈴は「うーみゅー」という奇天烈なうなり声を上げながら机に倒れこみ目を閉じる。するとすぐに理樹の顔が浮かんできた。頭の中の鈴は嬉しそうに笑っていた。鈴は、耳が熱くなっていくのを感じながら溜息を吐いた。
 ここ最近の鈴は、そんなことを繰り返していた。それこそ鈴が、自分がおかしいのではと思っている原因だった。別に表面上では何も変わった所はない。鈴と理樹。リトルバスターズの面々。あの世界から帰ってきた時から、楽しくて幸せな日々が続いている。だが、どういう訳か理樹を見たり、想像するだけで鈴は後ろから誰かに想いっきり抱きしめられたような息苦しさを覚えた。まだそれだけならいい。問題は二人っきりになった時だった。そんな時、鈴はいつも以上に理樹の顔を見ることができず、ただの世間話すら儘ならない有様だった。
 そのため、この所鈴は理樹と自分だけになるのを異常なまでに避けていた。もちろん、理樹はそんな鈴の様子に気づいているだろう。だが特に何も言ってくるでもなく困ったように笑うだけだった。それが一層、鈴をイライラさせていた。別に理樹が悪いとは思っていない。そういうことではなく、今まで楽しく過ごしてきて、加えてあの世界を二人で切り抜けた。言ってみれば戦友のような理樹を遠ざけなければいけないことが、鈴はとても歯痒かった。どうにかしたかった。始めは時間が経てば、落ち着くと思っていたが一向に治まる気配はない。鈴は、机に手をついて体を起こすと脇に置いてあった携帯電話を取った。今まで誰かに相談することを鈴はしなかった。漸く手に入れた楽しい日々を、自分のこの気持ちが砕いてしまうのではないか。それが怖くて相談することができなかった。だが、もう我慢の限界だった。鈴は携帯からカ行を呼び出すと慌てたように目当ての人物の電話番号を呼び出し通話ボタンを押した。携帯からトゥルルという機械的な音が響く。電話先の相手は神北小毬。今現在、鈴の一番の親友といっても差し支えない人物だった。小毬なら、自分のこの訳のわからない気持ちも聞いてくれるだろう。聞い
てきっと優しく笑ってくれるだろう。そうわかっているのに鈴は、自分の胸がどんどん高鳴っていくのを感じていた。このままいけば自分の心臓は壊れてしまうんじゃないか。そんな危惧さえ生まれてくる。つまるところ、鈴は微妙に混乱していた。それがいけなかった。やがて、トゥルルという音が止まりプツという相手が電話取った表す音が鈴の耳に届く。
「あ、こまりちゃんか。あの、あのな。ちょっと聞いてほしいんだ。この頃、あたし変なんだ。なんか理樹のことを考えると胸が苦しくて、あ、でも嫌な気持ちだけってわけじゃないぞ。うん、こう少しだけ幸せな気持ちがしないでもない。これってなんなんだ。わけわからんぞ。こまりちゃん? もしもしこまりちゃん聞いてるか?」
 鈴は受話器に一気に捲くし立てていたが、一向に反応のない相手に気がつき首を傾げる。そんな鈴の耳に小さな息遣いが聞こえてきた。それに続くように漸く受話器が相手の声を拾う。電話先の相手は「うむ」と短く言葉を発した。その声を聞いて鈴の背中に嫌な汗が流れる。
『話は聞かせてもらった。鈴君。私に相談を持ちかけてくるなんてお姉さんは嬉しいぞ』
「う、うなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
 鈴の絶望感漂いまくりの絶叫が寮内に響き渡った。
 要するに鈴は混乱のあまり相手先をよく確認せず履歴の神北小毬ではなく、そのすぐ下の来ヶ谷唯湖にかけていたのである。
 どちらもカ行でありながら、カーソルの位置一つ違いで鈴は過酷な道を歩むことになった。







 寮にある鈴の自室。そこで鈴はベットの縁に体を縮こまらせて座っていた。そのちょうど対面には来ヶ谷が腕組をして仁王立ちしていた。その両隣には、まるで従者のように葉留佳とクドが訳のわからない顔をして鈴のことを見つめていた。
「さて、とりあえず女性陣を呼んでみたわけだが」
「なんでだ!?」
「なにぃ!? 私たちじゃ不満だってのか、こむすめぇ!」
「不満じゃなくて不安なんだーっ」何故かのっけからテンションマックスな葉留佳に対抗するように叫び返す。「というか美魚と小毬ちゃんはどうしたんだ?」
「う、ぐ……うわぁぁん姉御ー。なんか鈴ちゃんに上手いこと言われたー」
「うむ、鈴君の言い分もわかる」
「あんまりだーっ!」
「西園さんは、本が良い所なのだそうで後で来るそうです。小毬さんは、お部屋に行ったのですがいらっしゃいませんでした。おそらく例のぼらん……コホン。ボランティアにいっているのではないかとー」
 横で寸劇じみたやり取りを繰り広げている葉留佳と来ヶ谷にかまうことなく、クドは鈴に話しかける。ボランティアの発声の所で態々ネイティブっぽく言い直したが、どう聞いても日本語の発音だった。
「それでどうして私と三枝さんは呼ばれたのでしょうか?」
「ああ、それはな。鈴君と理樹君恋の行方について、女だけで腹を割って話そうではないかとな」
「な、なにぃぃぃぃぃぃぃ!?」
「わーーーーーーーふーーーーーーーーー!」
「なんだ。あたしは理樹に恋をしてるのか!?」
「って、姉御。なんか鈴ちゃんまで驚いてるんですけど」
「む? ……ああ、そうか。鈴君はまだ自覚してなかったんだったな」
「そんなこと言われても……わからん」
 鈴はそういうと顔をついっと横に向けて皆の視線から逃れる。そんな鈴の様子を見た来ヶ谷は口元に手を持っていき思案する仕草を作った。
「ふむ……では、鈴君。例えば理樹君が、まぁ誰でもいいが、そうだな。例えば、私と理樹君がキスしていたとしたらどうだ」
「どうだと言われても、そんなの……」
 勝手にすればいいじゃないか。そう繋げようとした所で、鈴の頭にイメージが過ぎる。頬を赤く染めて見つめあう理樹と来ヶ谷。その顔が近づいていき互いの唇を軽く触れ合わせた後、顔を離しはにかむように笑う二人。まるで暗い井戸の中に一人取り残されたような心細さと寂しさが、唐突に鈴を襲った。鈴は思わずベッドのシーツを強く掴む。その光景を想像するのも、もちろん苦痛だったが、それ以上に友人のそんな場面が嫌でしょうがない。そんな浅ましい自分が、どうしようもなく我慢できなかった。
「……来ヶ谷のことは好きだ。でも……でもな」
「かまわんよ。例え友人と言えども割り切れない。恋とはそういうものだろう。それにそちらのほうが私としてもいい」
「? どういう意味だ」
「やりがいがある、という意味さ」
 来ヶ谷はそう言うと、瞳を伏せて口元を緩めた。
「あのー、それで結局の所私達は何をすればいいんですかネ?」
 鈴と来ヶ谷のやり取りを見ていた葉留佳は唐突に手を上げると、誰にともなくそう質問をした。来ヶ谷はそれに「うむ」と一度こくりと頷いて腕を組んだまま一定の歩調で部屋の中を歩く。
「本来なら色恋に他人が介入するべきではないのだがな。理樹君はあれで結構鈍感だ。そして鈴君に至ってはこの通り。このままでは鈴君が夜な夜な悶々とすることになりかねないとお姉さんは心配だ」
「するか、ぼけぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
 言葉尻に瞬時に反応した鈴がベッドから飛び跳ねるように立ち上がりながら、回し蹴りを繰り出した。来ヶ谷はそれを軽々と避けると、何事もなかったかのようにピンと人差し指を立てて話を続ける。
「そこでだ。同じ女性として私たちリトルバスターズのメンバーが、背中を押して上げるべきではないかと考えたんだよ」
「あー、つまり鈍い二人を手助けしようってことですネ。で、具体的にはどうすれば?」
「うむ、そこでこれを用意した。鈴君、これに着替えてみてくれ」
「ん? なんだ、これは?」
「それは、どんなニブチンの男性の心でもときめかせることが出来る魔法の衣装だ。ああ、着替えは洗面所で行うといい」
 その言葉を聞いて鈴は首を傾げながらも、服を受け取って洗面所へと向かう。
「姉御ー。あの服ってなんなんですか? なーんか見覚えがあるような気がするんですけど」
「ああ……ブルマだ」
「……はい?」
 その言葉どおり、しばらくして出てきた鈴はたしかにブルマを履いていた。その顔は、りんごもかくやというぐらい真っ赤だった。そもそも鈴たちの世代によってブルマなんて前世紀の遺物のようなものである。名前も聞いたことはある。どんな形かもしっている。しかし、履いたことなどもちろんあるわけもない。それはもはや羞恥プレイと名づけるに相応しい様相だった。
「こ、これのどこが魔法の衣装なんだ!?」
「ん? 素晴らしいじゃないか。ハァハァ鈴たんの生あし超萌える。と言って理樹君も目の色を変えて襲い掛かってきてくれるぞ」
「襲い掛かられてたまるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
 叫び声と共に高く足を掲げて回し蹴りのモーションに入ろうとした鈴だったが、今の自分の姿を思い出し慌てて足を下げた。そこで漸く来ヶ谷の言葉の意味を完全に理解した鈴はあまりの恥ずかしさにキョロキョロと辺りを見回して隠すものを探す。しかし、この部屋の唯一の布であるシーツまでの道は来ヶ谷によってブロックされていた。鈴は、「うー、うー」と唸りながら仕方なく上着の裾を引っ張ってブルマを隠そうとする。だが、悲しいかな。体操服の上着の材質はそれほど厚手ではないのである。そんなものを下に強く引っ張ればどうなるか。生地は上半身に張り付き、そのラインを浮き彫りにし今や鈴の慎ましやかな胸をこれでもかと強調していた。来ヶ谷は、胸元からデジカメを取り出すとすばやくシャッターを切る。
「ああ……いい」
「とるな、ぼけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
 もう数えるのもバカらしくなってきた本日何回目かの鈴の絶叫が寮に木霊した。







「まぁ、冗談はこれぐらいにしてだ」
「冗談だったのか!?」
 鈴の絶叫からしばらくして、4人はベッドの上に円を描くように座っていた。鈴は既に元から来ていた私服に着替えている。その顔はまだ、少しばかり赤い。
「あのー、私思ったのですが、そもそも私たちに出来ることと言ったら鈴さんが告白するのをサポートするぐらいしかないのではないでしょうか?」
「うむ、その通りだな」
「あ、姉御。わかってたんですネ」
「なら、あたしがアレを着たのにはなんの意味もなかったのか!?」
「いや、意味ならあるさ」
 口々に正論を言ってくる鈴達の言葉を涼しげに受け流しながら、意味有り気に微笑んだ。そして、その顔を急に引き締めると鈴のことを見つめる。その唐突な真剣な目線を受けて鈴は体を強張らせる。
「さて、結論も出た所で鈴君、言いに行こう」
「な、何をだ?」
「もちろん、好きだ。何も言わずあたしについてこい! とだ」
「なんか、凄い男前です!?」
「ああ、でも理樹君だからいいんじゃないですかネ。ほら女子の制服似合うし」
「い、いやだっ。そんなの、恥ずかしいじゃないか!?」
 そこで初めて告白という名の持つ甘酸っぱい印象を意識し、鈴は布団の中に潜りたい衝動に駆られた。もちろん来ヶ谷達が座っているのでもぐりこむことは出来なかった。仕方なく鈴は顔を伏せてぎゅっと目を瞑る。そうすると理樹の顔が浮かんできた。告白したら理樹はどんな顔をするだろうか。そんなことを考えて顔を伏せただけでは我慢できなくなり鈴は、膝を抱えた。
「あらら、姉御。いきなり告白は鈴ちゃんにはキツイですヨ」
「まぁ、わかっていたことではあるが……困ったな」
「話は聞かせて頂きました。わたしに任せてください」
「わ、わふーーーーーーーーーー、西園さん!?」
 クドの声に鈴以外の皆が一斉に、その目線を追うといつの間に入ってきたのか、来ヶ谷のちょうど後方に美魚が立っていた。
「私の後ろを取るとは……さすがは西園女史だ」
「それほどでもありません。一応ノックはしたのですが皆さんお気づきにならなかったようなので勝手に失礼させて頂きました。ちなみにあそこに神北さんもいますよ」
「み、みんな〜、こ、こんにちは〜」
 その言葉の通り、ドアの脇で立っていた小毬が困ったような笑顔で皆に手を振る。その小毬の声を聞いた鈴は、突然がばりと顔を上げると小毬のことを泣きそうな目で見つめる。 それを見て小毬はベッドのほうまで歩いてくると、鈴の頭を撫でた。
「あれ? ミニ子や? 小毬ちゃんって部屋にいなかったんじゃなかったっけ?」
「あ、はい。小毬さん、どこにいってらしたんですか?」
「うん、ボランティアに。それで帰ってきたらちょうどこっちにくる途中の美魚ちゃんと会って、一緒にきたの」
 小毬はそう葉留佳とクドに答えた後、鈴の頭を撫で続けながら優しく笑いかけた。
「こ、こまりちゃん」
「鈴ちゃん、恥ずかしいと思うけどがんばろう? きっと理樹くんは嬉しいはずだよ。鈴ちゃんの気持ちを聞けて」
「……う、うーなー!」
 小毬の励ましを聞いて考え込んでいた鈴だったが、しばらくして耐え切れなくなったのかシーツに顔を押し付ける。それを見ていた小毬は、横にいる美魚のことをみると一度頷く。それを見た美魚は、ケットから紙とペンを取り出すと、スッと鈴のほうへと差し出した。
「鈴さん、お気持ちは察します。自分の気持ちを相手に伝えるのは、とても大変なことだと思います。ですが、何も直接言わなくても手はあります。そう手紙です」
「て、がみ?」
「はい、たしかに今時古風かもしれません。そもそもならメールのほうが、と思われるかもしれません。ですが、自分の気持ちを込めて書いた文字には想いがやどります。それは例え一言でも、時に言葉以上に相手に気持ちを伝える手段になりえます」
 鈴はその言葉を聞きながら差し出されて紙とペンを受け取る。紙にそっと手を走らせる。手にザラザラとした感触がする。っと、その時ふいに鈴の肩に重みが加わった。それは押しつぶされるようなものではなく、とても心地よい重みだった。鈴は、首をまわし後ろを見る。そこには今までのような悪巧みをしているような笑顔ではなく、慈愛に満ちた笑顔をした来ヶ谷がいた。
「伝えなければ届かないことがある。そしてそれがいつか手遅れになってしまうこともある。鈴君、君はそれを知っているはずだ」
「来ヶ谷」
 鈴は前を向くと、そこにいる皆の表情を見る。皆、鈴のことを見守っていた。葉留佳、クド、美魚、来ヶ谷、小毬。もし……もし、あの時、あの世界で鈴が諦めていたならここで今皆が笑っていることもなかっただろう。
「それに……君はそんなに弱い子ではないだろう?」
 その言葉を合図にしたかのように鈴は勢いよく立ち上がると、机へと向かう。紙を広げてペンを持つ。鈴は思う。何を書こう。そもそも自分に文才があるとは思えない。手紙だって書くのはこれが初めてだ。だから、この胸が苦しくて顔が熱くて、どうにかなってしまいそうな気持ちをありったけこの一言に込めよう。ありったけを理樹にぶつけよう。鈴はゆっくりとペンを走らせる。やがて鈴がペンを置くと、皆がそれを覗き込む。そこにはたった一言、ひどく幼稚で不器用で、ありったけの想いが困った文字が書かれていた。
【理樹、ずっと一緒にいよう】





 さて、その手紙を読んだ直枝理樹がどういう結論に至たり、棗鈴にどういう返事をしたのか、それを書くことなく終わりにしたいと思う。人間とは想像する生き物だ。それ故に案に書かずにいたほうが想像の翼が大きく働くことだろう。ただ、一つだけ言わせて貰うならば私は、直枝理樹が出す答えを最初から知っていたということは記述させていただこうと思う。そうでなければこんな文を書こうとなど思わなかっただろう。告白とはどんな形であれ甘酸っぱいものである。では、その甘酸っぱさを一番恥ずかしく思う時はいつだろうか。それは私が考えるに告白から交際へと転じ、しばしの蜜月を体験した後にくる安定期こそが当人達にあの時の感情を思い起こさせ、居た堪れなくさせることだろう。それまでにはまだ時間があるが、楽しみとは忘れた頃にやってくるものなのだから我慢して待つとしよう。
 ああ、そういえば忘れるところだった。私がこの文を書いた理由を、まだ記述していなかった。物語にはまったく関係ない私的な理由であるため、このまま黙して語らずを通し筆を置くべきなのかもしれないが、後に記述すると書いた以上、やはり書かなければならないだろう。約束は覚えている限り違えないようにしたいと思っている。断っておくが、そう思っている要因に誰かに対する恨み辛みがあるわけでもないし、皮肉の意味合いでもないということは覚えておいていただきたい。話が逸れた。前置きが長いのも頂けないが、締めがダラダラと長いのも頂けないだろう。では、今一度の断りと共に私が、これを書いた理由を明かしたいと思う。
 
 これは恋物語である。
 私──来ヶ谷唯湖がこれを書いた理由は、この物語の主役である棗鈴および直枝理樹に、この話を見せるためである。もちろん、その時には鈴君の写真を添えて。
 おそらく理樹君は顔を赤くしながら照れてくれることだろう。鈴君は顔を真っ赤にして照れながら可愛らしく怒ってくれることだろう。
 その時には私の中にある幾ばくかの残滓も、すっかり消え去っていることだろう。
 ああ、その時がとても楽しみだ。本当に楽しみだ。
 
 二人の表情こそが今、私たちが享受している幸せの証となってくれる。私にはそう思えるのだ。

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