冬の幻       ラグナ



「りき、これがゆきだるまだぞ」
 この街に雪が降ることはそう無い。気候や位置条件によってこの街は比較的温暖で、登下校にマフラーする生徒もあまり見ないぐらいだ。だから、雪が降るのは年に一度か二度、降らない年さえあった。だから僕と鈴はテレビなどで大雪が降っているのを見てははしゃいでいた。ただこの年は違った。地面には雪が降り積もり、ところどころに足跡が散布していた。大小様々な足跡があり、皆この稀に見る雪に心を躍らせているようだった。木に白のグラデーションが加わり、冬の到来を示しているかのようだった。
「りき、手がはえたぞ」
 枯れ木を雪だるまに刺して鈴は笑っている。幼いその手が必死で作った雪だるまだ。しかし鈴が雪だるまを作ることに慣れているはずもなく、真正面から見たらそれは横を向いているのか前を向いているのか分からないような顔をしている。福笑いの劣化版と言った方が正しいだろう。それでも鈴は笑みを絶えず浮かべながらはしゃぎ回っていた。手にはめた手袋にほんの少し雪がしがみ付いている。
「これってなにか真人みたいだよね」
「そうか?」
「ほら、こことか」
 雪だるまの腹の部分がくっきりと割れていた。顔に関してはまったくもって類似しないが。
「じゃあ、おまえは今日からゆきだるまさとだ」
 絶妙なネーミングセンスでゆきだるまさとが誕生した。そう名付けただけでなぜか誇らしげにこちらを見ているようで不思議な気分になった。鈴がその頭を優しく撫でる。せめて真人に似るようにと顔の配置を変えてみる。顔が丸かったからだろうか、スマイルくんに早変わりした。笑いながらこちらを見ているゆきだるまさと。気味が悪いので頭の部分に筋肉と書いてみた。うんゆきだるまさとだ。
「じゃあみんなのぶんも作ろうよ。まさとだけだとかわいそうだよ」
「なんだ? じゃあゆきだるきょうすけとゆきだるけんごとゆきだるりきをも作るのか?」
「ゆきだるりんもね」
「じゃあリトルバスターズけっせいだな。いや、ゆきだるバスターズだな!」
 近くにしゃがみ込んで雪玉を作り始める。喜々として雪を集めているその光景を眺める。頭上からはぽつりぽつりと雪粒が舞い落ちてきている。僕たちの頭にも当然降りかかってくるが、鈴は夢中になっていて気付かない。白い塊が大きさを増していく。
 行き交う人たちがこちらを黙視する。子供二人で何をやっているのか、と。実際雪を見て舞い上がってたのは僕たちだけだったのかもしれない。降雪している最中なりふり構わず外へ出てきてしまったので近くに保護者はいない。いるのは僕と鈴とゆきだるまさとだけだ。もうすぐゆきだるきょうすけも加わる。
「ほら、ゆきだるきょうすけだ。ここら辺にきょうすけぽさをだしてみた」
 誇らしげに胸を張る鈴。しかし悲しいことに、頭の上に枯葉が敷き詰めてあるだけだった。俗に言う河童だろう。
 突風が吹く。それは僕たちの暖かさを奪うと共にゆきだるきょうすけの髪の毛まで奪っていった。枯葉が空を舞う。巻き上げられた枯葉は近くの車道の上に落ちていった。車がくしゃりと踏む音がした。二人顔を見合せる。
「きょうすけのかみのけがなくなったね」
「ああ、そうだな」
 顔も何もな不格好な雪の塊。人はそれを雪だるまと呼ぶのだろうか。形すらままならないそれはどちらを向いているのか分からない。鈴がそれを指して言った。
「よし、いまからおまえはゆきだるけんごだ!」
 近くにあった棒きれをお腹に刺し込む。刺されている方が正面なのだろうか。鈴が顔を書き始める。やはりというかだった。せめてもの手向けに、髪の毛をつけようとする。しかしあの有頂天を突いているような髪型をどうすればいいか分からず、諦めた。
 公園の中心に座している桜の木から葉が落ちてくる。桜ならばとても味のある光景だっただろうが、何せ枯葉だった。悲しさが胸を通り抜けていく。
「こんどはゆきだる鈴を作ろう。ものすごく大きいやつ」
「でもあたしのことなんてあたしには分からないぞ」
「じゃあ鈴はぼくを作ってよ。ぼくならわかるでしょ?」
 頭を抱えて鈴が悩み始める。当の本人がいる前でそれは酷だと思った。しかしこういうぶっきらぼうな性格が鈴らしい。
「まぁわからないこともないこともない、こともない」
 結果的に否定された。けど本人は僕を作り始める準備をしていた。雪をかき集める。
 雪が積もったとはいえ、元来量はそう多くない。五人分の雪だるまを作るとなると、些か雪が足りなかった。仕方なく公園の端へ移動する。
「何してんだ、こんな寒いのに」
 公園の入り口から声がした。恭介だ。マフラーと手袋をつけている。その姿がこちらへと近づいてくる。
「見てわからないのか」
 鈴がゆきだるまさととゆきだるけんごを指して言った。
「これが何かさえわからない」
 恭介がゆきだるまさととゆきだるけんごを指して言った。
「まさととけんごだよ」
「なにっ、どこかの怪物にやられたのか!? こんなくずれた顔じゃかわいそうだぜ」
「かわいそう言うな、ぼけーー!」
 がしがしと恭介が蹴られる。この頃から鈴のキック力は群を抜いていた。鈴のかかと落としを恭介は紙一重で交わす。流石兄弟と言うべきか、息のあった漫才だった。僕は気にも留めずにゆきだる鈴を作る。そうして恭介と鈴が戯れていると、まるで片栗粉を手で握り潰したような音が聞こえてきた。振り返って見てみると、ゆきだるまさとが頭から粉砕されていた。筋肉の文字が跡形もなく消えて
いた。
「ま、まさと。大丈夫かっ。今助けてやるからなっ」
「あほか」
 淡々して恭介が真人を組み立て始める。鈴も率先して手伝いに入る。僕はその輪から外れて様子を一部始終観察していた。
 途中経過を見る限り、完璧だった。恭介の設計に寸分の狂いもなかった。下手をすればそのまま真人像が建てられるのではという領域まで達していた。ただ一つの誤算といえば、鈴だった。
「まさとはもっとお腹がわれてる」
 そう言って無理やりに真人の腹を引き裂こうとした結果、中心線を境に真人が真っ二つに割れた。マッスルポーズをとっていた真人は、虚しくも地面に這い蹲る結果となった。恭介が膝をつく。
「ま、まさと……お前はいいやつだった。お前のことは三年はわすれないぜ」
「かってにころすな」
 真人がぬっと現れた。謙吾を連れて。相変わらず謙吾は竹刀を片手に、仏頂面を決め込んでいる。真人と一緒に壊れた真人の残骸を目にする。若干苦い顔をしながらも応じる。
「なんだよこれはよう」
「残念だったなにせもの、今ここに真人は砕け散った。でも安心しろ真人。お前の敵は俺が果たしてやるからな。いくぞにせもの!」
 そう言い放ち、超至近距離で真人に雪玉を喰らわす。顔面に直撃した真人は眼を押さえながら転げまわっている。りふじんだぁぁぁぁあああ!と叫びながら。
「なんだ、こういう遊びなのか?」
 謙吾が握力を込めて作った雪玉を転げまわる真人に幾度となく浴びせる。泣きっ面に蜂、筋肉に弛緩剤と言ったところだった。以前の蜂騒動を思い出す。
 恭介は笑っていた。謙吾も、真人も、鈴も。
 その内に雪合戦をしようということになった。グーパーした結果、僕、恭介チームと謙吾、真人、鈴チームになった。向こうでは早速真人が鈴の足蹴にされていた。お前はあたしとけんごの台になれという会話が聞こえた気がする。気のせいか。こちらでも作戦を立てる。
「どうする恭介?」
「鈴と真人はともかくとして強敵は謙吾だな。とりあえず謙吾が出てきた時だけ隠れよう。鈴と真人を先にダウンさせるぞ」
「うん分かった」
 壁を隔たった戦場、木の葉が息をひそめたように張りつめ、乾いたラップ音が響散する。既に用意された雪玉を片手に僕たちは息を潜め唾を鳴らす。
「ミッションスタート!」
 恭介の掛け声とともに火蓋が切って落とされる。向こうは予想通り真人が台となって斜角によるアドバンテージを利用した戦法をとった。雪玉が切れることなく降り注ぐのは、真人が下で地道に雪玉を作っているからだろう。
「うりゃうりゃうりゃー」
 考えなしに鈴が投げる。予想以上に激しい攻防戦が繰り広げられるかと思ったが、そうでもなかった。理由は、球切れだ。いくらかき集めたとしてもそこまでの雪量がない。謙吾は真人を竹刀で叩いていた。
「よし今だ!」
 壁を飛び出して恭介が言う。向こうもそれなりに応戦してくが、何しろ薄かった。するすると戦場を切り抜け、壁の向こう側へ行く。そうして三人に雪玉をぶち当ててこう言う。
「俺の勝ちだな」
 悔しがる真人、それを見て竹刀で叩く謙吾、踵落としを決め込む鈴。本当にみんな仲が良かった。笑えるくらいに。
「…もう雪が降ることはないかもな」
 恭介がぼそっと呟いた。恭介の両親が言っていたがこんな雪は生まれて初めてだったという。そこまでこの街は温暖なのだ。
「またゆきがふったらこうやって遊びたいね」
「まさとをチームに入れるのだけはいやだ」
「りんに同じだ」
「なんだ、お前のあたまのなかはこのゆきみたいにまっしろで楽しそうですね、わたしもそんな気楽にいきたかったですとでもいいたげだなぁ、あぁ!?」
 雪が降り止む。そしてそれはこの街の冬の終わりを表していた。

 雪が降ってきた。僕にとって三度目の雪。今年は特に冷え込むらしく、はらはらと粉雪が舞っていた。地面に降り積もり、白の世界を醸し出している。僕はその光景をただ眺めていた。鈴と一緒に炬燵に入りながら。
 そうしていると、フラッシュバックしたかのように頭の中に光景が浮かんだ。僕にとっての初雪。懐かしむ暇すら惜しく、僕は声に出していた。
「雪だるまでも作りに行かない? せっかく降ってるんだし」
「寒い。炬燵の中にいた方があったかい」
 もぞもぞと動いてやがて動かなくなる。寝ぼけているせいもあるのか、薄目を開けている。やがて静かに寝入ってしまった。すーすーと寝息を立てている。
「しょうがないなぁ」
 炬燵の電力を小さくしてから、防寒着に着替える。マフラーと手袋をつけ、普段着の上にコートを羽織る。何も持たずにすぐさま公園に駆けていった。
 足跡があちこちに残っている。大小様々な靴跡。皆が皆浮かれているのだろうか。はたまた浮かれているのは僕だけなのだろうか。思いが逡巡する。僕の足跡はいつの間にか大きくなっていた。
 公園に一人佇む。今もその中心に座している木は、すでに枯れていて枯葉すらつけていなかった。隅では子供が雪で遊んでいる。意気揚々と駆け出してきたはいいものの、一人で雪だるまをいざ作るとなるとそれはそれで恥ずかしい。しばらく子供が出終わるのを待っていた。
「できた!」
 そう声がした。見るとそこにはまだ未完成の雪だるまが建てられていた。だが本人にとってはもう満足なのだろう。誰に見せるともなく胸を張っていた。遠くでお母さんの呼ぶ声がし、子供はそちらへ駆けていった。
 不格好なその雪だるまに近づく。手と足すら出ていない雪だるまは、例えるなら巨大なアイスクリームだろうか。しゃがみ込んでそれを弄る。
「理樹、何してるんだ?」
 そう声をかけてきたのは鈴だった。スカート姿に着替えている。ちりん、と音を立てて僕の隣に座る。
「見て分からない?」
「わからんな、さっぱりもっさり分からん」
 頭を捻り出す始末だった。腕を組んでうーんと唸っている。
「これはゆきだるきょうすけだよ」
 枯葉が手元に見つからず、仕方なく枯れ枝で補修する。いくつか真っ直ぐに垂らしてみると、気持ち悪くなった。
「なんだ、馬鹿兄貴だったのか。なら謙吾と真人も作ってやらないとな。可哀想だ」
「うん、そう、だね」
 言葉を交わさなくても、通じるものがある。僕たちの雪だるまは、過去と未来、そして現在を繋ぐ「絆」。

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