僕は、たいそうなものにたいした感情を抱いてしまったんだなぁ、と。
 そんなことを思った。
 
 
   別にたいしたことでもない、ただの日常について。     天音鈴
 
 
「理樹、おはよう」
「ふぁ…。ああ、鈴。おはよう」
 朝。
 いつもどおりの日常が始まった。
「朝ごはんは…」
「あたしが作っておいた」
「ありがとう、鈴」
 本当にいつもどおりで、それは、僕にとっての幸福なのだろうか、そんな疑問が浮かんだ。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
 そんなことは関係なく、僕はただ生きてゆかなければならないのだと思うけれど。
 
 
 
『…で、あるからして…』
 昼。
 大学で、いつもどおり、つまらない講義。
 僕はどんな大学に行っているかといえば、そこそこに良い大学なんだろうとは思うが。
 大学にいっておけばとりあえずは何とかなるだろう。
 …そんな考えで来たものだから、なかなかに真剣になれない。
「……」
 ああ、つまらない。
 つまらない日常だ。
『…では、これで終了…』
 いつもどおり、つまらない。
 そんな講義も終わったらしい。
 僕は、席を立った。
 
 
 
「ただいま」
「ん、理樹か。おかえり」
 夜。
 僕はいつもどおり家に帰った。
「夜は僕が作るね」
「ああ、たのんだ」
 鈴に任せてもいいのだが、朝食も鈴に作ってもらっているので、そこまで任せるのはひどいだろうと思う。
 朝食だって、パンを焼いただけなので、きっと料理は苦手なのだろうし。
「理樹」
「なに?」
「つまらん」
 その言葉だけで、今の日常が表現できてしまう。
 そんな毎日。
 
 
 
 ああ、つまらない。
 つまらなすぎて、つかれた。
「はぁ…」
 そういえば、そうだ。
 昔はこんなことはなかった。
 昔は、毎日が楽しくて、めまぐるしく過ぎていって。
 あれが、日常だったのに。
「……」
 彼らと出会ってから、ずっと。
 終わるはずがないと信じていた、そんな楽しかった毎日があった。
 でも、今はもうない。
 もう、目の前から消えてしまった。
 その事実だけが、悲しいという色を、つまらないいつもどおりの日常に、与えた。
 
 
 
「理樹、起きろ」
「…ん…?もう朝…?」
「遅刻する」
「…そう…。…って、もうそんな時間?!」
 朝。
 僕は飛び起きた。
「ご飯食べてくか?」
「いや、今日はいいよっ。ありがとね、鈴」
「いってらっしゃい」
「いってきます」
 そうしてまた、つまらない一日が始まった。
 多少の起伏はあれど、平坦な道であることに変わりはないのだ。
 
 
 
「はぁ…」
 昼。
 今は昼ごはんの時間。
 食べ物を、口へと運ぶ。
 出てくるのは、ため息。
「……」
 どうしてこんなに疲れているのだろう。
 …それは、生きがいがないから。
 …ただ、生きていくだけの日常に、疲れたから。
 僕は、前の世界のことを思った。
 あれは、虚構の世界。
 夢の中だけにある、まやかしの世界。
 でも、とても楽しかった世界。
 ああ、そこに戻ることが出来たら良いのに。
 この気持ちはなんだろう。
 それは、このつまらない世界の、まやかしの世界への、嫉妬。
 そして、そんな世界で生きゆく僕の、あの世界を作り出していた人への、嫉妬。
 
 
 
「ねぇ、鈴。楽しい?」
「そんなわけないだろ。つまらん」
 夜。
「いつもどおりに?」
「ああ、いつもどおりつまらん」
「そう…」
「どうしたんだ?理樹。なんかおかしくなったのか?」
「いや…」
 いっそ、おかしくなれたら良いのかもね。
 そんな言葉が浮かんできた。
 そうだ。
 こんな世界でも、楽しく感じられるくらいに、おかしくなれたらいい。
 でも、僕には度胸がない。
 この、安定した世界から離れる、勇気がない。
 そんなことは、到底出来ない。
「返事しろ」
「…ああ、ごめん」
 ただ思っただけで、この世界が変われば良いのに。
 
 
 
 この世界は、僕には永遠に近かった。
 いつまでも続いて。
 ずっと、抜け出せない。
 ただ、前へと進むだけの。
 いや、進んですらいないのかもしれない。
 ずっと、そこでとどまり続ける、永遠。
 そこから抜け出すためには、やはり。
 
 
 
「理樹」
「ん…?ああ、おはよう」
「今日は遅刻しないぞ」
「昨日も間に合ったよ」
 朝。
 また、いつもどおりの一日が始まる。
 
 
 
「はぁ…」
 昼。
「……」
 僕は、よくこんなにため息をついていられるな、と、他人事のように思った。
 実際他人事なのかもしれない。
 もう、自分の人生に何の関心もないのだから。
 僕は、鈴を守って、約束を守っていければ、それで良い。
 すべて、今の状態が続けば良い。
 それが自分の願望なのか、人生なのか、未来なのか。
 それとも、言われたからなのか。
 ただ、それだけ…?
 なんにしろ、自分の人生には空白しかないなと、思う。
 
 
 
「おかえり」
「ただいま」
 夜。
 また、同じように食事を取って、寝る。
 どうして、こんなにもつまらない一日なんだろう。
 そうして考えるのは、前の世界のことしかなくて。
「……」
 楽しかった。
 そんなことばかりが、鮮明に焼きついている。
 今すぐにでも、その中に戻れそうなくらいに。
 つらいこともあった。
 でも、それを乗り越えてゆけた。
 そして、その先には楽しいことが待ってると思っていた。
 待っていると、思ったのに。
 …何もなくなってしまった。
 何もかも。全部。全て。
 その世界には、空白しかない。
 そして、前の世界への、羨望しかない。
 いやだ。
 いやなんだ。
 こんな、毎日が。
 これまでのように。
 あの、すばらしい世界のように。
 すばらしい毎日がなければ―――
 
「だめなんだ」
 
 瞬間、僕は立ち上がっていた。
 どうして?
 どうしてだろう。
 ただ、僕は今の日常を変えたいと思った。
 そういうことだと思う。
「理樹…?」
「鈴も、つまらないんだよね」
「理樹っ?!どうしたんだっ?」
「鈴も、この毎日が、つまらないと思ったんだよね」
 僕は、目の前にいる鈴に話しかける。
 そうだ。
 今の日常がつまらないのなら、楽しくすればいい。
 そして、同じように感じている、鈴と一緒に。
「理樹、くちゃくちゃだぞ?!くちゃくちゃこわいぞっ!!」
「ねえ、鈴。どんな世界がよかった?」
 どんな世界に行きたいのだろう。
 僕は、そして鈴は。
 …僕は、楽しかった世界に生きたい。
「理樹っ!話を聞けっ!」
 鈴と一緒なら、きっとどこへでも行ける。
 そうして、それなら約束も守れる。
 ずっと、鈴を守ってゆける。
 そうだ。鈴と一緒に、この世界から、この永遠から抜け出そう。
「理樹!」
「きっと、楽しいよね」
 きっと、次の世界は楽しいよね。
 こんな、つまらない世界じゃないよね。
 つまらないだけの、永遠なんかじゃないよね。
 昔のように、楽しく過ごせるんだよね。
「鈴」
「りき―――」
 そうして。
 僕の目の前は、瞬間、真っ赤に染まった。
 顔が熱い。
 そして、同時に僕の体も熱くなる。痛くなる。
 焼けるように。
 僕の、この世界での最後の記憶は…
 次の世界への、望み。
 そして、前の世界への、嫉妬。

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