「理樹!何か楽しいことはないか?」
「さあ、今日は何をするんだ!?」
「ひゃっほーーーーうっ!マーーーーーーーン!!」
宮沢謙吾は全力を尽くす。剣道部の次期部長と目され、見合うだけの実力を持っている。
稽古に手を抜くことはなく、自分に厳しく鍛え上げる。
宮沢謙吾は全力を尽くす。遊ぶときであっても真剣に。遊びだからこそ真摯に。
しばしば周囲を引かせるほどに、貪欲に楽しみ尽くす。
「はっはっはっ!楽しいなあっ!」
ネジが外れた、と人は言う。
石に立つ矢 ぶりかま
【1】
カキッ!
「クドっ!」
「はいなのです、おーらーい、おーら…わふーっ!?」
レフトへと高く上がった打球を見上げて後退ったクドが、捕球の直前、何かにつまづいて仰向けに倒れこんでしまう。
ボールはグローブを逸れて大きくバウンドし、てんてんと転がっていく。慌てて起き上がろうとするクドだが、それを制する声があった。
「任せろっ!うおおおおぉぉっ!!」
剣道着にオリジナルジャンパーという奇抜な出で立ちの男が、猛然とボールへ向かう。駆け抜けざまにボールを素手で引っつかむと、強引に身体を捻り、ホーム目掛けて力任せにぶん投げる。
矢のような、とはよく言ったもので、風斬る音を後に残して白球は、狙い過たずキャッチャーミットへと突き刺さった。
「スゥエエェーフッ!」
タイミングはぎりぎり、あと僅か数秒数センチ。相手ベンチから歓声が上がる。
「くっそおぉぉおおおうっ!!」
投げた本人はもんどりうって、高速道路で横転するタンクローリーのごとき惨状をもたらしていた。
歓声に負けないほどの声で悔しがりながら、それでも土まみれの顔で笑っていた。
「やはは、惜しかったですネ」
試合後、あっけらかんと言ってのける騒がし娘とは対称的に、反省の沼にどっぷりと首までつかる犬いっぴき。
「わふー、すみませんです。私があの時ころんだばっかりにー。練習してもどんくさい、牛乳飲んでもおっきくならない、あいかわらずのだめだめわんこなのですー、すー、すすすすすー…」
「クーちゃん?そんな風にいっちゃめっ、だよー」
「ふむ、クドリャフカ君は少し自罰的過ぎるきらいがあるな」
「そうだ。馬鹿どもを見ろ。ぜんぜんへこたれてないぞ。むしろくちゃくちゃ元気だ」
彼女たちの視線の先で、仲良し漢四人組は笑いながら互いに肩を叩きあっていた。
「あんなの、オレの筋肉なら余裕でアウトだったぜ」
「お前が投げてもあさっての方に飛んでいくだけだと思うがな」
「真人は力任せに投げるからな。内野なら問題ないんだが」
「力任せじゃねぇ、筋肉の声に従ってるだけさ…」
「かっこよく言ったつもりみたいだけど、コントロールできてないのは一緒だからね?」
理樹の突っ込みは筋肉の壁に阻まれ真人の心に届かない。いつもどおりの光景に、見ていた子犬の表情がようやく和らいだ。
道具を片付け、ついでにグラウンドをならす。部活というわけでもないので、雑談をしながらのんびりと、和やかに。
「うわぁ、謙吾くんすっごい土まみれー」
「思い切り転んでたもんね。滑り込みも全部頭からだったし」
「…一度ベースに届かなくてアウトになっていましたが」
「アレ、普通に走ってたらセーフでしたよ?なんで頭からいっちゃいますかネ」
「何を言う、漢と生まれたからには、やはり記録より記憶に残るプレーをしたいじゃないか!」
「あほだな」
「あほだねえ」
「あほですネ」
「…阿呆です」
「うむ、阿呆だ」
「へへっ、アホだってよ」
「あほなんていっちゃだめだよー」
「あほばんざいなのですっ」
「…じゃあ、満場一致であほに決定だな」
「おい待て」
突っ込み役が率先して加わったため、謙吾は自分で突っ込むしかない。
いささか以上の切れの悪さに落ち込む謙吾を慰めるように恭介が流れを修正する。
「ま、冗談はさて置き、今日は謙吾に美味しいところを持っていかれちまったな」
「ですネ。私なんかゼンゼンいいとこなしでした」
「あう、私もダメだったよー」
「はっはっは、仕方あるまい。実際のところ今回は練習不足だった感は否めんからな」
「あたりまえだ。旅行からかえってきて来週試合とか、あほか!」
「…無謀に過ぎます」
「しょうがないだろ、やりたかったんだ」
「うおっ、コイツぜんぜん反省してやがらねぇ」
「僕はもうあきらめたよ」
「わふー…」
自分のミスを思い出して再び沈みかけたクドの頭に、ぽふん、と大きな手のひらが帽子の上から乗せられる。
「そう落ち込むな、能美。今日の試合、負けはしたが楽しかったろう?」
「それは…はい」
んー、と虚空を見上げて記憶をリプレイしたクドは、自分よりはるか上にある土塗れの顔を見上げ、こくりと頷く。
「俺も楽しかった。多分皆もな。だから、今回のミッションは成功といっていいだろう」
「みっしょん…」
「ああ、だから胸を張れ能美。なあに、試合なら次勝てばいい。いや、勝つさ。俺たちは今日より強くなるからな」
言い切る謙吾の表情は恐れも不安もまるで感じない、確信に満ちたもので、頭に置かれた手のひらの、ごつごつとした硬さがそれを裏付けているように思えた。
「よしっ、そうと決まればあしたのために練習だ!おーい真人、付き合え!夕日に向かってダッシュ千本、勝負だ!うおおぉぉっ!!」
「お?よっしゃ、負けねぇぜっ!うらあぁーっ!!」
「いや、千本やる前に日が沈んじゃうから」
「突っ込みどころはそこかよ」
「わ、私もおつきあいしますのですーっ!」
道具を片付けたグラウンドを漢二人で走り出し、遅れてクドがわんこのように後を追う。理樹と恭介の声は、すでに土埃を上げて遠ざかる背中には届かない。
【2】
「メェ――――ンッ!」
「テェ――――ッ!!」
「ァア―――――ッ!」
気合の声が板張りの道場をびりびりと震わせる。朝稽古も残り時間僅かとなり、部員たちの顔にも疲労の色が濃い。
女子は着替える時間の関係で先に終わっており、今は道場の全面を使って次の試合に向けての互角稽古が行われていた。
この時期、床の冷たさが伝えるのは既に心地よさから辛さに変わっているが、皆汗を飛ばしながらぶつかり合う。
「お疲れ宮沢、仕上がりは順調なようだな」
交代して面を外した謙吾に声をかけてきたのは剣道部の主将。飛び抜けた実力はないが、真面目さと面倒見のよさで抜擢され、ようやく肩書きが馴染んできたところだ。
「はい、ようやく春の八割程度までは戻ってきました。ただ、試合までそう間がありませんから、もう少し稽古の密度を上げる必要がありそうです」
「おいおい、まだ足りないってのか?やりすぎて試合前に故障するなよ」
顔の汗を拭いて眼鏡をかけ直した主将に、謙吾は恭介譲りの不敵な顔で答える。
「全然足りませんよ、春の倍は強くなるつもりですからね。それに、俺は絶対に故障などしません」
唖然とする主将には謙吾が最後に「遊べなくなるのは困りますから」と小さく付け足したことには気付かなかった。
「…まあ、それならいいんだが」と前置きして、本題を切り出す。
「やっぱりその気はないか?」
「はい。すみません」
「そうか。実力者のお前が補佐してくれりゃ、他の連中のいい刺激になると思うんだが」
わざとらしく肩を落としながら謙吾の様子を窺うが、心変わりはないようだった。
「…俺には向きませんよ。教えるのもまとめるのも苦手ですから」
言って面を被ると、紐を結びながら提案する。
「先輩、勝負しましょうか。俺が負けたら副主将の話、引き受けますよ」
「いつも思うんだがこれって逆なんじゃないか?まあいい、受けてやろうじゃないか。今度こそ引き受けてもらうぞ」
謙吾の挑戦を受けて立つと、剣道部主将は通産七度目の勝負へと臨んだ。面越しに突き刺す眼光を、立ちはだかる謙吾は真っ向から受け止めた。
「今回も全力で阻止します。副主将をする、その時間が俺には惜しいですから」
【3】
「ラーメンを食べに行かないか?」
吐く息が白く霞むのを眺めていた謙吾が、唐突に提案した。
「なんだ、いきなり」
「おっ、いいな!久しぶりだぜ。理樹、オレチャーシューメンな!」
「ちょ、真人?いつのまに僕が奢ることになってるのさ!?」
「え、違うのかよ?」
抗議の言葉を心底意外そうに聞いた真人に、理樹は脱力を堪えて尋問を試みる。
「いやいやいや、どうしてそんなに意外そうなのか全然わからないんだけど」
「そりゃ、オレはアブシリーズの新しいのを買っって金ないんだから、チャーシューメンが食いたきゃ理樹におごってもらうしかなくね?」
「ああ、うん。そこまで言い切られるといっそすがすがしいね…」
「理樹に頼るなっ!」
「…あい、ずびばぜん…」
「はははっ!今日は俺が奢ってやるよ。みんなで行こうぜ!」
首が直角に折れ曲がった真人と、いまだ威嚇している鈴の肩を叩いて恭介が言うと、両者からは対極の反応が返された。
「さすが恭介、太っ腹だぜ!」
「ねえ真人。そこでついでに『ちぇっ、理樹はケチだなあ』って顔されるのはすごくムカつくんだけど」
「理樹、馬鹿は放っておけ。どうせ直らないんだ」
「そうだ、うつるぞ」
「感染んねぇよっ!」
「…それで、どこにするんだ謙吾。当てがあるんだろ?」
ダメージから復活したのか、顔に平行に走る数条の赤い傷痕を撫でながら、恭介が謙吾に尋ねる。
「ああ、駅前に最近出来た店らしいんだが、何やら凄いらしいぞ」
「ん、あそこか。俺も聞いたことはあるな」
「何だ、すげぇ美味いのか?」
「いや、凄く安いとか」
「てんちょーがすごいヒゲなんじゃないか?」
店を知っているらしい恭介を除く三人は、謙吾の曖昧な情報に首を傾げる。
「どうなの、謙吾?」
「いや、何が凄いのかは聞いていない」
「ええー、それじゃ凄くまずいのかもしれないじゃない」
理樹の危惧は至極もっともなもので他の二人も頷いたが、謙吾はまるで動じず頷いた。
「そうだな。その可能性もある」
「恭介…は、知ってても教えてくれないよね」
「ああ、分かってるじゃないか」
顔を見れば、店で反応を見るのを楽しみにしていることぐらいは分かる。溜息を吐いて諦めた理樹を真人が肩を叩いて促す。
「ま、いいじゃねぇか、百聞はカモシカってやつだ。行きゃ分かるだろ」
「…まあ、そうだね」
得意気に言う真人に理樹は居心地悪そうに答え、鈴は口をつぐむ。それが、突っ込みを避けたからなのか、それとも間違いに気付いていないだけなのか、それは外からは分からない。
そして…。
「どうだ?」
「まあ、確かに凄いよね…」
「あれは予想外だったな!」
「うう、こわかった…」
カウンターに並んで腰掛けた三人は、恭介の問い掛けに口々に感想を言う。ちなみに、真人の姿はない。店主の披露した人体消失イリュージョンの餌食になって姿を消したままだ。
「あ、ラーメンは美味しい」
「見ろ、もやしもシャキシャキだぞ!」
「お、正直味は諦めてたんだが、嬉しい誤算だな」
一口めをおそるおそる啜った理樹たちは、ほっとしたような拍子抜けのような顔で続きを食べ始めた。
しかし、しかめ面のまま、もうもうと湯気の立つ丼からもやしだけを摘んで、しゃくしゃくとかじっているのが一人。
「うーみゅ…」
「鈴?…ああ、ちょっと待ってね」
そう言い置くと店員に小さめの丼を貰い、そこに麺やスープを取り分けて小さなラーメンを作っていく。
「はい、こっちから食べるといいよ」
「…」
ちりん、という鈴の音に隠れるように小さく、ありがと、と呟いていた。
「恭介、聞こえたか?」
「…ああ」
はふはふと美味しそうにラーメンを啜る鈴と理樹、二人のほころんだ顔を手を止めて眺める別の二人。
「ふ、そう寂しそうな目をするな。いいことじゃないか」
「…わかってるよ」
返事に含まれた拗ねた響きは、丼に落ちて溶けた。
箸をおいて、カウンターに行儀悪く頬杖をついた恭介は、いつもの不敵な笑みではないそれを浮かべ、尋ねる。
謙吾がそれに一言だけ微笑んで返すと、二人は改めて熱々の味噌ラーメンとの格闘を再開した。
「…いい話のタネになったか?」
「ああ、なった」
【4】
食器を下げに来た若い看護師と同室の女性の会話を聞きながら、彼女はペンを置いた。引きつれてのたくった文字を見られないよう、ノートを閉じる。
「みゆきちゃん、食器、もう下げて平気かな?」
「はい。あの、済みません。またこぼして、ちょっと汚してしまいました」
「ああ、いーのいーの気にしないで。おっ、残さず食べたわね、偉い偉い♪」
「きゃ、や、やめてくださいよ…」
身の危険を感じて逃げようとするが既に遅し、抱きついた彼女に頭をぐりぐりと撫でられてしまう。
それほど歳の離れていないはずの彼女は、よくこうしてみゆきを子供のように扱う。それが何故か嬉しく感じてしまうため、いつもされるがままになってしまう。
「リハビリも頑張ってるし、これは本気でごほうびあげなきゃかなー?」
「い、いえ、ご褒美なんてそんな…」
「ぬふふ〜、そぉうよねぇ〜。古式ちゃんはゴホウビなんか必要ないのよね〜?」
そのとき、仕切りのカーテンからにょきっと頭が突き出し、不穏な台詞を吐き出した。
「ちょ…」
「え、何なに、どういうこと?あたしにも聞かせて欲しいなー?」
止めようとしたみゆきの言葉を遮って、好奇心で目を爛々と輝かせた看護師が身を乗り出してきた。
「古式ちゃんはですねぇ、四月からまた学校行けるように頑張ってるんですよ〜」
「え、学校に…?」
発言の主は頭だけ出したまま、みゆきを時折ちらちらとわざとらしく横目で見てにしししと笑う。
それを聞いた看護師は驚きと喜びと心配を一緒くたに混ぜ合わせたような微妙な表情で見るが、みゆきはそれに恥ずかしそうに頷く。
「彼氏と一緒に桜並木を歩くんだもんね〜?」
「かっ?そ、そんなのじゃありませんよ。な、何度も、言ってるじゃないですか…あのひとは、と、ともだち、で…」
二人の無言のやり取りに気付かない約一名は、空気を読まないにやにや笑いのまま、さらに燃料を投下。
顔を真っ赤にして、徐々に消え入りそうになる声で否定するみゆきのやり取りを黙って眺めていた彼女は、飛び込むように距離を詰め、みゆきの頭を胸に抱きしめた。
「ひゃっ!?」
「くぅーっ、愛いやつよのぉー♪」
「や、やめてくだ…くるしっ…」
窒息しそうになりながらもごもごと助けを求める声を聞いて、しぶしぶと拘束を緩めると、涙の滲んだ上目遣いで睨まれ、危うく抱き潰しそうになる。
「酷いです…」
「ごめんねー。あんまりにも可愛くてつい…。でも、みゆきちゃんの気持ちはわかったわ。お姉さんもいっぱいサポートするね」
「彼氏じゃないって言うけどさ〜、それなら何でそんなに頑張ってるのよう〜」
みゆきのベッドに肘を突いて、笑いながらわき腹をつついて尋ねる彼女に、抱きすくめられたまま、首だけをめぐらせて。
「何で、って…だって、病室であんな馬鹿な事をする人を、放っておくわけにもいかないじゃないですか」
外れたネジを受け取った、彼女の視線のその先に。尻振って踊る馬鹿一匹。
――はい、「いし」の間に一文字入れて「い・や・し」!――
そのネジがあたたかい、かもしれない。