筋肉候〜それは偉大なる筋肉志〜 翔菜
真人が部屋に帰ると、理樹がドアの前で膝を抱えて蹲っていた。
それを確認出来たのは開いたドアの隙間から廊下の光が入って来るからであって、部屋には電気も点いていない。
「どうした、理樹」
その、明らかに普通ではない雰囲気に不安になって、真人が静かに声をかける。
パチッ、と音がして照明が灯される。
それから、理樹はゆっくりと顔を上げて、今にも泣き出してしまいそうな哀しげな瞳で真人を見た。
小動物のような、いじめt……ごほんっ、守ってあげたくなるような姿。
あまりにも弱々しかった。
「鈴に……鈴に……」
「鈴が、どうかしたのか?」
「鈴に…………早いって言われた」
何を、と真人は思った。
だが、再び俯いた理樹の視線と手で抑えている位置を見て、理解した。
あぁナニか、と。
ミ☆ 筋 ミ☆ 肉 ミ☆
「なるほどな……」
「うん……」
つまり、あれだ、行為だ。
要するに、早いと早すぎると。
鈴は慰めてくれたらしいが、どこか不満そうでもあったと言う。
「まぁ、俺だって理樹ほどじゃあないが鈴の事は大切に思っている……理樹の事はその3倍くらい大切に思ってるけどな。だから、なんとかしてやりてぇ」
「ああ、真人の筋肉が真っ赤に燃えているようだよ……」
微妙に引き気味だった。
「しかし、なんで恭介じゃなく俺なんだ?」
「思ったんだ、筋肉が足りないんじゃないかって。主に下腹部の」
「そっか……筋肉についての相談なら、いつでも乗るって言ったもんな」
真人は穏やかに笑い腕を組んだ。
それを見て安心して、理樹も表情を少し和らげる。
「だがな、理樹。そいつぁ……筋肉じゃ解決出来ねぇ」
「え?」
「いや、筋肉に関係する事ではあるが……ただ筋肉をつけ鍛えればいい、というものじゃねぇんだよ」
「ど、どういうことなの? だって、真人は……!」
「俺の筋肉は強くなるための筋肉だ。だから鍛えるだけでいい。だが、理樹。お前は違う」
「なんで!? そんなはずはない、だって筋肉は! 昔の偉い人も言ってたんでしょ!? 筋肉あれば嬉しいな、って!!」
「馬鹿野郎理樹! 筋肉はなぁ、お前が考えてるほど簡単じゃねぇんだよ!
お前のそれは筋肉に関係あるが……筋肉があれば解決するってわけじゃねぇんだ。冷静になれ、理樹」
思わず膝立ちになった理樹の肩を抑え、真人は視線を鋭くする。
力で逆らう事など出来るはずもなく、今の理樹の悩みを解決出来るのは恐らく真人しか居ない。
だから理樹は大人しく座った。
真人は理樹が落ち着いたのを確認し、また自身も筋肉に酸素を行き渡らせ気を落ち着ける。
「お前の筋肉は……鈴のための、愛のための、筋肉だろうが」
理樹の筋肉にあるのは、真人の筋肉には備わっていないものなのだ。
力と愛。筋肉はどれだけ通じてもこの2つは決して通じる事は出来ない。
真人の必死の言葉が通じたのか、理樹は頭を抱えて蹲ってしまう。
「そうか……僕は……なんて勘違いを……」
「そいつを解決するためには……筋肉の歴史を結構古いところから説明する必要があるが……いいか?
単純にそのための行動をすればいいんじゃない、何故その行動をするのか、理解しなくちゃいけねぇんだ」
「構わないよ! 鈴のためだもん!」
「よく言ったぜ、理樹」
拳を握り、気合を入れるようにした理樹を見て、真人は少し頭を捻る。
どう言った順で話せばいいかを考えているらしい。
そしてひとつ、深めの息を吐くと、話し始める。
「まずは……ガリレオ・ガリレイの話からだ」
「ああ、それは僕にも分かるよ、真人。『筋動説』だね」
「知ってたのかよ」
「それくらい常識だよ」
んなわけねぇよ。
とまぁ、そんな冷静かつ野暮な突っ込みをくれてやる人物もこの部屋には今はいない。
非常に嘆かわしい事ではあったが、これもまた運命であろう。
そう思わないと色々と進まない。
思え。
いやむしろ、これこそがイエス・キリストや釈迦とも肩を並べうると言われる究極神、フリーダム・キングマッスライム(『新約・筋肉聖書−エターナル・デスティニー−』弟四百八十版より名称引用)の意思なのである。
「そもそも、奴の本名自体がガリレオ・マッスラー・ガリレイなんだよな。ミドルネームはほとんど知られていないが。
こいつは、至って普通の体格ながら人類が築き上げた筋肉の歴史で最も筋肉に愛された男と言われている」
「……普通の体格なのに?」
「あぁ、なにせ筋肉だからな」
「そっか、筋肉だもんね……」
筋肉だからである。
それ以上の理由が、必要かい?
「地球は太陽の周りを回っているとする地動説と同時に唱えられた、地球は筋肉の力で太陽の周りを回っていると言う説……それが筋動説なんだよね、真人」
これはすなわち、高熱高圧の地核もまたマントルではなく筋肉であるとするものである。
「すげぇじゃねえか理樹。隠された地球の真実をいったいどうやって調べた」
「インター筋肉ネットだよ。僕も最初は自分でどうにかしようとしたんだ……でも、無理だった」
「ちなみに補足だが、地震が起きるのは筋肉が痙攣しているからなんだぜ。地球が筋トレをすると天変地異が起こるとも予想されている」
「そうだったんだ」
凄いや筋肉、と理樹は笑った。
地殻変動も全て筋肉の痙攣。なんてスケールの大きい筋肉であろうか。
だがしかし、これは筋肉のスケールの大きさと偉大さを示す上でのほんの一例である事を忘れてはいけない。
この物語に置いて語る事が出来るのはほんの一部……筋肉の欠片に過ぎないのである。
「でも真人」
「ん? 何か気になる事でもあったか」
「うん……今のは、やっぱり僕のとは関係ない気がするんだけど……」
「まあ、まずはオレの話を聞けよ理樹。お前はまだ筋肉に関しては筋繊維の美しさに気付いた程度のレベルに過ぎねぇ……」
「筋肉で……筋繊維の絶妙で黄金的な絡み以上に美しいものがあるなんて……」
「その事について語るのはまた今度にしようぜ。今はお前のナニの方が大事だ」
「男に言われるとちょっとびくっとしちゃうね……」
主にやらないか的な意味で、である。
「とにかく、この時代はまさに筋肉激動の時代でな……他には地球は幼女で回っているとする(21)動説なんてのもあったらしい」
「恭介が発狂して宇宙に飛び立ちそうだね」
「まったくだぜ」
この時代にもやはりロリコンは居た。むしろロリコンこそが正義であったとすらされる(結婚適齢期が早い)。
天動説たん萌え、地動説たん萌え、筋動説フゥハァー! でもロリで地球動いてた方がやはり最強に萌えるハァハァ。
むしろ地球が幼女。地球こそが聖なるロリロリ。海は肌で陸は服で雲はゴスロリのフリルだったんだよ! な、なんだってぇー!?
そんな信念と妄想と理想により、科学者である以前に人類を牽引する最強のロリコン(一説ではキリスト教徒である事を捨て幼女の姿をした悪魔と契約する者まで居たようだが、これはさすがに異端とされた)であったものたちが、この説を唱え始めたのだ。
「だが、その後アイザック・プロテイン・ニュートンにより否定され続けた地動説及び筋動説に置いて出た問題は解決されることになる」
「万有引力だね」
「いや、違う」
「え!?」
「万有……括約筋力だ」
「万有しりの……あな?」
「そう。重さがモノを引きつけるんじゃねぇ。筋肉が、肛門がものを引っ張ってるんだ」
「そんな……そんなだったら……地球はとってもくさくなっちゃうじゃない……」
「ちゃんと拭いてるじゃねぇかよ、雨で」
「ウォッシュレット……!!」
「そして、だ。理樹、よく聞いてくれ」
「え?」
「この先に、お前のSO☆U☆RO☆Uを直すための手段が隠れている」
「ほ、ほんとに!? これで鈴を満足させてあげられるんだね!?」
「それはお前次第だ……オレが与えてやれるのは、筋肉だけだからな」
「それでも十分さ! ありがとう真人!」
真人の手を取り、目をきらきらさせて喜ぶ理樹。
やっぱり筋肉の相談は真人にするべきだった、してよかったと思う。
しかし理樹はすぐに落ち着き、最後の話を聞くべく、正座した。
「よし……。なぁ、理樹。おかしいとは思わないか?」
「なにが?」
「筋肉の力は人類には強力すぎる……地球ほどの大きさの筋肉が引っ張っていたら……地球は既に筋肉で滅びていてもおかしかねぇ」
「そう言えば……そうだね」
割と色々ぶっ飛んでいるようではあるが、真人の言葉こそが今の理樹にとっての真実なのである。
つい数十分前の理樹なら即座に突っ込んでいたであろう内容ももはやこの世界の真理として受け入れられるのだ。
この時点でもう割と駄目っぽかったが、理樹も真人も真剣だった。
だって、この世界はどうしようもなく筋肉で回っているのだから。
「そこで……月だ」
「月? 月も筋肉なんじゃ」
だって、地球がそうならこの宇宙の星には全て筋肉が混じっているだろうから。
それが理樹の考え。
「確かに月にも筋肉は混ざっている。だが月にはそれ以上に強力な……」
「強力な?」
「…………アンチ・マッスル・パワーが備わっている」
「アンチ・マッスル・パワー……」
その音の響きに、理樹は冷や汗をかき目を見開いた。
筋肉で溢れるこの世界には、あまりにも厳しすぎるワード。
「強力すぎる筋肉の力を抑制する……これは、主にブラックホールから発生しているらしい」
だが、これこそが世界のバランスをとっているのだ。
宇宙を巡り続けるあらゆる筋力を抑え付け、宇宙が存在出来るように。
それは神の意思か筋肉の意思かおっぱいの意思か、或いは何かの偶然なのかもしれない。
しかし世界は……否、宇宙は間違いなく筋肉とそれに相反するアンチ・マッスル・パワーにより成り立っているのだ。
真人曰く。
「我観測す、故に筋肉あり……」
「ああ、いい言葉だ理樹。筋肉がなければ人類は生まれなかった。しかし人類が生まれなければまた筋肉も筋肉と言う素晴らしく威厳ある名をつけられる事はなかっただろうからな……」
でも哀しいけど、『筋肉』って日本語なのよね。
他の言語では……ま、いっか。
「で、そのアンチ・マッスル・パワーが僕の×××とどう関係してるの?」
「えらく直接的になったな……いいか、またよく考えてみるんだ理樹」
「えーと……あ、そっか」
「わかったか?」
に、と真人が笑う。
理樹にはそのバックでも、超兄貴が笑っている姿が見えた。
「うん。……筋肉にも関係している器官に突っ込むんだから、その筋肉に対抗出来るパワーを身に付ければいいんだね!!」
「ふ、まぁそういうこった。さすが理樹、理解が早いな」
「真人の……いや、真人と筋肉のおかげだよ」
「よせやい、照れるじゃねえか」
「じゃあ真人、早速教えて欲しい。アンチ・マッスル・パワーを身に付ける方法を」
「ああ、任せろ。オレも鍛えすぎた筋肉をセーブするためその力は一応身に付けているからな。後は……理樹が耐えられるかどうかだぜ」
「耐えて見せるよ! 鈴のため! 愛のため!」
「よく言った! ついてこい、理樹ぃ!」
「うん!!」
「目指そうぜ! アンチ・マッスル・パワーを放ち続けるあの満月を!!」
「アヘッド! アヘッド! ゴーアヘッド!」
そして2人は、ベランダから飛び降りた。
春の終わりごろの、蒸し暑い夜の出来事である。
この後、理樹は僅か数日でアンチ・マッスル・パワーを身に付けたそうだ。
ミ☆ KIN ミ☆ NIK ミ☆
理樹が適度な筋肉とその筋肉に相反する力とを身に付けてからまた数日。
真人が部屋に帰ると、理樹がドアの前で膝を抱えて蹲っていた。
それを確認出来たのは開いたドアの隙間から廊下の光が入って来るからであって、部屋には電気も点いていない。
「どうした、理樹」
その、明らかに普通ではない雰囲気に不安になって、真人が静かに声をかける。
パチッ、と音がして照明が灯される。
それから、理樹はゆっくりと顔を上げて、今にも泣き出してしまいそうな哀しげな瞳で真人を見た。
その姿は以前と同じで、あまりにも弱々しかった。
「鈴に……鈴に……」
「鈴が、どうかしたのか?」
「鈴に…………遅いって怒られた」
アンチ・マッスル・パワーを完璧に身に付け、過度に使いすぎたか、と真人は思った。