魅惑の顎 翔菜
「み、みんな! 大変だー!」
朝。
始業前の雑談に包まれる教室に飛び込んできた鈴が、叫びにも近い声を出した。
その声にクラスメイトが何事かと反応し、しかしリトルバスターズの面々に近付くなり、雑談を再開する。
別クラスの葉留佳以外の全員が揃っていた。
「どうしたのりんちゃん? そんなにあわてて」
「た、大変なんだこまりちゃん! 理樹が、理樹が! ……ぅ」
「落ち着いて下さい、鈴さん。まずは呼吸を整えて」
「う、うん……」
美魚の落ち着いた声に冷静になったのか、鈴が何度か大きく呼吸する。
最後に一際大きく息を吐くと意を決したかのような表情を作り、両の手とも握り拳に。
そして、
「今日、珍しく理樹が遅かったから起こしに行ったんだ」
「あれ、真人くんは起きなかったのかな?」
「……彼が理樹君より先に起きると思うかね、小毬君」
「あー……」
来ヶ谷の一言に納得して、小毬が苦笑する。
理樹を起こす、それさえ出来れば後は理樹が真人を起こす。そういう構図が成り立つのだ。
「しかし幼馴染に起こされるとは羨ましい……と、それで。その様子だと並ならぬ出来事があったようだが。……脱がされたのか?」
「んなわけあるかっ! でも、でも、大変なんだ……」
「鈴さん、兎に角続きを」
クドリャフカが促し、鈴はその目を見た後で、頷く。
「あ、ああ……。起こしに行ったら、まずドアの前で寝こけてる真人が居たから縛って逆さに吊るして……」
朝一番からなかなか頭の冴えた行動だった。
「その後で理樹のベッドを見たら、理樹がいなかったんだ」
「ほえ? どこか出かけちゃったのかな?」
「行方不明……ミステリでしょうか」
「いや、部屋にはいた。いたんだけど……」
「どうしたんですか?」
「洗面所にいて……」
うんうん、と4人が頷く。
鈴が少し視線を逸らし、逡巡するかのように沈黙した。
言っていいものかどうか迷っているらしい。
4人は急かさず、ただ静かに鈴の言葉を待つ。
「そしたら理樹が、理樹が……」
「お菓子のお風呂に……!」
「恭介さんとコトに及んで……」
「裸体で倒れていた?」
「犬耳を……」
「そ、そんななまぬるいものじゃない……理樹が」
すぅ、と息を吸い。
「理樹が、髭を剃っていたんだ!」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
鈴の悲壮な告白に、小毬は笑顔のまま、美魚は深刻そうな顔をして、来ヶ谷は目を見開き、クドリャフカは呆然としてそれぞれ硬直した。
漏れ聞いていたクラスメイトはおいおいそれがどうしたと言わんばかりの空気を纏っていた。
が、そんなクラスメイトたちをよそに小毬美魚来ヶ谷クドリャフカは、
「「「「な、」」」」
同時に、口を開き。
「「「「なんだってぇー!?」」」」
世界の終わりだとでも言わんばかりの叫び声を室内に轟かせたのであった。
*
「いやまあ、何て言うか」
そんなこんな、昼休みに入るなり拉致られた理樹である。
体育館裏、壁に背中をつけ、ずいずいと5人(朝のメンバー+葉留佳)に追い詰められる。
端から見れば、と言うかもう端から見なくてもカツアゲ真っ最中ってな光景だ。
「嘘ですよね、直枝さん。きっと、鈴さんの見間違いか何かだったんです。そうに決まっています」
「です! リキに……リキに髭だなんて……!」
「こんなにかわいいのに〜」
「理樹、その、あたしもちょっと寝ぼけてたから見間違えたのかも知れない……だから今はっきりと言ってくれ」
理樹は浅く溜め息。
その後で俯き誰とも目を合わせないようにして、小さな声でしかしはきはきと話し始める。
「僕だって男なんだからさ……髭くらい生えるし剃るよ」
「そういう問題じゃないんDEATHよ!」
「葉留佳さん怖い」
デスじゃなくてDEATHになってるんだもの。
しかも太陽の陽射しも遮られる陰気とも言える空間。
影が恐怖を煽る……が、それよりも先に悩みが来る。
――僕って一体どう思われて……
と。
「認めん、我々は断固戦うぞ、少年」
「戦うって、何とさ!?」
「決まっている! 無論、理樹君の髭とだ!! 待っていろ、必ずヤツの魔の手から救い出してみせる!!」
「どうなるの僕!? ね、ねぇ、鈴!!」
「ん……」
思わず助けを求めた相手は、幼馴染だった。
この状況、鈴は向こう側の人間であったが、理樹が縋れるのはもう彼女しかいなかった。
その鈴は考え込むように、腕を組み俯いていて。
「そうだな、みんな。まずは落ち着こう」
「鈴君……」
「りんちゃん……」
鈴からぬ台詞だったが、来ヶ谷と小毬が鈴の名を呟き、その顔を見る。その後の表情は、冷静さを取り戻したようだった。
その威風堂々とした姿に他の面々も言葉を噤み、理樹ははっと安堵の息を吐く。
その理樹に笑いかけた後で鈴は一歩踏み出し、天に轟かさんばかりの、大きな声で宣言する。
「あたしの考えでは、いるはずだ。この学校のどこかに、理樹をこんなにした犯人が! だいあくとうが!!」
「鈴なんかに期待した僕が馬鹿だったよ!」
「ん? あたしなんか間違ったか?」
「間違いだらけだよ!? 世界ふし○発見の野○村真並には間違いだらけだよ!!」
「そのうち何回かはパーフェクトとれるから問題ないな」
理樹としてはこき下ろしたつもりだったのだが、実にポジティブ思考だった。
クイズミ○オネアで番組の時間合わせのためにあっさり1問目でスタジオから去る挑戦者の方がよかったか――と後悔するがもう遅い。
「で、結論は出たわけだが」
出たらしい。鈴の言葉に、全員が頷き、闘志を露わにしていた。
どうにも、当事者であるはずの理樹が置いていかれそうな雰囲気になってきた。
だが、理樹には状況を見守るしか出来るはずもなく。
そうして動けずにいると、来ヶ谷が鈴の前に歩み出てきた。
「指揮は私に任せろ、鈴君」
「んー、そうだな。あたしはそう言うの苦手だ。まかせたぞ、くるがや」
「うむ、任されよう。まず、理樹君の監きn……げふんげふんっ! もとい保護警護は小毬君と葉留佳君。君たちに任せる」
「りょうかいだよー」
「あいさー!」
「ちょっと待って、今監禁って言ったよね、誤魔化そうとしてたけどほとんど言ってたよね?」
声を荒げず、理樹は至極落ち着いた調子で突っ込む。
冷静なのではなく、ただ単に諦めが先行しているだけである。
「言いましたか?」
「覚えがないな」
「ですよね」
美魚の質問に、来ヶ谷はしれっとそう返した。美魚もあっさり肯定し、他も無言で頷いている。
酷い連中である。
「さて、本題に戻るぞ。私と鈴君とクドリャフカ君は玩具を集m……もとい、実働部隊だ。ヴェルカとストレルカも動員しろ。美魚君はバックアップを頼む」
「玩具!? なんの!?」
「わかった」
「わからないでよ鈴!」
「わふー!」
「今までにないほど楽しそうなわふーだねクド!」
「では、わたしは科学部部隊を率い放送室の占拠に移ります。皆さん、ご武運を」
手を揃えて額の前へ。敬礼。
って言うか占拠って。
彼女らが、何と戦おうとしているのか本気で分からなくなってきた理樹である。
「では皆、成果を期待する! ……私たちの戦いはこれからだ!」
ENDォ!
――酷いオチだ……。
そう思い溜息をつき、理樹は項垂れた。
*
体育館倉庫。理樹簀巻き。
「ってあれ!? 終わってないの!? ENDとまで書いたのに!?」
「……私には理樹君が何を言いたいのかわからないが、しかし安心したまえ。もうすぐ終わる。犯人がわかったからな」
「犯人いたの!? 僕の髭は誰かによって生やされていたの!?」
「生やされていたんです! そうでなくては、こんなに可愛い直枝さんに髭が生える理由の説明がつきません!」
美魚の取り乱しようはもはやヒステリックに近くすらあった。鈴はずっと神妙な表情をして腕を組んでいるし、クドは動揺しているのかわふわふしか言っていない。小毬は呆然としながらドライヤーのターボでチョコを溶かし、葉留佳はL座りしながら、髪の毛を振り回している(頭は全く動いていない)。『I can fly!!』とか言ってるから空を飛びたいのだろう。来ヶ谷はいつもの余裕のありそうな笑顔で居るが、それも皆をこれ以上取り乱せさせないため、せめて自身は平静を保とうとしているようにも見えなくはない。
もしかすると、と理樹は思う。彼女たちの言うことが正しいのかもしれない、と。この状況を見ているとそうなるのも無理はなかった。
加えて理樹はもう、身体も心も疲れ切っていたのだ。正直、眠たい。
目を半分閉じ、くらん、と頭を垂れる。
「寝てはいけません直枝さん。寝たらその間に女装させますよ」
「すいません寝ませんごめんなさい」
「それで、犯人だが……美魚君」
ちらっ、と来ヶ谷が美魚を見遣った。
理樹にはまるで意図がわからなかったが、後は任せた、とでも言いたいのだろうか。
美魚がゆっくりと前に出てくる。理樹は簀巻き状態のまま、微妙に後ろに下がった。床に擦れた指が熱い。
「はい。犯人は……直枝さんです」
「………………はい?」
まさかの犯人扱いに、理樹は疑問を隠す余裕もなく、取り繕う事も出来ない。
しばしの沈黙の間に思考して反論をしようとするも、不可能だった。
意味がわからなさすぎる。相手が完全に間違っていると思っていても、そもそも何が言いたいのか全く理解出来ないのであれば、それを行うことも出来る筈がない。
出るのは疑問と、いいところ否定の言葉までだ。
「え、なに、どこからどう辿ればそんな風に……」
「正確には、理樹君の分泌する男性ホルモンだよ」
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや」
突っ込みつつ、しかし理樹は自身が犯人扱いされた理由に納得した。
確かに、それならば理樹が犯人と言う事になってしまうだろう。
だが、理樹はこれでも一応多分恐らくきっと或いはもしくは男なのだ。そうだと思う。
なら、それは当たり前の事である。犯人扱いというのも困る。
けれども今の理樹には、抵抗する手段もなく、この頭がどうにかしたとしか思えない少女たちに投げかける言葉も浮かばない。
「ですが女性ホルモンを打ち込むとかは流石に犯罪臭がしますし、無茶があるのでわたしたちもやりません…………なので、直枝さんには女装をしていただきます」
「ま、待ってよ! 寝てないよ僕!?」
「直枝さん」
「な、なにさ」
「確かにわたしは、寝たらその間に女装させると言いました」
美魚の落ち着き払った表情に、しかしただならぬ気迫を感じて、理樹は唾を飲み込んだ。
その理樹を気にも留めず、あくまで自分のペースで、美魚は続く言葉を紡ぐ。
「……ですが、『起きていたら女装させない』とは言っていませんよ?」
「さいあくだー!」
「直枝さんの美しい顎に雄々しいものが生える事に比べれば、あまりにもちっぽけです」
「って言うか、女装したって髭は生えなくなったりしないよ!?」
「ええいうるさいぞ黙って永久脱毛しろ小僧もといお嬢ちゃん」
「結局女装関係ないよねそれ!?」
いきなり出てきた来ヶ谷に突っ込むが、そのまま迫られる。縄を解かれ、しかし抵抗など出来るはずもなく、夕刻近い体育館に、バリバリバリィ!! と布を引き裂く音が轟く(※1)。
その轟音を掻き消す、理樹の甲高い悲鳴(※2)が上がるまで、5秒とかからなかった。
※1 あくまで衣服を仕舞っていた布袋が掻っ捌かれただけで理樹の制服は丁寧に脱がせた後、スタッフが美味しくくんかくんかしました。
※2 鈴にそっくりですので、脳内再生が可能でしょう。