にゃーう、うにゃう、ごろにゃー。
群がる猫の眼前で、猫じゃらしをぴこぴこと振ってやる。
もう片方の手で別の猫の頭を撫でてやり、肩に乗った猫や背中にひっついた猫を振り払うでもなく受け入れる。
「あー、もう。鈴どこに行ったのかなー」
鈴と付き合うようになってから世話をする機会が増えたとは言え、さすがに十数匹の猫を僕1人で相手にするのはきつかった。
鈴から言わせれば鍛錬が足りないらしいけど、そんな鍛錬はいらないかなぁと心の底から思う。
天気はからっ、としたこの上ないほどの快晴。夏が過ぎ秋も半ば、冬に近いこともあって空気は少し乾いている。
「理樹、ちょっといいか」
背後から声。ようやく鈴が来たようだ。
けど、今の僕は手が放せない。猫が身体に張り付いているから振り向く事すら億劫だ。
「なぁに、鈴」
「……ちょっと、見て欲しいモノがある」
そう言った鈴の言葉を理解したのか空気を読んだのか、僕に張り付いていた猫が離れて行く。
余裕の出来た僕は、猫じゃらしだけをやはりぴこぴこ小刻みに振りながら後ろへ目をやった。
そこには、
170cm半ばくらいの緑色の何かを右手一つで摘み上げている鈴が居た。
そんな大きなものを身体能力が高いとは言え女の子である鈴が持てているのはきっと力の入れ方が上手いのだろう。
感服する。
けど、今はそれよりも。
「鈴、……どうしたの、それ」
「なんか朝マックしに出かけたら、途中で河原に居た」
朝から居ないと思ったらまたそんな。
多分衝動的な行動なんだろうけど、僕としては誘って欲しかった。悲しいじゃない。
「なんか段ボールの中に佇んでて捨てられてたっぽいから、拾ってきたんだ」
「いやでも、それ鈴」
「なぁ理樹」
鈴が、真剣な顔で、続ける。
「……河童って、なに食べるんだ?」
僕にわかるわけないじゃない。
―― 水符「河童のポロロッカ」 ―― 翔菜
どこからどう見ても鈴が拾ってきたものは河童だった。
着ぐるみかどうかすらよくわからない。
肌は見た感じベトベトと粘質でぶつぶつしていて、一見つぶらなような瞳もよく見ると非常にリアル。
その緑は意外にも明るく太陽の光によく映えて、少し眩しい。
頭にはすべすべとした皿もついていて、三角形で毛みたいにもさもさした物が周りについていた。
足も手もちゃんと水がかきやすいようになっている。
いやでも、現実的に考えて。
「あの……どちら様ですか?」
僕の弾き出した答えはこれだった。絶対、中に誰か居る。そうとしか考えられない。
なんか土の上に胡坐をかいて猫と戯れている河童が顔を上げ、困ったように首を捻り、何やら木の板を取り出した。
すると、それにマジックでキュッキュと文字を書いていく。
『中の人など居ない』
「凄いなこの河童、日本語がわかるのかっ」
「いやいやいや」
どこから突っ込めばいいんだろう、僕は。
リトルバスターズで鍛えられたつもりでいたけど、まだまだ甘かったらしい。
「あの、喋れますよね?」
「ゲコグゥー」
喋れないと主張したいらしい。
でも口ばしが開いてない。
「馬鹿だな、理樹。河童が日本語喋れるわけないだろ。人間とは声帯がちがうんだから」
鈴の言葉に河童が大きく頷く。
その後で何か書くと、高く掲げた。
『水』
「水か、お前水飲むのか」
フルフルと首を横に振って、頭を指差した。
「なるほど。ちょっと待て、いまそこの水道で」
そう言って背を向けた鈴の手を、河童が掴んだ。
また板を出し、
「グラグァー」
と鳴いた。
『ミネラルウォーターキボンヌ』
「理樹」
「なに、鈴」
「最近の河童はぶるじょあじーなんだな……」
「コーラでもかけたくなってきたよ……」
『そんなんしたら頭の皿が溶ける』
溶けるんだ……。
「しかも思ったよりデリケートだ……けっこう濁った河でも泳いだりしてるイメージだったから意外だ」
「そもそも存在自体を疑うよ、鈴」
「あたしは半信半疑派だったけど、こうして目の前に河童がいる。肌もそれっぽいしなにより本人が」
『僕は河童です』
「と、書いている」
そんな腕を組みながら偉そうに言われても。
もうどうでもいいや。
兎も角中庭の自販機でペットボトルのミネラルウォーターを買ってくる。
「はい、これでいいの?」
手渡す。河童は持ちにくそうな手でそれでもしっかり受け取ると、底を見たりラベルを見たりしている。
器用に蓋を外し、豪快にかけるのではなく猫のミルク用の皿に水を入れてちろちろと流し皿を潤した。
なんかシュールだ。
「ウガァヴー」
「え、なに、どうしたの?」
「なんか、ちょっと不満そうだ」
『ボル○ィック派じゃなくてエビ○ン派』
「あたしはクリス○ルガイザー派なのに……」
「派閥争いおっぱじめようとしないでよ」
何やら握り拳を作って立ち上がって対峙した2人(1人と1匹?)を宥める。
と言うか鈴の順応性の高さが凄い。僕じゃ達し得ない高みにある気がした。
「うぅ」と警戒心丸出しで目を細めた鈴の手首を掴む。
「ウジャブー」と対抗した河童の手首を躊躇しながらも掴もうとする。
と、
「モルスァ!」
「いたっ」
叩かれた。
結構痛い。
「理樹! 大丈夫か!?」
「まぁ……一応大丈夫」
『……俺の肌に触れるとガチで火傷するぜ?』
「河童って水場に棲むものなのに!?」
『実は肌のぶつぶつのひとつひとつは全部小型の火山だ』
「こわっ! 理樹、河童ってくちゃくちゃこわい!」
「体内構造どうなってるの……」
とりあえず触れて欲しくないらしい事はよくわかったけどさ。
と言うか最初鈴が首のあたり摘んでたんじゃない。
猫にも触ってたし。むしろ現在進行形で貼り付いてるし。
僕の視線から何か読み取ったのか、河童はまた板に何やら何やら書き出す。
『心が純粋なら大丈夫』
純粋の部分を赤文字で縁取りまでして書きやがった。
僕が穢れているとでも……でもたまに鈴にしてる事を……鈴にされて悦んでいる事を考えれば……穢れてるのかも知れない。
俯き、視線を逸らす。そよぐ風がなんか痛い。
すると河童は勝ち誇ったかのような雰囲気を醸し出しつつ(表情は変化してもよくわからない)、板を僕の方に向けた。
『フッ』
うわぁ。僕らしくないし言動が乱れすぎるのは物凄く自覚あるけど、なんか。
こ い つ マ ジ で ぶ ん 殴 り た い 。
睨み付けてやると、それを無視してペットボトルを傾けて水浴び始めるし。にゃうにゃう鳴きながら猫が少し距離をとる。
ミネラルウォーターで豪快に水浴びする人なんて始めて見たよ。河童だけど。
「さすが河童……水浴び一つとってもむだがない。洗練されたみごとなフォルムだ……」
「え!? ちょっと待って鈴今の感心するところなの!? ……はぁ……そんなに水が好きならさっさと河に帰って平穏に暮らせばいいのに」
……思わず本音が口から出てしまった。
何か気に障ったのか河童がまた凄い勢いで視線を僕の方へと向けてくる(多分睨みつけてる)。
「ヴーマァグゥー!!」
獣のように喚きながら、ずびしと今までにないほどの壮絶さで板を突き出してくる。
『ポロロッカを舐めるな……!』
「アマゾン川から来たの?」
『弾幕出身の河童です』
沈黙。わけがわからない
10秒ほどして、鈴がゆっくりと口を開いた。
「理樹、あたしとんでもない事に気付いてしまった……」
「なに? 言ってみて?」
「この河童、きっとアホだ……きょーすけや馬鹿2人にも負けないほどに」
何を今更。
「とりあえずもと居た場所に捨てて来ようよこの河童……精神衛生上良くない」
「いくらアホとは言え、……それはそれでなんかかわいそーだ」
『NOと言える河童に僕はなりたい』
うるさいお前は黙れ。喋ってないけど。
「そんな事を言ってもさ……飼えるわけじゃないし」
『飼ってください』
「理樹……」
訴えるような上目遣いで、鈴が僕を見てくる。
これには弱い。けど、ここは冷静に、されど心を鬼にしなくちゃいけない。
「いやまあ、だから現実的に考えてね?」
『いいから黙って飼えよこの鬼畜野郎。あんま可愛い顔してると女体化させて犯すぞコラ』
「もういいよ! 早く捨てて来ようよこいつ! 河原とは言わずクリーンセンターのゴミ焼却炉に!」
「どうしたんだ理樹、いきなり取り乱して」
よく見たら鈴には見えないようにするためか、さっきとは微妙に板の角度が変わっていた。
なんて姑息な変態河童なんだ……!!
『……僕にはナイル川で帰りを待つ妻と2匹の子供と97人のファラオが……!』
「え? なにそれ1○1匹ワンちゃんのノリ? って言うかなおさら帰ってよ家族が居るなら」
「あたしもなんかよくわからなくなってきた……」
『(∵)……』
いやそれだけ書かれても。
『実は出稼ぎに来てます』
出稼ぎて。
「そうか、ならしょうがないな」
「しょうがなくないよ! なに言ってるんだよ鈴!」
そう叫んだ時だ。
ぐぎゅるる〜、とお腹の鳴る音がした。
2つ分くらい。僕と鈴だ。うにゃ〜と鳴く猫たちが、なんだか笑っているように感じられるくらいには恥ずかしい。
「おなかへった……そういえばけっきょく朝から何も食べてなかった……」
最初に、鈴が力なく呟いた。
変態河童見つけてそのまま何も食べてなかったみたいだ。
「……何か買ってくるよ。コンビニのお弁当でいい?」
「この際食べれてあたしが好きなやつで美味しければなんでもいい」
それはなんでもいいって言わない。
『かっぱ巻き』
「買ってくるから食ったら帰れ」
『えー……まぢぁりえなぃしぃ』
「…………」
兎も角、ひとっ走りしてこよう。お腹は減ってるけど、それくらいなら何とかなりそうだ。
学校からコンビニまでは少しあるけど、それでも20分もあれば戻ってこれる。
1人と1匹に背を向け歩き出す、と、
ちょんちょん。
……肩を叩かれた。振り向くとそこには阿呆河童が。
右手で板に書いた字を見せ、
『ヘイ待ちなガール』
……左手で校門の方を指差している。
もう突っ込む気すら起きない。突っ込みたくない。疲れる。ちくしょう。
「なに、何か用?」
『マイカーでコンビニまで送ってやるぜ』
河原で捨てられてた河童がなんでマイカーなんて持ってるのさ。
最初からだけど言ってる事に一貫性がないよねまるで。
鈴に行って来ます、とだけ言い、校門まで移動する。
するとそこにはピカピカに磨き上げられ光り輝く、
……『滑破号』のプラカードをぶら下げた緑色のママチャリ(荷台付き)が。
え? なにこれ滑るの? しかも全然かっこよくないよ?
……ダサいなぁ。美的センスを疑うよ。所詮河童と言う事なんだろうか。
僕が思わず頭を抱えて考えてしまった隙に、河童は自転車に乗っていた。
しかも後部の荷台に座れとばかりに、くいっと親指(?)をそちらに向ける。
……色々言いたい事はあるけど拒否権はなさそうだ。それに、何も取って食おうってわけじゃないだろうし……。
「はぁ……」
溜め息を吐いて、大人しく従う事にした。……受け身でお人好しな自分がちょっと嫌で憂鬱になる。「グガァー」……相手河童だけど。
荷台に乗り、
「……掴まっていいの?」
『肌に火山があるわけないだろ?』
いやそれはわかってるけど。
ぬるぬるで気持ち悪いけど河童の肩をしっかりと掴む。意外と滑らない。
「あれ?」
そこで違和感……いや、懐かしい気持ちを抱く。不思議と安心するような、そんな。
がこん、とひとつ音を立てて自転車が軽快に走り出す。
ペダルを漕ぐのは兎も角、よくあの手でハンドルを握れたものだ。
さー、とやはり軽快に走り続ける。周りからは奇異の目を向けられるけど、気にしないより他手段は無い。
「グァラゴワァー!!」
ガキーン?
いや、それはどうでもいいとして、何で雄叫び(?)を上げるんだろうこの河童。
少しスピードが速くなって、反射的に肩を今までより強く掴んだ。
「あ」
気付く。そうだ、僕はこの肩を知っている。掴んだ事がある。
この肩は…………。
「恭介? ……何してるの?」
「う」
初めて、河童から人間らしい声が出た。
この河童は、やっぱり恭介なんだ。
「もう一度聞くよ。なんでこんな事してるのさ」
「なんでってそりゃお前……」
言い淀んだ。
「鈴を、楽しませようとしたの? ……って言うか、なんで河童?」
しばしの沈黙が訪れる。
恭介が着ぐるみの中で笑った……気がした後、
「頭の皿が……とってもセクシーだったからさ……」
ちりんちりーん、と青空へ向かってベルが鳴らされる。
…………………………………………あほだろこいつ。意味がわからない。
それだけですか。マジでそれだけなんですか。我を失うよホント。
僕は直枝理樹。おーけー? おっけい。
……きっと恭介は今、清々しいほどに満ち足りた笑顔をしている思う。
「それにしても、よくそんなの着てまともに動けるよね。自転車まで漕いで」
「あぁ、これが意外としっかりと出来ていてな。皿がセクシーなだけではなく、本物の河童と見紛う程気持ち悪い外見、皮膚、間接も完璧だ。まぁ…………」
「まぁ?」
「前は全く見えないがな」
「は?」
「…………」
「え? あ、いや、じゃあ恭介はさっきまでどうしてたの?」
「俺の勘とお前らへの愛があれば、あれくらいなんともないさ」
「えっと、ちなみに行く先になんか下り坂が見えるんだけど…………」
「安心しろ、理樹」
何度も聞いてきた、僕を落ち着かせてくれた、自信たっぷりの恭介の声。
それが今は、果てしなく信用出来ない。何せ今の恭介は頭の皿がセクシーとか言うだけで河童になった男だ。
「言ったろう? 俺は勘がいい。ついでに運も良ければ根性もあるしちょっとやそっとの障害に屈するやわな男じゃあない」
「いやだから、坂だよ? 自転車だよ? 前見えないんだよね?」
「それがどうした!」
「危険だよ危ないよ止まってよ僕が運転するからこの障害には屈してよお願いだから!」
「だが全力で断る!!」
「えぇー!?」
「行くぞ理樹! しっかりと掴まっていろ!」
「ちょ、ま、」
「俺は今! ポロロッカの速さを越える!」
ぼう、と恭介のハートが燃え上がったような、そんな気がした。
何が恭介をこうさせたのかはわからない。もしかしたら本物の河童の呪いなのだろうか?
「俺は宇宙最速の河童になるんだー!!」
「ならないでいいよおおぉぉぉおぉぉ……」