馬鹿でもいいじゃない あめだま
「がぁー! 覚えられねぇ!」
真人は机に何度も何度も頭をぶつけて自虐している。
それを苦笑いを浮かべなからも、やめるように言う理樹。
真人の少し赤くなった額が、見ている方にも痛みが伝わるくらいに、腫れていた。
「大丈夫だよ、真人。もう一度復習すれば」
「駄目だ……何度復習しても覚えられる気がしないぜ」
大きな溜め息を吐く真人。
二人は今、明日の小テストに向けての勉強をしていた。
とは言っても、テストは簡単な慣用句やことわざといった内容のため、理樹は既に覚えている。
だが真人は違った。
真人は覚えていない上に、理樹のように予習復習を毎日こなすタイプでは無い。そんな時間があったら、筋トレをするようなタイプなのだ。
「ほら、真人。僕が上の部分読み上げるから、真人は下の部分を答えて」
「……分かった」
つまり理樹は、そんな真人のために、勉強に付き合っているのである。
「馬の耳に?」
「真珠」
「馬の耳に真珠!? それじゃあただの拷問だよ!?」
だが、あまりその成果は発揮されない。
真人自身、理樹が付いていなかったなら、既に勉強を投げ出しているだろう。
「石の上にも?」
「小判」
「どんな状況さ!?」
ここまでくるとただの馬鹿にしか見えなくなってくる。
「七転び?」
「八転び」
「どれだけ転ぶの!?」
そんな真人に根気よく付き合ってやれるのは、やはり理樹の性格上、放っておけないのだろう。
「じゃ、じゃあ真人。これなら簡単だよ! 猫に?」
「三年」
「何を!? 猫に三年間何を!?」
律義にツッコミを入れるのを忘れない理樹。
真人は、机に顎を乗せて唸っている。開かれたノートは真っ白で、何も書かれてはいない。
「真人、書かないと覚えられないよ?」
「書いても覚えられねぇよ」
真人は、少し不貞腐れたように言う。
そんな真人に、理樹はただただ苦笑いを浮かべるしかなかった。
普通なら、真人の態度に対して、怒るという選択肢や、呆れるという選択肢もあるだろう。
しかし、理樹はそれらを選ばず、ただ、苦笑いを浮かべる。
「ほら、ちゃんと書いて」
「う〜」
「あ、意味も覚えなきゃ駄目だよ?」
「だー! 分かってる!」
理樹に言われ、渋々といった感じでだが、真人は手を動かし始める。
白いノートが、黒く染まってゆく。
「ぐぁっ……こんなに細かい文字を書きまくっていたら、筋肉さんがこむらがえるぜ……」
「はいはい、真人の筋肉はそんなにやわじゃないでしょ」
「当たり前だぜ!」
「そう、じゃあもっとたくさん書こうね」
「ぐぁっ! 虎穴を掘っちまった!」
「うん、墓穴を掘ろうね。虎穴掘ったら大怪我しちゃうよ?」
頭を抱えて、立ち上がりながらそう叫ぶ真人に対して、あくまでも理樹は冷静に対処する。
こんなやりとりも、理樹にとっては、もう慣れたことだ。
再びノートに書き込みをいれていく真人を、理樹はなんとなく眺める。
真人は、確かに馬鹿だけれども、みんなに好かれる。
そう、真人の馬鹿は、ただの馬鹿じゃないのだ。
いわゆる、あいきょう者。愛すべき馬鹿、といったところだろう。
それは、とても凄いことだ、と理樹は思った。
「おい理樹? どうした?」
「へ? あ、ゴメン。ボーッとしてた」
不意に、真人に話しかけられて、理樹は意識を現実へと戻す。
あはは、と軽い苦笑いを浮かべて誤魔化す理樹を、不思議そうに見つめる真人。
よく見ると、真っ白だったノートの1ページが、文字で埋まっていた。
「真人、もうそんなに書いたの?」
「あぁ、せっかく理樹が付き合ってくれてんだからな」
鼻の下を人指し指で擦り、笑う真人。
理樹がノートを覗いてみると、隅から隅まできちんと埋まっていた。字は汚くて、ほとんど解読は出来なかったが。
「じゃあもう一度さっきと同じこと、やるよ?」
「おう! 今なら全て答えられる気がするぜ!」
先程の意気消沈はどこへといったのか、今は自信満々の表情を浮かべている真人。
「猿も木から?」
「念仏!」
「怖っ!? 猿が木から念仏唱えてたら異常だよ!?」
やっぱり駄目だった。
「うぉぉぉぉ! 何故だぁぁぁ!?」
再び机に頭をぶつけ続ける真人を見て、思わず理樹は笑う。
「何だよ……やっぱり俺が馬鹿だと思って笑ったのか?」
「う、ううん違うよ!」
真人が恨めしそうに理樹を睨む。
理樹は慌てて誤解を解く。
「じゃあ何で笑ったんだよ?」
しかし、それなら何故笑ったのか、理由が分からないといった様子で真人は理樹に尋ねる。
すると、理樹は少し悩んで、
「う〜ん、上手く言えないけれど、真人らしいなって」
「は? どういうことだよ?」
「だから上手く言えないんだよ」
「なんだよそれ」
理樹自身、苦笑いを浮かべている。真人も、よくわからないといった表情だ。
「なんていうか、真人はこれからも変わらないでいて欲しいなって思ったんだよ」
「それは俺に一生馬鹿でいろ宣言か!?」
「いやいやいや、違うよ」
一生馬鹿は嫌だ、と喚いている真人を見て、理樹は柔らかい笑みを浮かべる。
勉強が出来なくても、例え周りから馬鹿と認識されようとも、真人を本気でけなす者はいない。
その純粋さや滑稽な行動は、みんなから愛される。
だから、
「うん、やっぱり真人は変わらないでね」
「うぉぉぉぉ一生馬鹿は嫌だぁぁぁ!」
理樹は、未だに誤解している真人を見て、また笑う。
理樹は思う。
馬鹿でもいいじゃないか、愛すべき馬鹿は、みんなに笑顔を与えてくれるのだから、と。