Gently Weeps(静かに泣く) 橘
私のもとに手紙が届いた。
差出人は・・・・・・二木、佳奈多さん。
私が以前通っていた学園でルームメイトだったひと。
そして、私の監視対象だったひと。
「お前のような位が低く、貧しい分家筋が進学校に進めるのだ。ありがたい話だろう?」
それが私の下らない仕事、三枝の跡取り娘の監視に就く際にうけた「ありがたい」お言葉。三枝の人間はやはり穢れた血のクズ野郎ばかりだ。
私の役目は二木佳奈多の素行を監視すること。監視するポイントは三つ。
ひとつ、二木佳奈多は成績優秀であること。
ひとつ、二木佳奈多は品行方正であること。
ひとつ。
三枝の正当な跡取りたる二木佳奈多は、三枝の面汚しである三枝葉留佳を徹底的に踏みにじること。
・・・・・・三枝の人間の考えはいちいち歪んでいて嗤える。しかも、二木佳奈多と三枝葉留佳は双子の姉妹というオマケ付き。全くもってクソの上をクソで塗り固めたような連中だ、本当に。正直、この話には乗り気ではなかったのだが、折角私立の進学校に行く援助をして貰えるのだ。利用できるものは利用しなくては。毒を食らわば皿まで、ということだ。
そして、私は監視役として二木佳奈多・三枝葉留佳と同じ学園に入学した。常に監視ができるようにという「ありがたい」配慮であろうか、寮の部屋も彼女たちと一緒になった。そこでの毎日は、まさに三枝の腐った世界の再現だった。
「いつもいつもあなたは楽な方へ逃げたがる。だからあなたは私に勝てないの。だからあなたはゴクツブシのロクデナシ、ヤクタタズなのよ」
「うるさいうるさいっ!何であんたなんかにそんなこと言われないといけないのよ!」
「私はあなたの成績と行動から純然たる事実を述べたまでよ。それを私が悪いみたいに言うなんて。被害者意識が強すぎるんじゃないかしら?」
「あなたは自分で何も努力をせずに、ただ怠惰に日々を過ごすだけ。それで自分に都合の悪いことがあったら、全部他人のせい。自分が他人にどんな迷惑をかけているのか顧みずもせずにね。最低ね」
「―――っ!!」
バタンッ!
三枝葉留佳が部屋を飛び出す。
「・・・・・・本当に最低」
小さいころから姉妹で競い合い、一歩劣る妹を常に罵り続けたという二木佳奈多。三枝のお姫様は、穢れた土と穢れた水から生まれたから、はじめからクズだったというわけか。本当に下らない。そして、そんな下らない連中のために働いて、連中の金に群がっている私自身もまた下らない存在なのだ。
数ヶ月が過ぎたころ。・・・・・・今日も寮の一室にて繰り返される。醜い三枝の毎日が。
「また、あなたはお友達の部屋に入り浸っているのね。消灯の時間が過ぎるまで。その人も迷惑してるんじゃないかしら。あなたみたいなゴクツブシの面汚しに気に入られちゃって」
「唯ねえはそんなこと思うような人じゃない!!私の友人関係にまであんたにいわれたくないねっ!」
「迷惑に思っているかもしれないし、思っていないかもしれない。でもね、三枝葉留佳。あなたが傍にいることで彼女に迷惑を掛けるというのは事実よ」
「どういうことさ!?」
「だって、考えてもみなさい。あなたは素行の問題で寮会や風紀委員に目を付けられている。そんなあなたと一緒にいる人だって、同じように目を付けられてしまうのは道理でしょう?私、前に言ったわよね。あなたが他人に何故迷惑をかけているのか」
「・・・・・・」
「それはあなたが三枝葉留佳だからよ。ゴクツブシのロクデナシだから。あなたの存在自体が他人に迷惑をかけるの。いい?あなたは友達を作る資格さえないのよ」
「・・・・・・・・・・・・私は他の子たちみたいに普通の生活を送ることも許されないってわけ!?」
「・・・・・・・・・その通りよ、三枝葉留佳。あなたは最低の・・・」
バンッ!!
いつも通りの展開。もう聞き飽きた。
「最低ね・・・・・・」
「本当に最低ですね。あなたが、ですけど」
私は二木佳奈多のほうを向かずに言った。お姫様の横暴振りに愛想が尽きたのだ。もっとも、穢れた三枝の人間に愛想を振りまく必要なんて無いのだけど。
さて、私はどうなるのだろうか?お姫様の逆鱗に触れたのだ。罵られるだけでは済まないかもしれない。殴打されたりするやもしれない。そして、この話がサル山に伝わってお役御免という寸法か。
それでいい。もう、疲れてしまったのだ。
「・・・・・・そうね、あなたの言うとおりだわ・・・・・・」
返ってきたのは意外なこたえ。愕いた私は二木佳奈多に目を向けた。
・・・・・・彼女は目をぎゅっと瞑り、両手で体を抱くようにして、じっと何かに耐えていた。そのあまりに儚げで、悲痛な表情が忘れられない。
このとき、私は理解した。彼女もこの状況を望んでいないことを。彼女も疲れてしまったことを。私も三枝の人間だから分かる。彼女は私と同じなのだ。
それなのに私は何も気付かず、ひどい勘違いをし続け。それがどんなに彼女を傷付けてしまっていたのか。
「佳奈多さん。あなたはこんなことをして楽しいですか?」
「・・・・・・そんなわけないじゃない・・・・・・」
「私は二木の家からは何も聞かされていません。だから、教えてください。真実を」
それから、彼女はポツリポツリと話し始めた。
彼女らの生い立ち。
品評会。
凄惨な虐待。
心と体に刻まれた傷跡。
そして。
廃人にされかけた葉留佳さん。
彼女のため、自分を諦めた佳奈多さん。
そこで、私は知ることになる。佳奈多さんが葉留佳さんに対して、酷い言葉を投げ続ける理由を。葉留佳さんが憎いからでも、ましてや二木が怖いからでもない。すべては葉留佳さんのため。
私は打ちのめされた。三枝の世界が私の想像をはるかに上回るほどに穢れていることに。佳奈多さんはそんな穢れた世界の中心にいても、それでも、なお美しいことに。・・・・・・そして、そんな彼女の愛情は葉留佳さんには決して届かないことに。
「・・・・・・あなたはこのことを報告する?」
「・・・・・・いえ。私が報告することは、あなたが葉留佳さんを踏みにじっているという事柄です。それが事実で無かろうと」
こんなことで、あなたを三枝と同じと心の中で罵った罪滅ぼしにはならないけれど。
「それよりも。こんな時にまで我慢することはありません。泣きたいときに泣けないことは、とても悲しいことですから」
パタン。
私は廊下に出て、ドアにもたれかかる。しばらくして、彼女の嗚咽が聞こえる。
三枝への反抗心だろうか。それとも単なる同情だろうか。あるいは、これまでの罪滅ぼし?理由はわからなかったが、ひとつだけわかったことがある。
彼女の悲しみを分かってあげられるのは、私だけ。彼女を守ってあげられるのも、また私だけ。
ならば、守ろう。彼女へ降りかかるあらゆる災厄から。この学園でなら。私の手が届く範囲でなら。
私にはそれができる。
それからというもの、私は彼女のためにできることは何でもやった。彼女は放って置くと、いくらでも無理をする。風紀委員に剣道部、そして寮会、さらには優秀な成績を収めるための長時間に及ぶ勉強。そんな彼女の負担を少しでも減らそうと、風紀委員や寮会の手伝いを行った。さらに寝ずに勉強しようとする彼女を無理やり寝かしたり、彼女が体調を崩せば彼女の傍に付き添ったりもした。
あるとき、彼女が寝込んだとき看病していると、彼女からこんなことを言われた。
「何故あなたは、こんなことをしてくれるの?」
「ルームメイトとして当然のことをしているまでですが」
「あなたの場合はやりすぎよ。こちらが申し訳なく感じてしまうわ」
「あなたがそんなことを気にする必要はありませんよ。ゆっくり休んでください」
「・・・・・・あなたを私達の関係に巻き込ませたりしたくないのよ」
「それは無理な話ですよ。初めから巻き込まれてます。それに、今は私が望んでやっていることですから」
「どうして、なの?」
どうしてか?
はじめは理由も分からなかったが、今はなんとなく分かる。
あのときまで、自分がこの学園にいる意味が堪らなく嫌だった。吐き気を催すほど醜悪な三枝のため、姉妹同士をいがみ合わせること。そんなことをしているうちに、自分も同様に穢れた人間になっていく気がしていた。
しかし、あのときからここにいる意味が変わった。
佳奈多さんが私の目を覚ましてくれた。自分も既に十分に悲惨な状況であるにもかかわらず、彼女は妹の幸せのため、その身を差し出した。彼女が救ったのは、葉留佳さんだけではない。このまま三枝の人間として堕ちていくだけの私の心をもまた、救ってくれたのだ。
彼女は、呪われた私たちの世界にあった唯一の美しいもの。だから彼女をこれ以上穢したくなかった。だから彼女をこれ以上悲しませたくなかった。この学園にいる限り、私が彼女を穢れた世界から守る。
最近、気付いたことがある。
誰かを守りたいと思うことが、何とも言えない充実感をもたらすこと。友達にこんなことを訊かれた。
「好きな人でもできた?最近何か変わった」
・・・・・・・・・私は佳奈多さんのことを好きなのだろうか?そういった意味で。
答えはきっとNO。そもそも私にそんな趣味は無い。それに、彼女を独占したいのかと考えても、違う気がする。
私の方を向いてくれなくても良いのだ。ただただ、彼女の泣きたいのに泣けない、あんな悲痛な表情をもう見たくない。
彼女が笑う姿を見たいだけ。ただ、それだけだ。
入学して、季節が過ぎ去って。
状況は改善しないものの、現状維持はされており。そんな中、ひとつの懸念事項が挙がっていた。葉留佳さんだ。
最近、彼女の素行が寮会や風紀委員で問題となっている。私自身は彼女の素行が何であろうと一向に構わないが、このことが三枝の連中に知られれば、あの最低最糞の連中のことだ。確実に佳奈多さんに被害が及ぶ。
もちろん、この学園内の話であれば私の方で握りつぶすことができる。しかし、葉留佳さんが大きなトラブルを起こしたりして学園の外に話が及んでしまえば、私にはどうすることもできない。
・・・・・・彼女と関わるのは気が進まないが、手は打っておこう。
「何の用ですかネ?」
放課後の裏庭で、葉留佳さんと対峙する。部屋を避けたのは、万が一にも佳奈多さんに目撃されてしまう恐れがあるから。
「あなたの行動が問題となっています。それが原因で私たちにも迷惑が掛かる。ですので大人しくしていてください。」
「私が何をしてもカンケー無いじゃないですか。それとも私のことも報告してるんですかネ?全くお役目ご苦労さまだねー」
恐らく、彼女は確信犯だ。彼女の素行が三枝に伝われば、佳奈多さんに害が及ぶことを知っている。
「あなたは何がしたいんです?折角最近は佳奈多さんと出会わなくなったのに。あなたのほうから絡んできているように見えますよ」
「・・・・・・・・・・・・」
「あなたは誰のおかげで平和な学園生活を送れているのかご存じないのですか?」
「知ってるよ。あいつでしょ。私のことが『可哀そう』だからここに連れてきたんでしょ。自分が何でも持っているってことを見せ付けるために!私から全部、ぜんぶ奪っておきながらさ!!あんたは今の私の生活が平和だと思うわけ!?毎日毎日あいつに馬鹿にされ、苛められてる生活がさあ!!」
・・・・・・ダメだ。
私が何を言っても無駄だ。彼女の世界では、周りは皆間違っていて、彼女だけが正しくて、彼女だけが被害者で彼女だけが不幸なのだ。そんな状態では、例え私が本当のことをいくら言っても信じはしないだろう。
・・・・・・佳奈多さん、本当にこんな妹のためにあなたの身を捧げる必要はあったのでしょうか?
いや、この妹に佳奈多さんの愛情を受ける資格など無い。
「・・・・・・あなたのような人間にいくら言って聞かせても無駄のようですね。」
こんなことはしたくはなかったのだが。私は、唐突に彼女の胸倉を掴むと、そのままの勢いで校舎の壁に彼女を押し付けた。
「・・・・・・あなたは私をただの同級生と思っているのかも知れませんが、私も三枝の人間なのですよ。言葉でわからないのでしたら、体でわかってもらいましょうか。三枝流のやり方で」
「・・・・・・・・・・・・・・・ひっ」
幼少期からの虐待のせいだろう。葉留佳さんは、顔を真っ青にして震え始めた。彼女の怯える姿を見ると、気分が悪くなる。だからこんなことしたくなかったのに。だが、これでしばらくは大人しくなるだろう。
「・・・・・・ふん。」
私は葉留佳さんを突き飛ばすと、寮へと走る。部屋に戻ると、私はドアの鍵を閉め、隅にうずくまった。
・・・・・・暴力で、彼女のトラウマにつけこんで、自分の思い通りにする。それでは私も、心底嫌っている三枝と同じではないか。自分だけは、ああはなりたくないとずっと思って生きてきたのに。
私は認めざるを得なかった。結局、私も三枝の人間であり、穢れた人間に違いないのだ。
でも。それでもいい。私がどんなに穢れようが。それで佳奈多さんを守れるなら。
この学園で、2度目の春を迎えて。
今思うと、私の1年間は彼女のためにあったようなものだ。この学園の中でなら、佳奈多さんは普通の人間として生活できる。彼女にふつうの女の子として生きて欲しかった。だから私は、彼女が別の部屋に移りたいと言ったときも黙認した。三枝とは異なる、まともな人間と関わって欲しかったから。
彼女が私に笑いかけてくれることは無かったけど。
彼女が悲しまなければそれでいいから。
そんな時間がずっと続けばいいのに。
・・・・・・だが、どんなものにも終わりがあって、この世にはえいえんなんて何処にも無くて。
私の箱庭も唐突に終わりを迎えた。
急にサル山に呼ばれた私は、一方的にクビにされたのだ。彼女の『相手』が決まったから。彼女の学園生活も終わるから。
美しい時間が終わりを迎える。あとは、無惨な現実だけが待っている。
彼女の人生が終わる。
その日のうちに、私は彼女に伝えた。彼女はどんな反応をするのだろうか?・・・・・・私に彼女を慰めることができたらいいのに。
「佳奈多さん、『相手』が用意されているようです」
「・・・そう」
そんな状況であっても、彼女はただ葉留佳さんのことを考えていた。
「あなたの転校先に葉留佳が行くかもしれないわ」
「そうしたら、友達になってあげて」
「なぜ、あなたはそんなに葉留佳さんの事ばかり考えているんです!ご自分の幸せも考えてください!」
「・・・・・・考えているわ。私の幸せは、葉留佳が幸せでいること。それ以外には何も無い」
「――――っ!」
私は、悲しかったのだ。自分の中のうつくしいものが目の前で崩れていくのが。うつくしいものを守れなかったことが。
とても、悲しかったのだ。それなのに彼女は、彼女は。
「・・・・・・あなたの意志は、私の意志。あなたがそれを願うのであれば、仰せのままにいたしましょう」
「ありがとう。・・・・・・ごめんなさい」
「気にしないでください。・・・・・・では、さようなら」
もはや守ることができない。彼女へ降りかかるあらゆる災厄から。
この学園でしか。私の手が届く範囲でしか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私は、無力だ。
私が学園を去った後、色々なことがあった。修学旅行中でのバス事故。佳奈多さんの結婚披露。全ては終わったかのように思われた。そんな中、私のもとに手紙が届いた。
手紙には、写真が入っていた。
佳奈多さんと・・・・・・葉留佳さんの写真が。二人が並んで笑いあっている。
あそこまでして見たかった、佳奈多さんの笑顔が、そこにあった。
そこで、私は自分が泣いていることに気付いた。
さらに気付く。私が葉留佳さんを嫌っていた理由。私が彼女を独占しようと思わなかった理由。
はじめからわかっていたんだ。私では勝負にもならないと。
嬉しくて嬉しくて堪らないのに。
悲しくて悲しくて堪らなくて。
涙は私の頬を流れ続けた。
ただとめどなく、流れ続けた。