いってらっしゃい       凛色



 てくてく、と廊下を歩く。次の授業は生物。実験をやるから移動教室。そう黒板に書いてあって、トイレに行ってた私は大慌て。教科書に筆箱。ノートに、ポケットにチョコを入れて教室を飛び出した。真人君が寝てたけど、ごめんなさい。もうすぐチャイムがなっちゃいそう。
 けれど廊下は走っちゃいけません。
 だから歩いているのです。
 次の授業が実験室で助かったかも。こんなに良い天気、教室だとうたた寝しちゃいそう。ポケットからチョコを取り出して、一口。もぐもぐ。
「おーい、校内で食べ歩きはするなよー」
「ふぇ? あ、ごめんなさい」もぐもぐ。ごっくん。
 何処から話しかけられてるのかわからなくて、一瞬びっくりした。端っこからなんてわからないよ。チョコを急いで食べ終えて、かわりばんこに携帯を取り出す。横のボタンを押して、今何時かな。ぴっ。授業が始まる時間だった。あれ?って思って思わず上を見る。
 
 鐘がなっちゃって、遅刻決定。
「ほわあああああっ!?」
 どうしようどうしよう。私不良になっちゃった。頭の中が真っ白になっちゃって、広くない廊下を右に行ったり、左に行ったり。頭のどっかの、落ち着いてる私が「今からでも行けばいいじゃない」って言ってくれるけど、やっぱりいつもの私が大慌て。足が生物室の方に動いてくれない。どうしよう、どうしよう。そう思いながらポケットを探っていたら。
「ん、小毬か? どうしたんだ右往左往して」
「きょーすけさん?」
 角からきょーすけさんがこっちを見ていて。
「ちょ、チョコ食べますか?」
 チョコを思わず差し出した。

 

 
 もぐもぐ。
 ごくん。
 寒そうに身体を小さくして、体育をしている人達を見ながら一緒にチョコを食べる。きょーすけさんがくれたココアを飲む。うん、幸せ。けど、ちょっと怖い。
「チョコにココアって甘すぎないか?」
「それが良いのです。おいしいですよ?」
「俺には少し辛いな」
 甘すぎて溶けそうだ、と笑う。子供っぽいなあって思いながら私も少し笑う。風が吹いて体が震える。もう一口飲んで暖まる。きょーすけさんも同じ事をしていて、ちょっとおかしかった。
「なあ、小毬」
 きょーすけさんが消えちゃいそうな声で、私に言う。「なんでしょー?」
「授業、サボっても良かったのか?」
「うーん…。良くはないよね…」
「だよなぁ」
「そうですよ」
 リボンが風で隣に流されちゃうから、慌てて押さえる。ちょっと長かったかな。
「ねえ、きょーすけさん」
「なんだ?」
 さっきの言葉を出来るだけ口調を真似て、繰り返してみる。隣で笑い声が聞こえた。
「俺は良いんだよ」
「そうなのですか」
「そうですよ」
 同時に一口飲んで、一緒に笑う。くすぐったくて、風が冷たくて、体を動かした。
 生物の授業、今頃何やってるんだろう。って呟いた。風に乗って飛ばされるかと思ったら、捕まえられた。
「確か、犬の餌の解剖じゃなかったか?」
「ほえ? わんちゃんのご飯?」
 頬をかきながら、そっぽを向いて教えてくれる。
「具体的には、鶏の頭の水煮だな」
 突然、手に持ってるチョコが美味しくなくなった気がした。ココアが苦くなった気がした。
 きょーすけさんが頭を撫でてくれるけど、それでもまだおいしくなかった。にわとりさん、ごめんなさい。ありがとうって小さく言った。隣かも聞こえた。恥ずかしそうな声。一口食べた。甘くて、美味しい。


 
 飲み終わったココアの缶を、きょーすけさんが横から持っていった。自分で捨てるって言ったけど、笑って頭を叩かれた。一瞬叩かれたのがわからなくて、あたふたした。それを見て、さらに笑われた。
 何か言おうとして、口を開いたらチャイムがなった。思わず上を見て、太陽を見た。
「お、時間だな」
 前を向くと、もう誰も居なくて、私だけ。
 慌てて窓から出て、階段を下りて、踊り場を回る。途中で転んで、膝を打った。
 痛くて座ってたら涙が出てきた。寂しくて、痛くて、やっぱり寂しくて。
「きょーすけさん」
 居ないってわかってるのに、呼んじゃう。
 聞こえないってわかってるのに、呼んじゃう。
 何処かに行かないで。まだそばに居て。とか、ちょっと大げさかなって思ったけど。少しぐらい大げさな方が、気がついてくれるかなって。
「小毬」
「きょーすけさん」
「どうした?」
「行かないで」
「ああ」
「撫でて」
「ああ」
「あと、えっと。おめでとう、ございます」
「ありがとう、小毬」


 テレビを点けたら、桜の開花予想をやってて、なんとなく見てみた。いつもより早いって、めがねのまじめそうな人が言ってた。それが嬉しかったり悲しかったり。
 自分の部屋に向かって、てくてく歩く。
 今日は桜餅にしようかな。いっぱいあるからみんなで食べよう。
 ふろしきにいっぱい詰めて、両手で持つ。ゆさゆさ。廊下の窓からあったかいお日様が入ってきて、なんだか楽しくなる。一個だけ、味見してみようかな。
 もぐもぐ、ごくん。
「校内での食べ歩きは禁止ー!」
「ほわあああああっ!?」
 
 甘くて、しょっぱくて、なんだか春らしい味。
 うん、幸せ。

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