真人の頭からたけのこが生えてきた。そりゃもうニョッキリと。
〜雨後の筍〜 ぶりかま
朝、顔を洗い終えた理樹が部屋に戻ると、真人がタンクトップ姿で部屋を出て行くところだった。
「出かけるの?」
「おう、ちょっと走ってくるわ」
「雨だよ?」
「ああ、雨だな」
「じゃあ、先にいちおう席とっとくね」
「おうっ!」
真人は冬の冷たい雨の中ランニングしてくるので、朝食はシャワーを浴びた後になる。だから、理樹が先に食堂に行って、いつも空いている席ではあるが、念のため真人の分を確保しておく。といった意味の会話を交わし、真人は部屋を飛び出していった。
それを見送った理樹は、とりあえず着替えることにした。それが無事な真人を見た、最後だった。
真人が食堂に現れたとき、それはすでにあった。
そのとき理樹は、同席していたクドリャフカと二人、真人を待ちながら食前の会話を楽しんでいた。より正確に言えばイチャイチャしていた。そして他のメンバーは、席を一つ以上空け、なるべく二人を視界に入れないように振舞っていた。
そんなときだ、真人が現れたのは。食堂の非常なざわめきに、はじめに気付いたのはクドリャフカだった。理樹の口許にさりげなく残ったご飯粒を、意を決して直接口で取る「個人的みっしょん」に挑戦していたクドリャフカは、そーっと寄せていた顔を途中で止めてしまった。止めざるを得なかった。
真人を見てしまったから。たけのこを、見てしまったから。
理樹は、いつまでたってもご飯粒が取られないので心配になってクドリャフカを見た。そして、中途半端な距離で固まっているクドリャフカの、特に中途半端に開いている唇に注目した。よし、とりあえず人さし指だ。それでクドリャフカは我に返った。
指を口にくわえたまま、身振り手振りで理樹に伝えようとする。「リキー、うしろうしろー!」それでようやく気がついた。たけのこに。いや、真人に。
「モウソウチク、という種類の竹に酷似していますね。あくまでも外見上は」
美魚がポケット事典を片手にそう判定した。
食堂には馴染みのメンバーだけが残っていた。他の学生たちは、真人が余りにも平然としていたので「まあ、いつものことか。井ノ原だし」と納得して授業に行ってしまった。ここにいるのは全員サボりだ。
そう、真人は平然としていた。今はカツをつまんでいる。さっきカツ丼を平らげたので、これはデザートだ。ソースは別腹。
「竹はふつー頭から生えないですヨ。どーなってんですかコレ」
葉留佳がたけのこを無造作に掴んで左右に引っ張る。
「いだっ!?ちょ、やめっ、うぎゃあああああああっ!!」
「おお、なかなか頑丈ですネ」
「ちょ、葉留佳さん、やめてあげて!?」
たけのこがびくともしない代わりに、真人が断末魔の声を上げる。
「ふむ、太い髪の毛のようなものか?骨や頭皮を突き破って生えているというわけでもなさそうだ」
「ほわぁっ?ゆいちゃん、怖いこといわないで〜」
「む、だからゆいちゃんはやめてくれと…」
「めんどくさいな。切っていいか?」
生え際をかきわけて検分していた唯湖の見立てに、エグいものを想像したのか小毬が涙目になっていた。鈴はめんどくさくなっていた。
「そういえば恭介はどうした?」
「さっきまでその辺にいたけど…いないね」
「田中さんを探しに行くといっていました」
謙吾の疑問に答えたのはクドリャフカだった。あの恭介がこんなオモシロふしぎなイベントに首を突っ込んでこないわけがなかった。田中というのはきっと元生物部部長のバイオ田中だろう。このたけのこが人為的なものだとすれば最有力の容疑者だ。
「だが、田中はシロだ」
「早っ!」
みなが期待を高めきる前にその芽を摘んでしまう、空気が読めすぎる恭介ならではの空気を読まない発言だ。
いつの間に戻ってきたのかというささいな疑問はさておいて、恭介のかたわらに立つ人物に注目が集まる。
「そのたけのこは、生物部で開発したものじゃない。全く未知の植物だ」
夏場と同じく制服に白衣をまとった田中は、無駄に大きな胸を張って告げた。
『誰?』
「田中だ。バイオ田中」
「こんな格好で失礼。クッキー改の実験中だったんでね」
唯湖もかくやという巨乳美女に変身した田中が、これでもかとばかりに胸を揺らす。しかし、同じ巨乳でも、田中と唯湖には決定的な違いがある。それは、ブラの有無。
田中の胸は実に開放的な自由度をもって縦横無尽に跳ね回る。その破壊力たるや、
「くっ…中身が田中だと分かっていても思わずくらっと来ちまうぜ…」
恭介をして(21)〈アイデンティティ〉を揺らがせるほどに。
それはさておき、疑惑が晴れたわけではないものの、とりあえず専門家ということで田中にたけのこを検分してもらった。
「…これはたけのこだね」
「んなことはわかっとるわっ!」
「ありがとうございましたっ!?」
鈴が腰の入ったいいハイキックを真人におみまいする。
近頃、鈴はバスターズのメンバー以外にも打ち解けはじめ、こうして突っ込みを入れることも出来るようになった。真人を蹴るのは照れ隠しだ。そんな妹の、幼馴染の変化を恭介たち旧メンバーはほんの少しの寂しさとともに嬉しく思う。
だが、問題は解決しない。
「なあ田中…さん。ただのたけのこが頭から生えるなんてことはあるのか?」
恭介がはにかんだ表情で田中に質問する。田中は自らの容姿の破壊力を正しく理解していないので、接し方が分からないのだ。
「なんだよ棗君、随分他人行儀だね。まあいいか。細かい説明は省くけど、普通頭から生えるなんてことはない。これは瑞徴とか呪いとか、いわゆるオカルトの類の話だ」
呪いという言葉を聞いて、お化けに弱いメンバーが真人から距離を取る。特に美魚はそ知らぬ顔で食堂の入り口まで下がっていた。
「呪いのセンはないだろうな。この馬鹿が誰かの恨みを買うとは考えられん」
喧嘩するほど仲がいい、を地で行く謙吾は確信を持って断言した。
「ほほう、それじゃーナニかいいことの前触れってことですネ。なーでなーで」
「ふむ、そして葉留佳くんの頭からも同じものが生えてくるわけだな」
「げっ、えんがちょ!えんがちょ切ったーっ!」
「納得いかねぇーーっ!?」
真人は短期間での手のひら返しに涙すら浮かべていた。
「水をやってみよう。伸びるかもしれない」
「肥料も必要だな。もずくはどうだろう」
恭介と唯湖は好奇心のままにたけのこを育てはじめた。奇跡が起きた。
「…はっ、見てください!」
「ほわぁっ、た、たけのこが〜」
「のびましたっ!?」
「きしょっ!」
伸びる、伸びていく。水ともずくの力か、それとも筋肉か、VTRの早送りのように見る見るうちに。
皆が見守る中、たけのこは天井を突き破り、立派な竹へと成長をとげた。
「…とまった?」
ざわざわと葉の茂る音が聞こえなくなり、理樹が見上げると、首の筋力で竹を支え、仁王立ちする真人の姿があった。
「ふぅ、筋肉のおかげで助かったぜ…」
真人がどこか誇らしげに冷や汗を拭う。天井を貫通しているため、倒れることはなさそうだが、それでも相当な重さだろう。確かに筋肉のおかげと言えるかもしれない。
しかし、それはささいなことだ。真人以外のものにとっては。
「こいつはたまげた…光ってるぞ」
普段物事には動じないと近所で評判の(21)さえ、驚きの声を漏らした。真人に最も近い部分の軸が光っている。
「かぐやひめ…?」
誰が呟いたのかわからない、しかし誰もが思ったそのとき、美魚の悲鳴が聞こえた。
「逃げて…!」
立ちすくみ、しかし精一杯の警告を発した美魚を一顧だにせず、それは迫ってきた。
普段の姿では想像もつかない速さで、前脚には鉈を持って。
「ドルジっ!?」
真っ先に反応したのは鈴。飼い主としての使命感がそうさせるのか、ぎらつく鉈の輝きも恐れずに、地を薙ぐようなローキックで後ろ脚を払いに行く。しかし、今のドルジには通じない。
「とんだーっ!?」
まるで猫のように軽やかに飛び上がり、鈴の頭上を軽々と飛び越える。
「ふっ…」
「させんっ!」
ならばと立ちふさがったのは恭介と謙吾。
「いくぜ!」「応!」
「「合体!!」」
謙吾が恭介を肩車した!すごい!大きい!
「二つの頭と」
「四本の腕!」
しかし機動性に劣る夢の合体ロボはドルジのフットワークに難なくかわされた。
「倒せるものなら、倒…っておい!」
ドルジが真人に肉薄する。鉈の刃がぎらりと光る。
「へっ、道具なんざいらねぇ。この筋肉こそがオレの武器…お前ら、手出しはいらねぇぜ?」
その場を動けない真人が、真っ向からドルジを迎え撃つ。静かに向かい合う両者。
皆、固唾をのんで見守る。美魚も合体中の恭×謙を熱い視線で見守った。
そして、時が動き出す。
「ぬおー」
ドルジが、ほとんど予備動作無しに飛び上がった。高い。巨体が風船のように天井近くまで舞い上がると、呆気に取られる一同の目の前で体勢を替え、天井を蹴った。
「何っ!?」
弾丸のような勢いで真人に迫るドルジ。
やられる――惨劇の予感に誰もが思わず目を閉じると、
すこんっ♪
真人の頭が小気味いい音を立てた。
「…え?」
親友の安否を気遣い、いち早く目を開いた理樹は見た。
竹が、根本を残してすっぱりと断たれているのを。
そして、光る竹をドルジが手にしているのを。
「よかった…」
皆もそれを確認し、一様に安堵のため息をもらす。それを見届けたのか、ドルジは鉈の柄で手にした竹を軽く叩いた。
ころん。
「にゅぉー」
ちっさいドルジが出てきた。
呆気に取られる一同にドルジはお辞儀をすると、小ドルジを頭に乗せ、悠然と去っていった。
後にバイオ田中はこう語った。
「クッキーに性転換だけじゃなく容姿を変更させる作用も追加してみたんだけど、まさか不可逆変化になるとはね…まあ、今の格好も気に入っているから、成功と言えなくもないかな?」
その後、こうも語った。
「ああ、今度は動物に変身するクッキーなんてどうかな?そういうマンガあったでしょ。なかったっけ?まあいいや。え、ドルジ?何だっけ…ああ、ごめんごめん冗談だってば。ドルジ君だよね。うん、たぶん水をかけたからじゃないかなあ。ほら、あったでしょ?水をかけてはいけない、太陽の光に当ててはいけない…あと一つは忘れたけど、まあそんな感じ。あの日は雨が降ってたからね、きっとそういうことさ。え、分からない?」
今、大ドルジと小ドルジは、なかよく日向ぼっこをしている。
そして、真人の頭に残っていた竹は、毛が生え変わる頃にぽろりとはがれた。しかし、一度貼られた「カッパ」の称号は、まだはがれていない。