帰るべき何処か、帰りたい場所        流星



 最後の一球だった。
 ど真ん中に放られたストレート。想いを全て込めた投球。フルスイングではじき返した。どこまでも飛んでいけばいい。グラウンドを越えて、校舎も越えて。地平線を越えて。重力なんか無視してどこまでも。やがてそのボールは青の中に吸い込まれ、見えなくなった。それでも遠くまで、遠くまで。見えない線を越えていけばいい。ただそれだけを願った。
「いけぇぇーーっ!!」
 崩れていく。大事なものが全部。全部飲み込まれて。恭介に押された背中。振り返らない。もうこの場所に全て置いていく。取り返しなんて付かない。だから、振り返らない。止まらない涙だけ、地面に吸い込まれて。でもそれも、形を失っていく。どこかに飲み込まれていく。
 急げ。
 急げ。
 全てを、無駄にするわけにはいかないんだ。
 帰るための道、校門へ。その光の中へ、僕らは飛び込んだ。







「何だこれ」
 鈴の呟きも無理はない。僕も何が何だか分からない。分からないなりに適当に説明するとするなら、まあ。
「校門を踏み越えた先には、ブルースクリーンが広がっていました」
 誰に説明してるんだお前。いやまあ。微妙なやりとりの最中にうまい表現を考えてみたが、残念ながら思いつかなかった。とにかく端的に言うならば青だった。それ以外に説明のしようがない。白い紙を絵の具で隙間なく塗りつぶしたかのように、視界中の全てが青。空の色とは違った硬質な青とでも言うべきか。空間としての広がりと、地面の存在だけは確認できたが、それだけだった。目をごしごし擦ってみても、見えるものは一向に変わらない。それ以外の色彩を放っているのは、僕とその隣の鈴だけだった。
「もしかして、バグった?」
「鈴、そんなに簡単にバグったとか言っちゃいけないよ」
 いやまあ、確かに作られた世界ではあったんだけれどもさ。
「何か、昔のゲームを思い出した」
「あー、確かに」
 本体にちょっと体当たりかましただけでこうなってたね。何度コントローラーを投げたことか。つまり、僕らが今までいた世界って、そんな程度のものだったのだろうか。さすがは恭介の作った世界だな、と唯一手を触れられる地面をこつこつと叩きながら鈴が言う。それは失礼にもほどがあると思うよ。そんなことないぞ。実は背景とかあの馬鹿たちの手作りだったかもしれないな。そーだ、そーにちがいない。うんうんと自己納得しながらの鈴のそんな言葉に、目から新しい雫がこぼれそうだった。さっきの涙とは、意味的に180度違うが。
 こんなところで話し合っていても事態は好転するはずもない。仕方がないので歩いてみた。青一色なので地平線が存在しない。どちらに進んでいるのかさっぱりだった。そもそも平地を進んでいるのかどうかは分からなかった。足の裏から伝わる地面の感覚を頼りに、頭の向く方へ。風景の変化もないから、退屈な事この上ない。こんな無機質な青じゃなく、せめて空色と称される優しい感じの色だったらよかったのに。文句を言っても何も変わらない。結局左右の足を交互に前に出す事をプログラミングされたロボットのように、僕らは歩を進めた。そんな淡々とした行程に、鈴が文句を言わない訳がない。「何でこんな事してるんだ」とさっきからしきりに呟いているのが聞こえる。これはおそらくもうすぐ、矛先が僕に向くのだろう。
「だいたい、理樹がきょーすけの球をあんなに吹っ飛ばすから、こんな事になったんだぞ」
 どこがどうなってそういう結論に達したのかは全くもって不明だけれど、僕のせいであることだけは、既に鈴の中で確定しているみたいだった。
「きっとあのボールがどこまでも飛んでいって、田中さんちのお子さんのゲーム本体に直撃したんだ」
 田中さんって誰? あたしの友達だ。そんな名前の友達いたっけ? り、理樹の知らない子なんだ。いい子なんだぞ! へー、例えば? こ、困ったときお金を貸してくれるんだ。何と百円もだぞ。これはいい奴じゃないとできないだろう!? 他には? えーっと、じ、十円も貸してくれるんだ。他には? ご、五円も貸してくれたことも、あった・・・気がする。お金のやりとりしかしてないじゃない。ほ、他にも色々あるんだ! そもそも鈴に友達いたっけ? う、うっさいぼけ! いい感じに成立した会話のキャッチボールで若干退屈は紛らわせることができた。けれど、それも終わってしまえばまたルーチンワークに戻る他ない。次の話題を探すべきだと判断し、何かないものかと思案していると、別にな、という鈴の声がした。
「別に、何なら佐藤さんでも佐々木さんでもいいぞ」
 そんな問題じゃない。そんな問題じゃないのだけれど、つまるところ、僕らは何も知らない。鈴の話した推測が、万に一つもありえないのは分かるけれど、もしかしたら京に一つくらいの確率で何かの要素を生み出していたとしても、僕らには結論を出せるはずもない。そして出来る事といえば唯一、進む事のみである。
 鈴の手を握り、歩き続ける。子供の頃を思い出した。二人きりの帰り道。街の喧騒から少し離れた河原。空を茜色に染め上げた、沈む間際の太陽を眺めていた。やかましく鳴く蝉の声。夏の匂いが満ちていた。いつかの記憶。瞼の裏に焼きついた、遠い日の思い出に少し浸る。目を開ける。広がる風景に、全て台無しにされた。足元にも青。見上げても青。そして目の前には、どこまでも広がる青。この辺で気づいた。何を目指しているか分からなくなっていた。そもそも何でここに来たんだっけ。鈴に聞いても、知るか、とありがたい一言が返ってきた。
「とりあえずこっちに向かって進んできたんだから、振り返ってみれば分かるんじゃないか?」
 何となく的を得ているような鈴の言葉に、振り返らないとか決意していたのはいつの事だったかなぁ、なんて思いながら振り返ってみた。当然のごとく後ろも真っ青だった。もっと早く後ろを見ておけば、分かってたかもしれない。そんな結論に、僕も真っ青になりそうだった。
「だからあたしの言うとおりにしておけばよかったのに」
 鈴さん、あなた意見出しましたっけ?
 一気にどっと疲れが出た。僕が言うより先に、鈴が疲れたと音を上げた。二人でぺたんと座り込む。
「こっちの方が気持ちいいぞ」
 見ると、鈴はごろりと横になって空を見上げていた。僕もそれに倣う。雲ひとつない。それどころか太陽すらない。本当にどうなってるんだ。もう訳が分からなくなって、半ばやけっぱちになってきた。見ようによっては、快晴とも取れないこともないか。いや、間違いなく快晴。それでいいじゃない。
「何か喉渇いたね」
「水筒でも持ってくればよかったな」
「うん。ちょっとしたハイキング気分だよね。天気もいいし」
「お菓子ならあるぞ。こまりちゃんにちょっとだけもらったやつ」
「あ、じゃあちょっと食べていこうか」
 僕の制服の上着を敷き、そこに二人で座る。狭いから背中合わせで。ぽりぽりと、鈴が取りだしたハッピーターンをかじる。疲れてるから甘いものの方がよかったんだけど。鈴の肩越しにひょいと覗き込むと、自分ひとりだけチョコレートを食べていた。酷すぎる。お前にゃやらん。これはこまりちゃんから一個しか貰えなかったからな。さいですか。
「さあ、もう少し休んだら行こうか」
 鈴が少し不思議そうな顔をした。どこに、と言いたげだった。でも口には出さない。
「ハイキングの続きに、出発だよ」
 だから僕は押し切る。そう、僕らはこの快晴の中、寮の自室でごろごろするだけではもったいないと思い、二人でハイキングに来たのだ。誰がそうじゃないだろと突っ込めるというのか。そうだよね、と念押しすると、おー、そうだった、あーあー、アレであーなってハイキングなんだな、と納得してくれた。これで僕らの中の真実が確立した。
 目的地は適当に。あと数キロ先にある山にしよう。喉が渇いたら、そこらにある公園の水飲み場を活用すればいい。コンビニだってきっとある。僕らの横を流れる見えない川の流れに沿って、何となくあるような気がする遊歩道を歩いて、透明な階段を上ったような気になれば、ほら。あの部分に何となく山の形が見えるような気がするだろう? 天辺には雲っぽい白いもやが掛かっていて、仙人みたいな髭のおじいさんが住んでるんだよ。
 簡単に言うと、僕らは病んでいた。

 山の麓っぽい設定の部分に到着したとき、初めて青以外の色を目にした。最初は錯覚かと思って、でも確かに金だったりピンクだったり白かったりするものが近づいて来ていた。上から。ややあって、僕らの目の前に墜落した。
 女の子だった。僕らと同じ高校の制服を着ていた。艶やかで長い金色の髪と鳥をイメージしたような髪飾りが目を引いた。
「いったーっ!!」
 強く打ち付けた額を押さえて涙目だ。どれくらいの高度から落ちたのかは知らないけれど、それだけ元気なら大丈夫だろう。
「あの、登山者の方ですか?」
「へ?」
「いえ、ですから」
 彼女は後ろを振り返り、辺りを見回したあと、僕に向き直った。
「どこに山があるってのよ」
「ここに」
「はあ?」
 ますます怪訝な顔をする彼女。ちなみに彼女の反応が正しい事も理解はしている。それでも流れで最初の質問をしてしまった以上、もう引っ込みはつかない。押し切る事にする。ここには山があるんだ。何だ、お前には見えないのか、と鈴が可哀想なものを見るような目で援護射撃する。
「み、見えないわけないじゃない! そうね、登山してたのよ、あたし!」
 2対1とはいえ、多数決という数の暴力の残酷さを目の当たりにした気がする。
「で、何で飛び降りたの? 飛べるとでも思ったの?」
「アホだな。髪飾りで飛べるわけないじゃないか」
「そんなわけ、あるかっ!」
 つばを飛ばしながら反論された。反射的に一歩下がる。鈴も大きく飛びのく。彼女はがっくりと膝を付いて落ち込んでいた。ドン引きされたのがショックだったのか。
「あたしはね、えーと・・・そう、探検家よ」
 とてもとても貴重な宝物、探してるんだ。そこまでを告げてから、きょろきょろと辺りを再確認している。どうしたのかを尋ねてみると、ただ一言。
「ここ、どこ?」
 うん、それは僕らにとっての大きな疑問でもある。どこなのかも分からなければ、どうすれば進めるのか、或いは戻れるのかすら分からない。きっとバグったんだ、なんて鈴の身も蓋もない発言を合間に挟みつつ教えてあげた。戻れない? 彼女は小さく呟いた。瞳が不安げに揺れた。でもそれも一瞬のことだった。
「戻るわ。あれを見つけることは、あたしの・・・」
 先は聞こえなかった。ただ、戻るのだという真剣さだけは分かった。目には強い意志がこもっているように思えた。綺麗な空色だと、ぼんやりとそう思った。
「とりあえず来た方向に進めば、いずれ戻れるんじゃないか?」
 さっきと同じく鈴の無責任な言葉が響く。そんな単純じゃない事はさっき分かったでしょ? でも彼女はその言葉に希望を持ったのか、ぱっと顔を明るくした。
「そうよねそうよね! そうすれば戻れるはずよね! よーし、やってやろうじゃないっ!」
 単純なのがもう一人いた。上から来たんだから、よーし、浮けぇ! なんて叫び声が聞こえる。助けてあげたいのは山々なんだけど、生憎こっちもやることがないわけじゃない。それに手伝えないし。頑張ってね、なんて応援の言葉だけ残してその場を立ち去ることにした。
「うんがーーっ! 何故浮かないっ!?」
 うん、頑張って。

 理樹、と呼ぶ声に振り向く。見れば鈴が、まるで小さな子供のように僕の服の裾を引っ張っていた。
「どうしたの?」
「なあ、あたしたちも帰ろう」
「どこへ?」
 指差す先は、歩いてきた方。僕らが元いた方角。ハイキングは終了、今日はもう帰るぞ。心底疲れたといった顔で話しかけてくる鈴に、ダメだとは言えなかった。
「かなり歩いてきたから、同じくらい歩かないと辿り着けないよ?」
 小さく、それでもはっきりと首を縦に振った。前に進むよりは、ずっと楽だ。力ない呟きが聞こえた気がした。
 話しながら、歌いながら、笑いながら、スキップしながら。
 ないはずの山を越え、見えない渓谷を抜けて、透明人間の住む住宅街を通り抜け、何となくあるような気がする道端の石を蹴りながら、僕らは帰る。青い世界はいまだ変わらない。それでも戻れば戻るほど、鈴は元気になっていった。それが何を意味するのか。僕はもう分かっている。
 先の見えない道。
 単一色の世界。
 そんな場所に、僕らは。
 多分。

 やがて再び見え出した校門に、鈴は珍しく歓喜の声を上げた。
 向こう側、色のある世界では、僕らと別れた体勢のまま、校門の先を指差しながら固まったままの恭介が映る。若干表情が変わったところを見ると、別に時が止まったりしている訳ではなさそうだ。台無しだよ、お前ら。目線だけで僕らに告げている。見ないフリ。知らないフリ。校門を通り、悠然と恭介の真横を通過する。
「何かアホっぽいポーズだな」
 さすがはきょーすけだな。それは酷いと思うよ、鈴。目潰ししてもいいのか? 可哀想だからやめてあげなよ。いつものやりとりをしながら。後姿では確認できないけど、きっと恭介の目からも、新しい雫がこぼれていることだろう。もちろん、前の涙とは180度違う意味で。
「そーいえば、あの変な奴、戻れたかな?」
「僕たちが戻れたんだから。彼女もきっと戻れたんじゃない?」
「そーだな」
 名前も聞かなかったな。戻れてればいいな。鈴の呟きに小さく相槌を打つ。何となくだけど、また会える気がする。他でもない、ここで。
 鈴の手を握る。温かい。はずいわ、ぼけー、なんて力ない抗議は耳まで届かない。
 見上げてみた。
 暖かな、空色。

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