誰も来るはずがない立ち入り禁止の屋上で、私は久しぶりの訪問者を迎えていた。
「はい、クッキーをどうぞ」
「うん、ありがとうこまりちゃん」
差し出したクッキーをりんちゃんは美味しそうにほおばってくれる。
「どーお?」
「ん。こまりちゃんのお菓子はいつもおいしいぞ」
「よかったよー」
りんちゃんが喜んでくれて、幸せ。
私はりんちゃんの顔をニコニコと見つめ続けた。
約束 風光
―――りんちゃんがここに来たのは突然だった。
いつものように放課後、私は屋上でお菓子を食べていた。
偽りの世界とはいえ、お菓子はここでもとても甘い。
幸せに浸りながら青い空を見上げるのがここ最近の私の日課なのだ。
「……まだ、大丈夫だよね」
世界は安定を保っている。
もうすでに何人かこの世界を去ってしまったけれど世界の構築に支障は出てないらしい。
後どれくらいもつが分からないけど、もうしばらくは大丈夫だろう。
辺りを見渡すが静かなものだった。
無理を言ってこの世界に残り続けた私に干渉してくるのは、リトルバスターズのメンバーと何故か分からないけど二木さんだけ。
理樹くんが現在、他のみんなのために頑張っている状況では、下手に手助けも出来ないのでこうやって日がな一日のんびりとした日常を過ごすことを繰り返し続けている。
「ふぇ?」
不意に屋上の降り立つ人の足音が聞こえた。
一瞬先生かと身構えてしまったが、よく考えれば私がそれを望んでいないし、もう物語を終えた私に他のマスター権限がある人が用があるとも思えないのでそれもないだろう。
そこまで考え私はゆっくりと入り口へと顔を向けた。
「あれ、りんちゃん」
そこには何故かりんちゃんが立っていた。
話を聞いてみると最近理樹くんが構ってくれなくて暇なのでここに来たそうだ。
他の人たちはと聞いてみたけど、みんな捕まらないらしい。
たぶん恭介さんは今は忙しい時期なんだろうけど、この世界を去ってしまった人たち以外みんな自分達の場所でそれぞれ日常を過ごしているはずだ。
なので恭介さん以外はたぶん探せば見つかるよと教えてあげても良かったけど、久しぶりにりんちゃんと2人っきりになれたので私は敢えて教えず隣に座るように促した。
―――そして冒頭に繋がるのだけれど。
「うー」
何故かさっきからりんちゃんはクッキーを見つめて唸り続けていた。
どうかしたのかな。
「どうかした、りんちゃん」
「んっと、こまりちゃん。これって手作りなのか?」
「ふぇ?そうだけど。何か失敗してた?」
一応焼き上げた時に味見したけどおかしいところはなかったはずだ。
材料は全部同じだし、一部だけ変な味がすることはないと思うんだけど。
「そんなことはないぞ。こまりちゃんが作ってくれたクッキーは全部おいしい」
「よかったよ。りんちゃんが気に入ってくれて嬉しいな」
素直にお礼を述べるとりんちゃんは顔を真っ赤にしてしまった。
可愛いなぁ、りんちゃんは。
と、それよりも。
「さっきからうんうん唸ってたけど、どうかしたの?」
その理由を聞いてなかった。
りんちゃんは私の顔を見返すと、一瞬躊躇した後答えてくれた。
「クッキーってどうやって作ればいいんだ?」
「え?りんちゃん誰かに作るの?」
「いや、そういうんじゃ……いや、合ってるのか?」
「うん?」
「……作りたい相手はいる。ただ、作りたいってよりはあいつに元気になって欲しいんだ」
「元気?」
どういうことなんだろう。
私が小首を傾げると、りんちゃんは実はな、と前置きをして話し始めた。
「理樹が元気ないんだ。でもあたしにはどうすればいいか分からん。……で、分からなくて悩んでたら前にこまりちゃんが甘いお菓子を食べると幸せになれるって言葉を言っていたのを思い出したんだ」
「甘いお菓子?ああ、そういえば言ったね」
頷きながら思い出す。
いつのことかは覚えてけど言った記憶はある。
けれどそれは今回じゃない。いくつか前のループ上での話だ。
きっとりんちゃんの消えたはずの記憶に微かに残っていたんだろう。
「だからな、あいつに元気になってもらうために作りたいって思ったんだ」
「そうなんだ。りんちゃんは優しいね」
私が褒めると案の定りんちゃんは顔を真っ赤に染めてしまった。
「べ、別に優しくない。……うにゅ、分かってる。そう言うのはあたしの役目じゃないってことは」
ああ、きっと今回のループ上で理樹くんの彼女になった子を思い浮かべているんだろう。
でも彼女も今は苦しんでいる状況だから、理樹くんには声すら掛けてあげられないんだろう。
「でも、何もしないのは嫌なんだ」
そう呟くりんちゃんは普段と違い、僅かに苦悩の影が見え隠れしていた。
そっか。りんちゃんも理樹くんと同様に成長しているんだね。
前はここまで他人のために一生懸命行動しようとはしなかったはずなのにな。
変わり続けているんだ、りんちゃんも。
だったらできるかもしれない。ううん、きっとりんちゃんならできる。
彼女の成長を目の当たりにして私は心の中で頷き、一つの願いを彼女に託そうと思った。
「りんちゃん。なんだったら私が手伝ってあげるよ」
「っ!?本当か、こまりちゃん」
「うん、おっけーですよ。でね、一つお願があるんだけど、いいかな」
遠慮気味に私が尋ねると。
「うん、こまりちゃんの頼みならなんでも聞くぞ」
なんの躊躇いもなく、りんちゃんは快諾してくれた。
その信頼が凄く嬉しい。
「簡単なことだよ。理樹くん以外にもお菓子を作ってあげて」
それがりんちゃんに託したい願いだった。
「理樹、以外にも?」
途端に不安そうな表情を覗かせ、私の言葉をりんちゃんは反芻した。
人見知りのりんちゃんにはかなり過酷なお願いだって分かっているけど、私は再度お願いした。
「りんちゃんは理樹くんの手助けがしたいんだよね?それと同じようなことを他の子にもして欲しいんだ?」
「……こまりちゃんがやってるみたいにか?」
りんちゃんの口から零れた言葉が意外で目を瞬かせてしまった。
「うーんそうだね……」
言われてみればそういうことなんだろうか。
自分としてはただみんなで一緒にお菓子を食べれば幸せも共有できるって思って、持っているお菓子をお裾分けしてるだけなんだけど、りんちゃんにお願いしようとしていることと結果的には一緒かも。
「みんなをね、笑顔にして欲しいんだ。でね、方法は色々あるだろうけど、一番手っ取り早いのは私は美味しいお菓子を食べることだと思うんだ」
「うん、あたしもそう思う」
顔を綻ばせながらりんちゃんは頷く。
「でね、手作りのお菓子なら思いも篭っててより一層はっぴー、な気分になれると思うのですよ」
「うー、それはなんとなく分かるが……でもなんであたしなんだ?もっと料理が上手いやつが作ったもののほうがいいだろ」
「うーん、それじゃあダメなんだよ」
「うみゅー、よく分からない。そもそも笑顔にして欲しいってどういうことだ?みんなって誰だ?理樹以外じゃあいつだけだぞ?」
りんちゃんに矢継ぎ早に質問をぶつけられて、一瞬面食らってしまうが、りんちゃんが何を不思議に思っているか理解出来た。
きっとこういう勘違いだろう。
「違うよ、りんちゃん。みんなってのはリトルバスターズのメンバーのことじゃないよ」
「なにぃ、そうなのか?……うにゅ、あたしの知らない人?」
数歩後ずさった後、上目遣いでりんちゃんは尋ねてきた。
ああ、やっぱりそういう風に勘違いしてたんだね。
「そうだね。知らない人も含めて学園のみんなにお菓子を配って笑顔にして欲しいんだ」
「うう、本当にこまりちゃんがやっていることそのものなんだな」
りんちゃんは途方に暮れたような表情で呟いた。
だから私はそっと彼女の手を握った。
「だいじょーぶ。りんちゃんならできるよ」
「う〜、でもなんでみんなを笑顔のするんだ?別に悲しそうなやつとか見ないぞ」
その疑問はもっともだろうね。
みんなと言う括りで言えば、今のところ悲しんでるようには見えない。
……でも。
「うん、今じゃないよ。でもきっとそうなると思うから、その時りんちゃんが笑顔にしてあげて」
「うみゅ、それはこまりちゃんも元気がなくなるってことか?」
その質問にどう答えればいいか迷ってしまう。
そう頷ければまだいいんだけど、私はきっと悲しませるほうだと思うから。
「たぶん、ね」
だから私は曖昧に笑うしかなかった。
「うー、よく分からんが分かった。とりあえず作って渡せばいいんだな」
「うん、そうだね。手伝うから頑張って作ろうね」
ギュッと握ったりんちゃんの拳にそっと手を重ねた。
祈りを、願いを込めるように目を閉じて。
「それとね、もし私が手伝えない時はさーちゃんに頼んでみて」
「さーちゃん?」
りんちゃんは首を傾げる。
ああ、そっか。その呼び名じゃりんちゃんは伝わらないか。
「笹瀬川佐々美ちゃんのことだよ」
うう、やっぱり言いにくいなぁ。
思わず噛みそうになっちゃったよ。
「なにぃっ、させ子か?」
「ほわっ!?り、りんちゃん、さすがにその呼び方はどうかと思うよ」
私は冷や汗を流しながらりんちゃんを窘める。
「うう、ごめん。……あー、で、なんだ。さささに頼むのか?」
嫌そうな顔でりんちゃんは尋ねる。
うーん、そんなにさーちゃんのこと嫌いなのかな。
「料理ならクドとかみおも上手いと思うぞ」
「うん、確かに上手だけどね。でもさーちゃんもとってもお料理上手なんだよ」
「う〜、こまりちゃんが言うなら本当なんだろうけど。でもなんであいつなんだ?」
りんちゃんの疑問はもっともだと思う。
でももしその時になったらりんちゃんのことを親身になって助けてくれるのは彼女だけだと思うから。
けどどう言えば納得してくれるんだろう。
理由を言いあぐね、私が迷っていると。
「……あいつに頼めばいいんだな」
「え?……いいの?」
突然の言葉に正直面食らってしまう。
「うん。理由は分からないけどこまりちゃんはあいつを頼れって言う。ならきっとそれは正しいんだと思う」
「りんちゃん……」
思わず涙が出そうになる。
ずるいよ、りんちゃんったらそんな言い方。
「……まぁ、それにだ。正直あいつは苦手だが、嫌いじゃないからな」
少し顔を赤らめながらりんちゃんは呟く。
「うん。さーちゃんはいい子だよー」
色々誤解されちゃうところがあるけど、さーちゃんはとても可愛くて困っている人を放っておけない優しい女の子だ。
「仲良くなれればきっとりんちゃんも好きになるよ」
私は確信を持って告げた。
それに対してりんちゃんは何とも言えない表情をしながらも答えてくれた。
「う〜……努力してみる」
ふふ、その言葉を聞けただけでも安心かな。
さーちゃんも意地っ張りだけど、内心ではりんちゃんと仲良くなりたいって思っているはずだから。
2人は仲良くなれるようにお膳立てはいくらでもしよう。
……それがりんちゃんを残していなくなってしまう私に出来る精一杯のことだから。
「ようしっ、じゃあどこでやろう。家庭科室と食堂、どっち使わせてもらう?」
「うーん、よく分からないから任せる」
「うん。任されたよー。ああ、そう言えばどういったお菓子を作るか決めてる?クッキーでいいの?」
まあクッキーと一口で言ってもいろいろな種類があるんだけどね。
「いや、決めてない。さっきはクッキーと言ったけど実際お菓子ならなんでもいい」
「そっかー。じゃあその辺から決めなくちゃね」
やることがいっぱいだ。まっ、そういうのも楽しいけどね。
「うう、ごめん。理樹にお菓子を作ることしか考えてなかった」
申し訳なさそうにりんちゃんは頭を下げてくるけど、そんなこと私は全然気にしてなかった。
「別にいいよ〜。それに誰に食べてもらいかって気持ちのほうが重要だよ」
お菓子に限らずお料理を作る際は誰に食べてもらいたいか気持ちを込めることが重要だ。
それが一番の隠し味になるんだから。
「そうなのか。……うーん、それじゃあ理樹の分を作り終わったら今度はこまりちゃんのことを思い浮かべて作ってみる」
「私?」
自分を指差しながら尋ねる。
「うん、そうだ。理樹の分は別としてこまりちゃんには一番に食べてもらいたいからな」
りんちゃんははにかんだ笑顔を浮かべる。
私も笑顔でその言葉に返したいけど……それは出来ない。
「えへへ、そう言ってくれるのは光栄だけどそういった物は一番大切な人に渡さないと」
だからやんわりと拒絶する。
「うみゅ?だからこまりちゃんで合ってるだろ?」
それに対してりんちゃんは即答。
そこでそうだねと同意できればどれほど幸せだろう。
でもそれはダメなんだ。
「今はそうかもしれないけど、きっとお菓子作りの腕が上がっている頃には私よりももっと大切なお友達が出来てるよ」
笑顔を張り付かせたまま私は首を振る。
頷いてあげられないことに凄く申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「そんなことないぞ。あたしの一番はずっとこまりちゃんだっ」
それでもりんちゃんは納得しない。
そしてそれがとても嬉しい。
けど私には頷くことが出来ないから、その内分かるよと曖昧な言い方をするしかなかった。
「ごめんね」
りんちゃんが聞き取れないような小さな声で謝る。
りんちゃんに応えてあげられない、それが凄く悲しい。
だから私はそっと彼女の手を握った。
「でもね。私はこういうことを託そうと思ったのはりんちゃんだけだよ」
「託す?」
「うん。りんちゃんだから私のいしを継いでみんなを幸せにして欲しいって思ったんだ」
「いしを継ぐ?ああ、あれな」
「うん。それだよ」
きっと分からないまま頷いたんだろう。
でも今はそれでいい。
その時それに気づいてくれれば。
「私の想いを託したい。そう思うくらいりんちゃんのことは大切だよ。それだけ忘れないでね」
「う、うん、わかった」
私の思いの他真剣な言葉に、戸惑いながらもりんちゃんははっきりと頷いてくれた。
―――だからお願いね、りんちゃん。私の『遺志』を継いで、私たちの所為で悲しむ人達を笑顔にしてあげて。
・
・
・
目を開ける。
眼下には崩壊していく世界。
空は剥がれ落ち、景色は白い霧の中に消え去っていく。
そんな中をりんちゃんと理樹くんは手を繋ぎ必死に出口を目指して走り続けていた。
私はその光景を屋上で見ながらポツリと呟いた。
「りんちゃん、約束を果たして……」
あの時の記憶をりんちゃんと別れてからずっと思い浮かべていた。
願い星をりんちゃんに託した後、私はあの時の約束を思い出してもらった。
それはりんちゃんの中では曖昧なものとなっていただろうけど、でもどうしても思い出してもらわずにはいられなかった。
残していくみんなのために出来ること。
りんちゃんにお願いするしかない自分が不甲斐ないけれど、それしか私に出来ないから。
「どうか、みんなが笑顔でありますように」
私は崩壊するこの世界でそっと祈りを捧げた。
☆
あの事故からしばらく経ち、僕と鈴の怪我はすっかり完治していた。
時期的にはもう夏休みだが、僕たちはどこへ行くこともなく学園の中で過ごすことが大半だった。
けれど時折、鈴は何も告げることなくどこかに消えることがあった。
最初は心配していたものの、戻ってきた鈴の様子に変わったところがないので最近は気にしなくなっていた。
けれど今日はちょっと違う。
久しぶりに出かける予定だと言うのに鈴の姿がどこにもないのだ。
「はぁー、どこに行ったのかなぁ」
ここにきて鈴にいつもどこに行っているか聞いておけばよかったと後悔するが後の祭り。
仕方ないので虱潰しに学園と寮内を歩き回っていると。
「理樹、見つけたぞ」
探していた当の鈴の方から声をかけられてしまった。
「見つけたって、探してたのは僕なんだけど」
「うみゅ?そうなのか?……まぁ、それはいい。ちょっとお前に頼みがあるんだ」
「頼み?まあいいけど」
見つかったと思ったらいきなりなんなんだろう。
疑問に思いながら鈴を見ているといきなり何かを差し出された。
「口開けろ」
「へ?なんでさ」
「いいから、あーんだ」
「いや、ちょ……とりあえず何を食べさせようとしてるのかだけ教えて」
口元を手でガードしながらそれだけでも尋ねる。
さすがに何か分からないものを口にするのはリスキーすぎる。
すると僕の言葉に納得したのか一旦それを押し付けるのを止め、教えてくれた。
「クッキーだ」
「クッキー?」
「そうだ。手作りだぞ。ってことであーんだ」
「え?あ……むぐっ!?」
油断したところに指ごとクッキーを口の中に捩じ込まれてしまった。
いやもう、放り込まれるじゃなく文字通り強引に捩じ込まれてしまった。
「どうだ?」
これでもかと言うほどワクワクとした表情で聞いてくる。
こっちとしては強引なやり方に抗議をしたかったけど、そんな目で見られると何も言えなくなってしまう。
だから結局正直にクッキーの感想を言うに留めた。
「うん、美味しいよ。市販のと変わらないかも」
「ん、そうかそうか」
鈴は満足そうに何度も頷く。
「甘さもちょうどいいし、焼き加減も絶妙。形はちょっと歪だけど手作りらしくて逆にいいと思う」
「んー、なんか気分いいな」
褒められて嬉しいのか、鈴は満面の笑みを浮かべる。
「うん。鈴の手作りなんて思えないくらいの吃驚する美味しさだよ」
噛み締めるように頷く。
ホント、鈴の手作りと信じられないくらい美味しい。
「しねや、ぼけーっ」
「ぎゃうっ!?」
捻りを効かせた鈴の回し蹴りを脇腹に受け、信じられないくらい綺麗な放物線を描いて僕は壁に叩きつけられたのだった。
「さて、クッキーも出来たしそろそろ行くか」
小さな包みを鞄に入れ、平然とした口調で鈴は聞いてきた。
「ちょ、なに何事もなかったような自然な態度をとるかなっ」
痛む腰を抑えながら僕は鈴を睨みつける。
と言うか全身が痛いんですけど。
「うっさいばーか。失礼なこと言うお前が悪い」
「い、いやまあそれは悪かったと思うけどさ。でもあれはないんじゃないかな」
不用意な発言をした僕にも責任はあるけど、なにも壁に叩きつけるくらい蹴ることはないと思う。
せっかく怪我が治ったというのに危うく病院に逆戻りするところだったよ。
「うう、それはやりすぎたと思う……」
罰が悪そうに鈴は顔を俯かせてしまう。
はぁー、まぁいいや。酷い怪我をしたわけでもないしね。
「とりあえずそろそろ行こうか。結構時間食っちゃったし」
僕の言葉に時計を確認すると鈴は慌てて部屋に戻っていった。
「そう言えばさ、鈴」
「ん、なんだ?」
あれからしばらく経ち、一緒に目的の場所へ向かっていた僕はさっきから気になっていたことを尋ねていた。
「なんで鈴はクッキーなんか焼いたの?」
「ああ。なんだそのことか」
「うん。もしかして怪我が治ってから最近、時たまどこかに行ってたのに関係あるの?」
僕の言葉に理樹は頭がいいんだなと感心されてしまった。
いや、まあ簡単な推理だと思うんだけど。
と、それはいい。
鈴はその理由について僕の目をじっと見据えながら答えてくれた。
「約束したんだ。大事な約束を」
「約束?」
「うん。そのためにお菓子を作った」
「お菓子……」
その言葉に思い浮かぶ一人の女の子。
彼女が鈴と約束したんだろうか。
「それに、いしを継いで欲しいとも言われたからな。頑張ったんだぞ、褒めろ」
鈴は腕を組み告げるが、僕は彼女の言葉の中のある一点に引っかかった。
「……いし?」
「ん、ああ『意志』だ」
鈴は何かに思いを馳せるような表情を浮かべるのだった。
☆
ドアの叩かれる音。
そしてそれに続いて「失礼します」の声と共に彼女たちが部屋の中に入ってきた。
「遅いですわよ。予定の時刻を過ぎてますわ」
彼女――棗鈴の顔を見ながらわたくしは文句をつける。
一体全体何をしていたのやら。
「うっさいぞ佐々美。こっちも色々あったんだ」
負けじとわたくしの顔を睨みつけながら彼女は文句を言ってくる。
たく、相変わらずですわね。
「まぁまぁ。鈴も興奮しないで」
その後ろで直枝さんが彼女をあやしてらっしゃいましたが、お前の所為だろとの言葉に沈黙してしまった。
ああ、大方直枝さんが棗鈴に何かしでかしたのでしょうね。
あれであの方も結構抜けてらっしゃいますし。
「とりあえず場所を考えなさい。こんなところで騒いでは他の方のいい迷惑ですわ」
わたくしは彼女たちに注意しつつ、洋服を鞄に詰める作業を再開した。
すると棗さんは無言でわたくしの隣に立ち、作業の手伝いを始めてくれた。
「すみません」
「ん、気にするな」
最近彼女とはこんな関係が続いている。
たまに戦い合うこともありますけど、その回数もあの事故の前に比べてずっと減ってしまった。
それが少し寂しく、でも逆に心地よくて複雑な心境だ。
……まぁ、ここ最近連敗続きですのでプライドを守るという面ではバトルの回数が減るのはありがたいのですけど。
「直枝さんの感想はどうでしたの?」
何をとは聞かない。
言わなくても彼女には通じる。
「ああ、美味しいって言ってくれた。佐々美のお陰だな」
「あら、わたくしのお陰なんて簡単に認めてしまった宜しいんですの?」
クスクスと笑いながら彼女をからかう。
すると予想通り棗さんは言葉に詰まってしまう。
ふふ、やはりわたくしたちの関係上、簡単に馴れ合うのはよろしくない。
「うみゅ〜、そ、そうだ。あたしに教われる才能があったから。だから成功したんだ」
「でもわたくしでなければこうも上手に教えられなかったでしょうけどね」
自分で言っておきながらこう切り返すなんて我ながら意地が悪い。
けれど棗さんはそんなわたくしを見つめ返すとしっかりと頷いた。
「うん、それは感謝してる。ありがとうな、佐々美」
「うっ……」
やはりどうにも調子が狂ってしまう。
わたくしは赤面する頬を隠しながら言葉を続けた。
「けれど肝心の渡す相手がいらっしゃいませんわ」
「うん、そうだな。どこ行ったんだ?」
くるりと部屋を見渡しながら尋ねてくる。
「お世話になった方々へご挨拶ですって。あの方らしいですわ」
「なるほど。らしいな」
わたくしの言葉に小さく棗さんは笑う。
すると。
「あれ、どうしたの?」
タイミングよくあの方が帰ってこられた。
棗さんは振り向くと、鞄から包みを取り出しあの方へと近づいた。
「これを渡しに来た」
差し出されたそれを見て戸惑いの表情を浮かべるのが分かる。
わたくしも相談されたときは別の意味で戸惑ったものだ。
あんな計画、普通は思いつかない。
けれど目の前のあの方の案を参考にしたと聞いたときは逆に納得できた。
あの方ならそれをきっと願うから。
「これを私に」
「うん。今入院しているやつらにも作ってるんだが、一番最初に出来たやつは一番大切な人に渡したいからな」
怪我をされたクラスメート全員にお菓子を配るなんて発想は昔の棗鈴からは考えられず、けれどあの方の影響を受けた今の棗鈴ならば納得のできるものだった。
だから。
「受け取ってくれ、こまりちゃん」
棗さんが神北さんにそのお菓子を渡すのは自然の流れだった。
「りんちゃん……もしかして……」
「うん、約束だから。こまりちゃんが願ったのとはちょっと違うがあたしの意思で決めたことだ」
「そっか」
棗さんの言葉に神北さんは涙ぐむ。
よほどその言葉が嬉しかったのだろう。
少し嫉妬してしまうが、それを表に出すのは野暮だろう。
「でも今でもやっぱり分からない」
「ん、なにが」
「こまりちゃんはあたしに一番大切な友達は他にできるって言った。けど今でもあたしの一番大切な友達はこまりちゃんだぞ」
その言葉に神北さんは小さく息を呑む。
そして首を傾げ続ける棗さんを抱きしめるとそっと囁いた。
「うん。私の一番大切なお友達もりんちゃんだよ。それは永遠に変わらないよ」
優しく、本当に嬉しそうな笑顔を神北さんは浮かべる。
そんな2人をこうやって傍らで見ることができるのが何よりも嬉しかった。