『いずれ、必要になる』
 ああ、その言葉はなんて重いのだろう。
 僕に、もう少し力があれば。
 
 
   理由があるからそこにある。     天音鈴
 
 
 いたい。
 とてもいたい。
「……」
 その感覚はとてもリアルで、泣きそうになった。
 手を握る。
 手を開く。
 動く。
 なにも、問題はない。
「…よし…」
 それなら、僕は動かなくてはならない。
 そうして、僕は、僕自身の世界を守らなくてはならない。
 僕は、歩いた。
 
 
 
『真人』
『ああ、なんだ?』
 僕はいつか、聞いたことがある。
『何でそんなに鍛えるのかなーって…気になってさ』
 ものすごくいまさらかもしれないけど。
 僕は何気なく。何の気もなしに聞いたんだ。
『そういうことか。…そうだな…俺に言えるのは…』
『うん』
『いずれ、必要になる。
 それだけだ』
 僕にはその意味が分からなかった。
 なにも、知らなくて。
 まだ、無邪気に守られた世界で遊んでいて。
 そうして、僕は弱くて。
 そう。まだ、弱かったんだ。
 
 
 
「…りき…」
「鈴…。心配しないで。大丈夫…」
 正直、とても心配だった。
 目の前には、とても直視できないような凄惨な。
 それこそ、ドラマか何かの場面のようで。
 僕は、認識できなかった。
「……っ…!」
 
 ドクン。
 
 心臓が鳴る。
 うるさいくらいに。
 目の前には、血。
 おびただしいほどの血が、流れている。
 まさに、流血、という表現が正しいかのような。
 
 ドクン。
 
 それでも、僕は進まなくてはならない。
 この中には、僕の守るべき人がいる。
 こんな状況の中でも、僕らを助けようとして。
 なんて、なんていう人達なんだろう。
 僕はその人たちに、精一杯の感謝…そして、その倍の物を、返さなくてはならない。
 返すものとは、すなわち努力。
 そして、結果。
 
 
 
『理樹ー…やっぱり筋トレだよな、そうだよな!』
『いや…多分筋トレして楽しいのは真人だけだと…』
 いつだって言っていた。
 その世界だけではなく、昔からだったけど。
 昔から、真人は言っていた。
『筋肉はあったほうが良いぞ。…なんたって、役に立つからな!!』
 そのときは話半分に返事をしていたが、今となっては、その言葉の意味が…痛いほどに分かるんだ。
 ああ、僕はなんておろかなことをしたのだろう。
 
 
 
「……」
 救出作業はとても大変で。
 やはり、力がないととても出来ないと、実感した。
 
 ドクン。
 
 心臓が張り裂けそうなほどに鳴る。
 痛い。
 いたい。
 視覚、聴覚、感覚…全てが…いたくて。
 僕は何も感じたくないと、思う。
 それすらいたい。
 
 ドクン。
 
「…りき、終わったぞ」
「…うん…」
 そうだ。
 僕は、頑張らなくてはいけない。
 鈴のためにも、みんなのためにも。
 そのために、僕は力を振り絞る。
 
 ドクン。
 
 
 
『お前にこれ、やるぜ』
 授業中のこと。
 真人は、よく僕にアイテムをくれた。
 いつも、真人の使っている筋トレの道具。
『…ありがとう』
 何に使って欲しいのか、僕に何をして欲しいのか。
 …そのときは、分からなくて。
『…やっぱ筋肉は大事だからな』
 それしか言うことないのか。なんて。
 
 
 
 ドクン。
 
 熱い。
 ふらふらと、視界が揺れる。
「…りき…っ」
 鈴の不安そうな声。
 僕は、意識を浮上させる。
「…じゃあ、次はバスの奥、だね」
「わかった」
 
 ドクン。
 
 もう、僕の体力は続かないかもしれない。
 そんなこともおもった。
 でも、進まなくては。
 愛する人々に、感謝の念をこめて。
「…っ!」
 奥はものすごく熱かった。
 そこに、二つの見間違うはずのない姿。
 
 ドクン。
 
 本当に、僕らは大変なものに巻き込まれていると実感した。
 どうして、こんなことになってしまったんだろう。
 何をうらめば良いんだろう。
 …何も、悪くない。
「…鈴」
 鈴は、鈴の音だけを鳴らして僕にうなずく。
 
 ドクン。
 
 僕は謙吾の体に触れる。
 体が熱い。
 それでも汗は出ていなくて…いや、きっと出てはいるのだろう。
 すぐに蒸発しているだけで。
「りき、運ぶか?」
「うん…そうだね」
 
 
 
『やっぱ、筋肉がそばにあるってのは、頼もしいもんだからな』
 そんな言葉を、聞いたような気がする。
 やっぱり、僕はおもうんだ。
 …真人は一番、大人なんじゃないかって。
 
 
 
 ドクン。
 
 心臓が痛い。
 僕は今、またバスの中にいる。
 今度は、真人の番。
 助け出さなければ。
 そう思う。
 
 ドクン。
 
 僕は考える。
 もし助け出せなかったら。
 もし僕がここで倒れてしまったら。
 もし鈴を一人でおいてゆくことになったら。
 全てが僕の妄想でしかないはずなのに、嫌な現実味を持って僕の頭の中で繰り返される。
 
 ドクン。
 
 僕は真人の体に触れた。
 とたん。
 視界が反転した。
 上下、左右。
 明暗、そして色までもが。
 僕は…前。いや、果たして前なのかは僕には判別しがたいが。
 倒れていった感覚は、僕にも分かった。
 
 ドクン。
 
 ああ、いたい。
 何がいたいかといえば、なんだろう。
 助け出せなかったこと。
 もう会えないのだということ。
 残していってしまうこと。
 成し遂げることが出来なかったこと。
 
 ドクン。
 
 そんな、強い、力強い音を聞いて。
 僕の意識は。
 光の中へと溶けていった。

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