オレは、自分の筋肉で理樹を救えたことが嬉しかった。
自分の筋肉に自信が持てた。
自分の筋肉が誇らしかった。
だからオレは、油断していたのかもしれない。
この筋肉があれば、なんでもできるんだと。
一滴の涙 ユーイン
修学旅行へ向かうバスが事故にあい、その事故で入院してから、もうかなりの日数が経った。ケガが軽かった奴はどんどん退院していく。
気づけば退院していない奴は数えるくらいになっていた。
まぁ、リトルバスターズのメンバーが見舞いに来てくれるから退屈ってことはねぇんだが…
「……はぁ、筋トレできねぇのがつらいぜ…」
ぼそり、と屋上のベンチに腰かけながらぼやく。
病室は2人部屋。いくらオレでも親しくもない奴がいる部屋で筋トレをする気にはならないし、病院内だとどこでやっててもすぐに止められちまう。
「退院するころにはかなり鈍っちまうんだろうなー」
まぁ、それでも構わないって気もすっけどな。
筋トレができねぇのはつれぇけど、その程度のことで親友を助けることができたんだしな。むしろ嬉しいじゃねーかよ。
キィ
「んぁ?」
屋上の扉の開く音が聞こえ、オレは視線を扉の方に向ける。そこにいたのは見知らぬ小さな女の子。
クー公や来ヶ谷を知ってるオレとしては見た目で歳を当てることは不可能だが、そこにいる少女はクー公よりさらにちいせぇから年下だろうと思った。
「…………」
少女はオレを警戒してるのか扉のかげからじー、とこっちを見たまま動かない。
オレはオレで視線を外すタイミングを逃してヘタに動けなくなっていた。
「…………」
「…………」
見つめあった(警戒しあった?)ままどれだけ経ったのか分からないが、沈黙に耐えきれずオレは声をかけることにした。
「なぁ、入ってきたけりゃ入ればいいんじゃねぇか?」
「………いいの?」
「いや、別に確認する必要ねぇだろ。オレの部屋ってわけでもねぇんだし」
「……ありがとっ!」
少女はお礼を言って笑顔で屋上に入ってきた。と、思ったらなぜかオレの側にやってきた。
「隣、いい?」
「へっ?」
オレは辺りを見渡す。ベンチは別に1つだけじゃない。ならなぜわざわざオレの横に座ろうとするのか?
謎だ…
「そりゃ構わねぇが…」
「ありがとっ!」
何を考えてんのか分からねぇが、とりあえずオレは体をずらしてスペースをつくる。
少女はニコニコと笑いながらそのスペースに腰を下ろした。
「…………」
「…………」
さっきと似たような沈黙。
先に声を発したのは今度は少女の方だった。
「今日は、いい天気だね」
言われて空を見上げる。確かによく晴れていた。雲1つない……なんて言うんだっけな?前に謙吾から教えてもらったんだよな。えーっと、確か…
「そうだな。雲1つないカイハレだ」
「………」
な、なんだ?どうしてこいつは可哀想な筋肉でも見るような目でオレを見やがるんだ?
「え、と…きみ………きみ、名前は?」
「は?」
「だから名前」
「井ノ原真人だが…」
「真人ね。おそらくなんだけど、真人が言いたかったのはカイセイ、じゃないかな」
「へっ?」
「カイハレじゃなくてカイセイが正しい読み方だよ」
「な、なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」
おのれ謙吾!また騙しやがったなぁ!くっそぉぉぉぉ!!
「あははは、真人ってバカなんだ」
「なにぃ!?こいつは見た目通りの筋肉しか取り柄のない脳筋野郎とでも言いたげだなぁ!」
「うん、そうかも。だってすごい筋肉だよね。服の上からでも分かるもん」
「そ、そうか?…ありがとよ」
あれ?なんかごまかされたような……まぁ、いいか。
「あははは!真人って面白いね。わたしこんなに笑ったの久し振りだよ」
「そうかよ。そりゃよかったな」
「拗ねない拗ねない…っと、そろそろ時間切れ。わたしはもう戻るね」
「え?あ、あぁ、気をつけて戻れよ」
「階段から落っこちたり?あはは、わたしはそんなドジじゃないよ。でも心配してくれてありがとっ。それじゃ、またね」
言うだけ言って少女はベンチから立ち上がり、出口へと向かって歩いていく。
ったく、またねって言われても……あ、そういや、名前聞いてなかったな。
「そだ。すっかり言うの忘れてたけど、わたしの名前は……きみふうに名乗るなら、ユウナツ、かな」
オレの疑問に答えたかのように少女…ユウナツが名乗った。
「変わった名前だな」
「あはは、そだね。別に覚えなくてもいいよ。じゃねー」
ユウナツは笑顔で手を振りながら屋上から出ていく。
だけどオレには、その笑顔がなぜか泣いているように見えた……気がしたんだ。
次の日、オレは同じ時間に屋上に向かっていた。
とくに理由があったわけじゃない。ただ、昨日の別れ際の悲しげな笑顔が気になった…のか?いや、自分でもよく分からねぇ。
「あ、真人!来てくれたんだっ!」
屋上に出たオレをユウナツが出迎えてくれた。
いつから屋上に来ていたのか、オレには分からない。
それに、そんなことは聞かなくてもいいような気がした。
「まぁ、部屋にいたって暇だしな」
「あー、分かる分かる。暇だよねー。わたしは入院生活長いからさ、その辺の気持ちはよーく分かるよ」
「入院長いのか?その割には元気そうに見えるんだが…」
「あはっ、そう見える?確かに最近は体調がいいんだ。でも、少し前までは寝たきりだったんだよ?だからその暇だーって気持ち、よく分かるよ」
「そうか……入院、いつからしてんだ?」
「んー、小学6年の頃からだから、もう3年くらいかな」
さもなんでもないことのようにユウナツは言う。
オレは、なんと言っていいか分からずに、思いついた言葉を発した。
「……お前、腕ほっせぇな」
「え?…あー、まあ仕方ないよ。寝たきりだったし、そもそも元から筋肉とかなかったしね」
「ダメだぜそんな筋肉じゃ。もっとオレみたいに筋肉をつけてみろって。そうすりゃあっという間に退院できるぜ!」
オレはワハハと笑いながらユウナツの頭に手をおいた。
クー公より小さなその体は、それだけで壊れてしまいそうで少しだけ怖かった。
「えー、真人みたいになるのー?それは嫌だなー」
「ちっ、筋肉フレンドができるかと思って期待しちまったぜ」
「筋肉フレンドは絶対に嫌だけど、フレンドにならなってもいいよ」
「まっ、最初はただのフレンドでも構わねぇか。だがいつかお前にも筋肉の素晴らしさを教えてやるからな」
「あははは!余計なお世話だこのやろう!」
オレ達は大声で笑いあう。ユウナツが屋上から去る時間になるまでオレ達は他愛のない話で笑いあった。
だけど、屋上から去る時のユウナツの顔は、やっぱり悲しげに見えた。
次の日も同じ時間に屋上に向かい、ユウナツと笑いながら話した。
次の日も。
その次の日も。
次の日も、次の日も。
屋上へ向かうことが日課になっていた。
基本的にユウナツが自分のことを話すなく、オレが学校でやったことなんかを話すことがほとんどだった。
オレは話すこととかはあまり得意じゃなかったが、それでもユウナツは楽しそうに聞いてくれた。
「えー!真人って高2だったの!?」
「まぁな。だから敬語を使えよ」
「そんなの今更無理だよ。それに、わたし敬語って苦手だし」
そう言ってユウナツはあははと笑った。その笑顔を見たら確かに今更な気がした。
まぁ、敬語を使われたかったわけじゃないしな。むしろなぜオレが高2だと驚くのかが分からん。
「でもあれだね。真人って学校生活楽しんでるよね。そのりとる…ばすたーず?の、話をしてる時の真人すごい楽しそうだし」
「ん…あぁ、そうかもな。あいつらといると飽きねぇからよ」
「そっか…いいなー、楽しそうで羨ましいよ」
「確か今中3だろ?なら来年オレ達の学校にくるか?」
なんてな、と軽い気持ちで誘いながらユウナツを見ると、いつも別れ際に見せる悲しそうな表情を浮かべていた。
「なんでそんな顔してんだよ…」
オレの言葉にユウナツは静かに首を横に振る。
「ううん、なんでもないよ。でも、そうだね…行けたら、いいね。真人や…まだ会ったことないけど、他のみんなと一緒に、過ごせたらきっと……きっと、楽しいだろうね!」
「あぁ…楽しいぜ。絶対に。オレが保障してやるよ」
「いいよね、楽しい学校生活。わたしの夢なんだ!だからその中にわたしがいられたら……」
ユウナツはどこか遠くを見たまま語る。
なぁ、お前はオレに隠していることがあるんだよな?
その言葉を、オレはぐっ、と飲み込む。
ユウナツがなにも話さないなら、自分から聞くことじゃないと思ったからだ。
「あはっ、真人はやっぱり優しいね。そして今日は時間切れ。またね」
「あ、あぁ。まぁ、気ぃつけて戻れよ」
手を振りながら去っていくユウナツの背中が、扉の前で止まった。
「おう、どうかしたのか?」
「ド、ドアが開かなくて…」
「あん?どれどれ…」
近づいて扉を確認してみると、鍵がかかっていた。
外からかけられたわけじゃねぇな。多分整備不良かなんかで勝手に閉まっちまったみたいだな。
「ど、どうしよう…」
「へっ、心配すんなって!この程度の障害、オレの筋肉にかかれば…」
オレはユウナツに笑いかけてからドアノブを掴み―――
「うおらぁぁぁぁ!!!」
一気にドアを引っこ抜いた。
「ざっとこんなもんだぜ」
ユウナツを見ると、ポカーンとした表情でドアがあった場所とオレの持つドアを交互に見ていた。
ヤバ、いつものノリでやっちまった……さ、流石にやり過ぎたか?
「……あ、あは…あはは、あははは!な、なにこれ?ま、漫画?あは、あははは!ちょ、いくらなんでも、やり過ぎだって!あははははは!!」
「は、反省してます…」
「あはは、素直でよろしい!それじゃ、行くね。今日も本当にありかとっ!」
階段を下りていくユウナツを見送る―――が、ユウナツはまた立ち止まり、振り返った。
「ん?どうかしたか?」
「えとさ、もしかしてーっと思っただけなんだけど、真人携帯持ってたりしない?」
「は?そりゃ持ってるが…」
「……ドア壊さなくても、携帯で助け呼べたんじゃ…」
あっ………
「…………」
「…………」
「ぬぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「あはは!バーカっ!」
ユウナツは今度こそ立ち止まらずに去っていく。
別れ際に見せた表情は、いつもの悲しげものではなく、最後まで楽しそうに笑っていた。
オレはその笑顔が嬉しくて、明日会ったらまた笑わせてやろうと密かに思ったんだ。
それが、ユウナツに会った最後の日になると知らずに。
次の日、オレはいつも通りの時間に屋上に向かったが、ユウナツはまだ来ていなかった。
「珍しいな…」
そんなこともあるんだろうと先にベンチに座り、しばらく待っていたがユウナツは現れない。
「―――あの、きみが井ノ原くん、かな?」
部屋に戻る気にはならず待ち続けていると、1人の看護士がオレに話しかけてきた。
「彼女は来ないわ………亡くなったの、今朝早くに…」
……は?なに言ってんだ?死んだ?誰が?
「彼女が最近きみと仲がよかったのは知ってる。だけど詳しく話すことは出来ないの……ごめんなさい」
ちょ、ちょっと待ってくれ…まだ頭の中が整理できてねぇんだが…
「それでね、これを井ノ原くん渡してほしいって頼まれたの。本当に…最後の最後に…」
そう言って渡されたのは1枚の封筒。
オレは、聞きたいことがたくさんあったのに、それを受け取って立ち尽くすことしかできなかった。
「私は仕事があるからもう行きます。なんの説明も出来なくて、本当にごめんなさい」
看護士は1度頭を下げると振り返ることなく屋上から出ていった。
オレはなにも考えることができなくなり、ベンチに座り込んだ。
「……んだよそれ。またねって、言ってたじゃねぇか……」
ぼそりと、今はいなくなってしまった少女に文句を言う。
そこでようやく手の中の封筒の存在を思い出した。
「……読んでみっか」
慎重に封を開け、中身を確認する。
入っていたのは数枚の手紙。
オレは手紙を取り出し読みはじめた。
【こんにちわ真人。あ、こんばんわ?それともおはようかな?
まあ、挨拶なんて気持ちが伝わればそれでいいよね。
えーと、まずは最初に謝っておくね。この手紙を真人に送ってごめんなさい。
わたしは生まれつきの病気持ちだったの。いつ死んでしまってもおかしい病気。
でも勘違いしないでほしい。わたしはその事についてはなんとも思ってないの。
ただね、少しだけ…ほんの少しだけ、寂しかった。
学校なんてほとんど行かなかったから友達なんていなかったし、お父さんもお母さんも仕事が忙しくて、誰もお見舞いなんて来てくれなかった。
って、わたしの事なんて書いても仕方ないね。
えと、わたしが書きたかったのは感謝の気持ち。残された時間の中で、わたしを笑わせてくれてありがとっ!
真人と出会ってからの毎日は本当に楽しくて、わたしの人生で最高の時間だった。
真人はバカだけど、優しくて、話してると楽しくて楽しくて…嬉しかった。
だから、この手紙がいつまでも真人の手に渡らない事を願いながら書いています。
明日も、明後日も、できることならずっとずっと、真人と話すことが出来ますように。】
手紙はそこで終わっていた。
読み終えたオレは大きく息を吐く。
なんか、疲れちまったな…
読みなれない手紙を読んだせいか、それとも他の理由かは分からなかったが、オレは立ち上がることさえできず、ただ空を見上げ続けた。
「真人!…おい!真人!」
「……んぁ?」
どうやらオレはいつの間にか眠っていたらしい。
声のした方に目をやると、いつからそこにいたのか、謙吾がオレの肩を揺すっていた。
「まったく、どこをほっつき歩いているかと思えば、こんな所で昼寝とはな。いつも話している女の子とやらはどうした?愛想でもつかれたか?」
「……だったら、よかったんだけどよ」
「何かあったのか?」
「いや、なんでもねぇ…それより謙吾っちよ、今日はいい天気だな。こういうのをカイセイっつーんだよな」
「お前……本当に何があった。いいから話してみろ」
「…………」
オレは迷ったが、全部話すことにした。出会ってからのこと、今日いきなりの別れがあったこと、そして最後の手紙を受け取ったこと。
「なる程な…」
「……なぁ、謙吾。オレは今までこの筋肉があればなんでもできるって本気で思っていたが……筋肉じゃどうしようもないことがあったんだな」
「さてな。お前の気持ちはお前にしか分からん。お前の辛さはお前にしか分からん。お前の悲しみはお前にしか分からん」
「冷てぇじゃねぇか謙吾っちよー」
「真人よ、お前が俺に何を求めているか知らんが、俺に出来ることは辛さや悲しみを共有することじゃない。お前と共に馬鹿騒ぎをして、お前と共に笑いあうくらいしかしてやれない。それを踏まえて、お前が俺に望むものはなんだ?」
………そうだ、オレがあいつのためにしてやれることがあるなら、それは落ち込むことでも悲しむことでもないのかもしれない。
きっと、あいつの分まで、笑って生きていくことだ。
「おっしゃー!」
オレは立ち上がり、久しぶりのセリフを発した。
「筋肉筋肉〜!筋肉筋肉〜!!」
聞こえるか?
オレはバカであり続けるぜ。
お前の分まで笑っていられるように。
だから、オレの声は届いているか?
なぁ、友夏(ゆうか)。
「ん?真人、何か落ちたぞ」
「へ?」
言われて足元を見ると、そこには1枚の紙が落ちていた。
拾って確認してみると、それは友夏の手紙の続きだった。
どうやら封筒の中で引っかかっていたらしい。
オレは慌てて手紙に目を通した。
【だけど、もしもこの手紙を真人が受け取ったなら、最初で最後のわたしのお願いを聞いてほしい。
どうか、わたしのかわりに笑顔で過ごす日常を過ごしてください。真人ならきっとできるから。
手紙はこれで終わり。
さようなら。
ごめんなさい。
そして、本当にありがとう。
わたしの大好きな親友 真人へ。】
手紙を読み終えたオレは再びベンチに座り込む。
「…真人?」
「悪ぃ謙吾、ちょっとだけ、1人にさせてくれ」
「……あぁ、分かった」
謙吾が屋上から出ていくのを見てからオレは目を閉じる。
生まれたときから病におかされていた少女。
わずかな時間しか一緒にいることができなかった少女。
彼女の笑顔を思い浮かべながら、オレの意識は暗闇へと落ちていった。
オレ達は走っていた。
向かう先なんて知ったことじゃない。ただ、オレ達リトルバスターズが揃っていれば、その先にはみんなが笑っていられる未来があると確信しているから、オレ達は走りつづける。
ふと、足を止め後ろを振り返ると、そこには小さな少女がいた。
少女はオレを追い抜き、少し離れた場所で止まり、オレへと振り返ると―――
「真人!わたしの夢、叶えてくれてありがとっ!」
そう言って少女は笑顔で駆けだしていく。
オレはその少女の背中を見送り、一滴の涙を頬に流した。