高校時代のツレの岡崎から「演劇部の同窓会をやるから来い」などという簡潔極まりない電話をもらったのはつい先週のことだ。

 演劇部とは僕達が高校3年生の春に、古河渚という女の子に協力して立ち上げたものだ。
 渚ちゃんが頑張り、岡崎がそれを支え、僕が騒ぐ。約1ヶ月間という短い活動だったけどこれはこれで楽しい思い出の一つだった。高校を卒業して7年ほど経った今でもその時のことを思い出すことがあるのがその証拠だ。
 高校を卒業してすぐに岡崎と渚ちゃんは同棲を始め、しばらくして汐ちゃんという女の子を授かった。岡崎は愛する妻と愛する娘のためにせっせせっせと勤労に励む毎日を送っているそうだ。
 ぶっちゃけ、羨ましい。
 僕は今だに独り身、彼女ナシ。男一匹、薄給の窓際族である。
 ……あ、いかん、悲しくなってきた。

 と、ともかく!
 話を戻すことにしよう。うん。

 そう。問題は演劇部の同窓会である。
 自慢じゃないが、僕は生まれてこのかた「同窓会」などと言う体のいい合コンなんぞには一回も参加したことはない。決して、決して誘われなかったわけではない。
 硬派。
 そう、僕は硬派なのだ。
 ……まぁそれはともかくとして。
 高校時代の唯一の友人と言える岡崎朋也主催の同窓会ならば、いくらハードボイルドという概念が服を着て歩いているような僕、この春原陽平と言えども参加しないわけにはいくまいて。いや、はは、まいったなぁ(照れ照れ)

 そんなわけで、僕は7年ぶりに懐かしいこの街の空気を吸うことになったのだった。
 つーか、この暑さなんとかならんの、マジで。






春原スパイラル 〜お前がスパイラル〜






 しかし、久しぶりだ。
 前に来たのは汐ちゃんが生まれてすぐだったから、約5年前か。5年も経てば街は変わる。高校時代、暇な時間を潰したゲーセンや、喫茶店なんかも結構潰れてしまっている。代わりに洒落たブティックが建っていたり、妙にでかいドラッグストアなんかが建っていたりするのを見ると、心のどこかで寂しい気持ちがふつふつと生まれる。
 が、しかし。
 基本この街はのんびりとした街だ。所々は変わっていても、街のその雰囲気だけはまるで損なわれてはいない。
 僕は以前の記憶を辿りつつ、懐かしい街並みをのんびりと歩いていた。
 ……のんびり?
 時間は午後7時。流石に日も暮れてきた。ちなみに集合時間は午後6時半。簡単にいうと遅刻である。なのに僕はこうして余裕たっぷり。それは何故か?
 答えは簡単。それが僕の『キャラ』だからだ。
 春原と言えば、遅刻。
 遅刻と言えば、春原。
 そんな(どちらかと言うとありがたくない)アイデンティティを獲得していた僕だ。普通に時間通りに行動したのでは「あーら、あの春原さんも年には勝てないのね。丸くなっちゃって、がっかりだわ」などと若かりし頃の僕の虚像を今も胸に抱いた美女に落胆されるのは目に見えている。
 そんなことでいいのか?
 否!!
 というわけで、これだけの大遅刻でも僕は余裕たっぷりに歩いていかなくてはならないのだ。いわゆる一つのキャラ立ての一環である。流石、僕。行動一つ一つが深いぜ!
 決して、行きの電車の時間を間違えたわけではないのだ。そこのところ、一つよろしく頼む。

 会場は岡崎邸である。
 近所の子供達に幽霊屋敷と呼ばれても決して文句は言えないであろう年季の入った古き良きボロ・アパートメントだったはずだ――と、岡崎に知られたら極めて陰惨な折檻を食らいそうなことを考えているうちに、そのボロアパートに着いた。あいつの部屋は確か2階にあったはず。錆び付いた階段を、カンカンカンと調子よく上がる。時々ギシギシと極力聞きたくない破滅の音が混じるが、そこはスルー。頼むから修理してくれ大家さん。
 さてさて。
 岡崎家のドアの前に立つハードボイルド、その名も春原陽平。極めてクールにニヒルに決めたいところだぜ!
 ドアを開けた時の決め台詞を何通りか考えつつノックする。
 空振る。
「入ってくんならさっさと入ってきなさいよこのヘタレッ!!」
 突然開けられたドアの向こうからそんな言葉を投げかけられたのと、昔懐かしい飛来する辞書が僕の顔にめり込んだのはほぼ同時。
 音にして表すと、

 ヒュン!(辞書の飛ぶ音)
 メキャッ!!(辞書が僕の顔にめり込む音)
 ドシャッ!! ガンガラガッシャーーーン!!(僕が階段を転げ落ちる音)

 こんな感じである。

「杏、勢いあまって殺さないようにな」
「キャハハハッ!! 大丈夫よ! だって陽平だしさっ」
「まぁそれもそうか」
「お姉ちゃん、お料理冷めちゃうよ?」
「みなさーん、熱燗できましたよー」
「「「おお〜〜」」」
「……って誰も僕の心配はしないんですかねぇ!?」
「相変わらず復活早いのな、お前」

 高校時代、強制的に鍛えられたタフさは7年の時を経た今尚健在だった。


「で? なんで杏達がここにいるんだよ?」
すっ(辞書を振りかぶる音)
さぁっ(僕の顔の血の気が引く音)
「……で、何故に、美しくいまだに高校時代の若さを保った杏様達がここ、演劇部の同窓会という場にいらっしゃるのでしょうか?」
 なけなしのプライドをかなぐり捨てて平伏した。
「ていうか今日の企画の発案者はこいつなんだよ。久しぶりに春原の馬鹿面でも見ようって」
 岡崎が熱燗をちびりちびりと飲みながら答えた。
「やっぱりこういうことは大勢でやったほうが楽しいですからっ」
 渚ちゃんが岡崎の隣でフォローを入れる。
「そうよぉ、このア・タ・シが呼んでやったんだから感謝しなさいよねーっ」
 杏はなみなみと焼酎の注がれたコップを片手に、完全に出来上がっていた。
「春原さん、お久しぶりです」
 椋ちゃんは相変わらずだ。
「……ったく、僕は有能だから忙しいんだぜ。仕事場ではいつも引っ張りだこなんだ」
「何ヌカしてやがんだてめー、電話かけたら真昼間からグースカ寝てたくせしやがって。どーせ普段からあんなんなんだろ?」
「この前は休みだったんだよっ!!」
 僕の名誉にかけて反論した。
 渚ちゃんがくすくすと苦笑している。
 杏が「見栄はんなーっ」とすっかりノリノリ。
 椋ちゃんはそんな自分の姉の痴態にオロオロ。
 全く、こいつら4人は相変わらずだなぁ。
 ん? 4人?
「お? どうしたよ?」
「汐ちゃんは? いないみたいだけど」
「ああ、汐は渚の実家に預けてあるよ。……この家が戦場と化すのは最初からわかってたからな」
 岡崎はちらりと杏を見ながら言った。
 なるほど。間違いない。
 確か杏は汐ちゃんが通っている幼稚園の先生をやってるはずだ。先生のこんな姿を見せられるのは幼児期の子供の教育には極めて悪影響だと言えるだろう。
 そんな僕の視線に気づいたのか、杏が座った目を此方に向ける。
 ……キョワイ(ビクビク)
「……んん〜〜〜!? 陽平〜なに見てんのよぅ」
「め、滅相もないっす」
 あからさまにびびる僕を見て、にんまりとイヤな笑顔を浮かべる大怪獣・杏。
「ふふふ……まぁ陽平。いいから呑みなさいよ。久しぶりにあったんだしさ」
 そんなことを言いながら杏がドスンッと僕の前に置いたのは、コンビニで売っているようなやっすい焼酎の瓶(内容量推定1.5リットル)
「きょ、杏さんちょっとこれ多いんとちゃいまっか?」
 恐る恐る杏さんに聞いてみる。
 そして、今までに見たことがないような杏withダイヤモンドスマイル(15カラット)
「呑め」
「はい?」
「呑まんかい」
 合掌。
 どうやら出来上がった杏の脳内にはアルハラ(アルコール・ハラスメントの略だ。未成年は、というか良識ある大人は真似しちゃ駄目だぞっ! 僕との約束だっ!)という言葉は存在しないらしい。
 杏は正に「わたしのお酒が呑めんのか? ああん?」という目でこっちをギロギロと睨んでいる。
 一縷の望みに縋って周りに助けを求めるも、岡崎はすっと目を逸らしやがるし、渚ちゃんは遠巻きに苦笑するばかり。椋ちゃんに至っては、何故か一人でポン酒をカップでぐびぐびと呷っている。
 色々な意味で、地獄絵図だった。
 アーメン。
 僕は心の中で十字架を切りつつ、今日という夜を無事に過ごすことを諦めた。
 ええい、ままよ!

「よーしッ! そこまで言うなら僕の生き様見さらせッ!!」

 瓶を片手に立ち上がり、雄叫びを上げた。
 周囲からは「おお〜」と感嘆の声が漏れる。
 事、ここに至れり。
 もう迷いなどはない。
 ……後悔はそれこそ山ほどあるけどねっ(涙)

 ごきゅごきゅごきゅと気持ち悪い音が僕の喉から響くたびに、僕の意識は段々と遠のいていった。


 宴は、まだ始まったばかりだった(ご愁傷様)


    ☆   ☆   ☆


 トントンと包丁がまな板を叩く音で目を覚ました。
 ここ、どこだ?
 う〜ん、昨日の夜の記憶が途中までしかない。頭がズキズキ痛む。二日酔いなんて久しぶりだなぁ。身体を起こしてみるがまだ気持ち悪い。

「お、坊主。目ぇ覚ましたか」

 いきなりガラッと扉が開いて、無遠慮にぬっと現れた咥えタバコの長身の男。年は……よくわからない。結構若そう(というかガラが悪そう)には見えるけど。
 なんか見たことある気がするんだけど……うーん、誰だっけ?
「失礼っすけど、どなたでしたっけ?」
 素直に聞いてみることにした。
「なにぃっ!俺様のことを知らないだとぅっ!」
 途端にこのガラの悪そうな男の目付きがさらにキツくなる。
 僕の多彩な経験で培った第六感がビーヨンビーヨンと最大音量で警報を鳴らした。
 ヤバイ……
 こいつヤバイよ……
 どうするっ!
 どうする僕っ!?
「え……あ、いや……あの……どっかで会ったことありましたっけ……?」
「はっは。どっかで会ったどころじゃねぇよ。もう既に俺様とお前は互いの○○○を確かめ合った仲じゃねぇか」
 ※○○○には好きな言葉を入れてください。
「えっ!?それ、マジっ!?」
「おうよ。マジもマジ。大マジだぜ」
「そんな……」
 なんてこった。
 どうやら僕は、こんな目付きの悪いオッサンにこの年まで守り通してきた貞操を奪われてしまったらしい。
「もうお嫁にいけない……」
「ま、人生そんなこともあるさ」
 ぽんと肩に手を置いて慰められた。
「普通、無いよ……」
 そんな慰めは無用だった。

「あ、お目覚めになったんですね。おはようございます」

 後ろから声がした。
 振り返ると、長い髪を後ろで結んだエプロン姿のかなり綺麗な女の人だ。
 ヤバイ……
 当然だがこのオッサンとは別の意味でヤバイ。
 僕、ドキドキしてきちゃったよ。
 ……ん?
 でも……この人も昔会った事があるような……
「おはようございます。あの、前に僕と会ったことってありました?」
「はい。春原さんですよね?朋也さんと渚がいつもお世話になってます」
「あ……どうも……」
 頭を下げられたので反射的にこちらも頭を下げる。
 ……ん?
 「渚」?
「ひょっとして、渚ちゃんのお姉さんっすか?」
「あらあら。いえいえ。渚の母の早苗です」
「えっ!? ……ってことはこちらは……」
「SM○Pの木○拓也だ」
「渚の父の秋生です」
 オッサンの代わりに早苗さんが答えていた。
 僕の脳内ではもう既に早苗さんは早苗さんだ。
 とても「おばさん」とは呼べない。というかどう見ても「祖母」には見えない。世の中不思議な事でいっぱいだ。
 その代わりと言ってはなんだが、こっちのおっさんは何の疑問も無くオッサンだ。まぁ僕には及ばないけどカッコいい部類の人ではあるが。
 しかし、見事なまでに昨夜の記憶が無い。
「しかし……僕はなぜここにいるんですかねぇ……?」
「○原と○沢の代わりに俺とツートップを組んでW杯を制覇するために決まっているだろうが」
「いや、もうそれ終わったし」
「あら、昨日のことは覚えていらっしゃらないんですか?」
 オッサンの答えは当然の如くスルーして、早苗さんから昨日の顛末を聞いた。
 それによると、どうやら酔った僕が宴会の途中で「可愛い可愛い汐ちゃんに会いたいよぅ」と言ったところ、岡崎も何故か同調し「マイプリティドーター汐っ! 今父さんが行くぞっ!」とか言って家を飛び出し、この渚ちゃんの実家にに向かったらしい。んで、結局全員古河家に移動してオッサンたちも交えて二次会に突入、僕はその途中で潰れた……らしい。
 僕の昨日の武勇伝を一つ一つ早苗さんの眩しい笑顔で伝えられると流石に冷や汗が出た。早苗さんの笑顔が「エエ年こいてお前ら何やっとんじゃ、ああん?」と言っているように見えてしょうがない。
「………………ご迷惑おかけしました」
 へへぇ〜と這いつくばる。
 高校時代「キング・オブ・ヘタレ」の名を欲しいままにした、もはや芸術の域に達した土下座を披露した。
 なんと言うか、嬉しくない称号だった。
「いえいえ、いいんですよ。若い人はあれぐらい元気じゃないと」
「あっちのほうも元気だったしなっ!」
 オッサン、あんたのはフォローじゃない。
 微妙に早苗さんの笑顔が引きつっている。
 僕はもう一度へへぇ〜と這いつくばった。


    ☆   ☆   ☆


 結局あの後早苗さんには朝飯まで作ってもらった。
 岡崎は急な仕事で今朝早くに出かけたらしい。痛む頭をかかえてウンウン言いながら家を出たそうだ。ご愁傷様。渚ちゃんもファミレスのバイトで家を出ている。椋ちゃんは病院に出勤。昨日色々な意味で大暴れした杏は元渚ちゃんの部屋でまだ寝ているそうだ。
 「杏先生は普段から大変そうですから……」とは早苗さんの言葉。保母さんてのも、大変なんだろうなぁと今はしみじみ思う。なぜなら今僕は――

「かった。すのはらのおじちゃんの、おに」
「いーち、にーぃ、さーん…………」

 汐ちゃんの一日限定保父さんをやっているからなのだ。

「もし、お暇なら汐ちゃんと遊んであげてくれませんか?」
 朝飯食ってる時に早苗さんにこう言われた。
 どうやら今日は皆忙しいらしい。早苗さんは家でやってる学習塾の旅行、オッサンはパン屋の仕入れだそうだ。で、家に誰もいなくなってしまうから、誰か手の空いている人間、ということで僕に頼むことにしたらしい。確かに仕事は明後日まで休みをとったし、岡崎が仕事に行ったことで今日は何もすることがなくなったのも事実。当初は杏に頼むはずだったらしいのだが、あいつは生憎ダウンしている。
 僕が汐ちゃんの子守りしてると知ったら、岡崎は何て言うかねぇ……とか思うと微妙に楽しくなってくる。
 しかし、おじちゃんてなんだ、おじちゃんて。
 まだ僕は20代だっつーの。

 汐ちゃんは外見に似合わずかなり活発な子だった。よく走るし、よく遊ぶ。実はかくれんぼの前におにごっこをしたのだが、たった15分やっただけで僕はダウンした。
 マジ無理っす。
 きっと身体的なスペックは岡崎譲りだ。渚ちゃんだったら絶対こうはいかない。かくれんぼをしても僕がどこに隠れてもすぐに見つけるし、逆に汐ちゃんが隠れると僕は見つけられない。
 もしかして僕、頭悪いですか?
 5歳児にいいようにあしらわれる24歳独身彼女なし。
 ……やっべぇ。
 負けてらんねぇ。
 久しぶりに萌えて、もとい燃えてきたぜ!
 なぜか脳内で、汐ちゃんが挑発的に「どっからでもかかってこいや」的なオーラを醸し出しながら、カモンカモンと僕を勝負に誘う映像が見えた。
 そう。
 僕には負けられない理由があるのだ。
 数分前――

「すのはらのおじちゃん、こんどはかくれんぼ、しよ?」
「……はぁ……はぁ……いいよ……」
 息整えるのに必死でそれどころじゃなかった。
 マジでこの子、ありえない体力だよ……
 そんな僕を見ながら、汐ちゃんがこんなことを言った。
「すのはらのおじちゃん、よわいからこんど負けたら、ばつゲームね」
「……へっ!?」
「ばつゲーム……なんにしようかなぁ……?」
 驚く僕を置いてけぼりに、うむむむむと考え込む汐ちゃん。
「……決めた」
 決めたらしい。
 幼い顔の(というか実際幼い)彼女には似合わないほどにどす黒いオーラを醸し出す魔性の笑み。

 ぶるっ

 俯いたその顔を覗き見た僕は思わず戦慄する。
 あれはっ!
 間違いない、あれは!
 岡崎が何か悪戯する時の顔だっ!
 親子!
 親子がここにいますよぅ!
 軽く杏のニヤリ顔にも見えるところがまた怖い!
 あいつの教育ぶりが怖いよぅ!

 そう。
 僕は愚かにもこの時初めて気づいたのだ。
 この子は。
 岡崎朋也との遺伝子と学園最凶の女・藤林杏の教育をその身に受けた類稀なるサラブレッドだったのだ!
 英才教育もいいとこだよ。
 彼女の口が開くのを待つしかない僕にたった一つだけできることは、岡崎汐を構成する遺伝子の中の出来るだけ多くの割合を渚ちゃんの遺伝子が占めていることを祈ることだけだった。
「……えっとね、まず――」


「ひゃくっ!!」

 ようやく百数え終わった。
 こんなにも強く「時間よ、過ぎろ!」と思ったのは久しぶりかもしれない。
 しかし、ここからは逆だ。
 制限時間15分以内に汐ちゃんを見つけられなかったら、僕の負けだ。
 時間よ、止まれ!
 汐ちゃんを見つけられないまま公園の中心にある時計が2時ちょうどを指した時、僕の運命は終わる。
 終わるのだ。
 なんとしても。
 なんとしても見つけないと!
 汐ちゃんが提示した罰ゲームの内容は概ねこんな感じだった。

「まず、とうがらしとわさびと、ひちみにらーゆなどなどをたっぷりたっぷりまぜたおかゆをつくるの。それで、できたら、あっきーのおうちで杏せんせいがねてるから、それをもっていてあげるの」

 ごくっ

 自分のつばを飲む音が異様に大きく聞こえる。

「……で?」
「杏せんせいにそれをたべさせてあげるの。杏せんせいの目も覚めるし、いっせきにちょう」

 鬼。
 鬼がここにいます。
 どうやらこの子の中の渚ちゃんの遺伝子には、容姿以上のものは期待しないほうが良さそうだ。
 しかし……
 これは、ヤバイですよ?
「……へ、へぇ〜」
 あ、やべ、声裏返った。
「どうする? やめる?」
 汐ちゃんが何の感情も読み取れない表情で聞いてくる。
 しかし、この僕が。
 この春原陽平が。
 この程度のことでイモ引いて逃げ出すわけにはいかない。
 狂気の沙汰ほど、面白い。
 赤信号もみんなで渡れば怖くないのだ(?)
「……ふ、ふ〜ん、面白そうジャン」
 うんうん。
 汐ちゃんが満足したように頷く。
 というかこの子、杏になにか恨みでもあるのか?

 ……

 ………

 …………

 というわけで、この戦いは負けるわけにはいかないのだ。
 汐ちゃんならともかく(それもどうかと思うがな)僕がそんなことをしでかした日にゃ、生きて明日の朝日を拝めるかどうかすら怪しい。
 ギラリと戦場となった公園を見渡す。この公園はまずまず広い。人数さえいれば野球でも出来そうだ。隠れるための茂みや遊具にも事欠かない。
 くっ
 早まったかな……?
 しかし後悔しても始まらない。
 賽は投げられたのだ。

 とりあえず汐ちゃんが隠れられそうな場所を軽くピックアップする。
 隅の茂み。
 公衆トイレ。
 砂場。
 そのすぐ側にある遊具。
 隅のほうに何本か立っている木。
 こんなところか……

 しかし、行動の指針が無いな。このまま闇雲に探しても残り時間は少ない。
 聞き込みでもするか……?
 公園の中ではいつ頃来たのか、親子がキャッチボールをしている。小学生くらいの女の子が2、3人でブランコに乗っている。男の子の集団がサッカーをしている。
 こんな公園で子供達ににこやかに声をかける僕。いくら僕が図抜けたイケメンとは言え(?)、不審者の謗りは免れまい。
 しかし、背に腹は代えられないし、死んだら最後、この世界にドラゴンボールは存在しないのだ。
 しょうがねぇ。
 一人ずつあたってみることにした。
「ねぇねぇこの公園で5歳くらいの女の子見なかった?」
「えー見てなーい」
「知らない。ところでおじさん、どこの人?」
 ちっ
 こりゃきりがないな……
 そうこうしている間に残り時間は10分をきった。
 僕は考える。
 僕があの子なら、どうする……?
 僕が行きそうに無いところ……

 はっ――!!
 
 僕は閃いた。
 そうだ、あそこなら!
 考えるやいなや、僕はその場所に走り出した。

 茂みの中や遊具の中、そんなところに隠れたらどんなボンクラでも15分くらいあれば見つけることができる。
 僕は分かっている。汐ちゃんはそんなところには隠れない。彼女はその愛らしい外見ほど甘い子ではない。彼女はもっと想像を絶するところに隠れているに違いないのだ。
 というわけで僕は公衆便所の入り口の前にたどり着いた。
 そうなのだ。
 確かに公衆便所など隠れる場所としては真っ先に思いつきそうな場所だ。
 しかし、隠れる場所が男子トイレだったとしたらどうだ? いくらなんでも5歳の女の子が勝負がかかっているとはいえ男子便所になど入るわけがない。その心理的盲点をあの子は確実に突いてくる。
「……ふっ」
 勝利を確信した僕は、ついに男子トイレ個室の前に立った。
 いるいる……
 確実に人のいる気配がするぜ……
「くっくっく……僕とやり合うのは約20年ほど早かったようだねぇ……」
 勝ち誇って僕はそのドアを開けた。
 瞬間。
 目に飛び込んできたのは――

「……う○こ?」

 ガタイの良い男が、自ら精製した物体と和式便所で格闘している姿だった。
 当然といえば当然すぎる目の前の光景に、僕とその男は完全にフリーズ。
 2秒後。
 とりあえず扉を閉めて、僕は全速力でその便所から離脱を図った。
 簡単に言うと、逃げた。

「ひぃぃぃぃぃ――――――っ!!!!」

 お約束の悲鳴をあげながら。


 ……はぁ……はぁ……しかし、エライ目にあった。
 チクショウ、あの男小汚いモノを見せやがって(見たのはアンタが悪いのです)
 とりあえず公園の入り口に身を潜め、トイレの男が公園から出て行ったのを見届けてから公園内に入った。
 勝負は余裕で僕の負けは確定した。
 そして、僕のこれからの運命もある程度確定した。
「おーーい、汐ちゃーん、僕の負けだよーーぅ」
 呼んでみる。
 ふと後ろの服をくいっくいっと引っ張る力を感じた。
 振り返る。
「……ん?」
 さっきのキャッチボールをしてた親子の子供のほうじゃないか……って……あれ?
 この子は……もしかして……?

「わたし。うしお」
「ええぇぇぇぇぇっ!?」

 マジかよ……!?
 汐ちゃんはご丁寧に服までボーイッシュなTシャツとジーンズに変わっていた。勿論帽子も被っていたので傍目から見たら完全に男の子だ。
「ってことはそっちのお父さんは……」
「はっはっは。俺様だ」
 渚ちゃんの親父さん、もしくは汐ちゃんの祖父。
 つまり今朝のオッサンだった。
 オッサンは愉快で愉快でしょうがないぜ、とでも言うようなとっても晴れやかな笑顔でかなり深めに被った帽子を脱いだ。
「嵌められた……」
「よぅ。中々面白かったぜ、お兄ちゃん」
「……どっからどこまでが計算どおりだったんすか?」
「いや、俺は何も知らなかったぜ。汐がグローブとボール持ってたからキャッチボールしてただけだ。話を聞いたのはお前さんがトイレからエライ顔して走ってった後だな。まぁ朋也の奴に『今日は春原ってやつに遊んでもらってくれ』って言われた後からなんか準備してたみたいだったがな」
 ガックリと地面に膝をつき、うな垂れる。
 つまり、全ては汐ちゃんの計算どおりだったのだ。
 かくれんぼで勝負を持ちかけるタイミング。オッサンが仕入れから帰ってくる時間、そしてその後の行動。僕が百まで数えている間にトイレにあらかじめ設置しておいた服とグローブとボール。僕が公園内を右往左往しているのを悠々とキャッチボールをしながら観察して、ほくそ笑んでいたに違いない。
「なんて末恐ろしい子だ……」
 トントン。
 肩を叩かれる。
 にこにこーっ
 汐ちゃんは、まるで春の太陽のような笑顔だった。

「すのはらのおじちゃん、ばつゲーム」
「……………………………はい」


    ☆   ☆   ☆


 と、いうわけでここにアルテマウェポン、爆 誕 。
 心なしか異様な雰囲気を醸し出している。
 しかしそこはそれ、配色などは汐ちゃん、おっさん、僕の3人の工夫で完璧だ。
 ……いや、実際、こんな祖父と孫、どうなのよ? と思わずにいられない。
 こんな罰ゲームを素直に実行してる僕ってどうなのよ? とは考えないことにした。

 運命の扉の前に立つ。
 少し躊躇する。
 僕は、本当にこんなことをするのか?
 やらなくちゃいけないのか?
 振り返ると汐ちゃんとオッサンが行け行けゴーゴーと合図していた。
 ……いや、実際、こんな祖父と孫、どうなのよ?

 トントン。
 ノックする。

「杏、入るぞ」

 入る。
 杏はまだウンウン言いながら寝ていた。
 それは高校生時代には決して見ることのできなかった杏の無防備な姿。
 僕の心の中で天使と悪魔が闘っている。

天使春原 「やっぱり駄目だよ。こんなこといけないよ。杏がかわいそうだよ」
悪魔春原 「ぐっふっふ……何良い子ぶってんだよ。今こそ積年の恨みを晴らす時じゃねぇか……
      こいつにゃ高校生の時は顔の形が変わるほど辞書をぶつけられただろ?」
天使春原 「そりゃそうだけど」
悪魔春原 「正直になれよ……本当はお前も見たいんだろ?
      こいつが苦しみ悶えヒィヒィ言いながらのたうち回る姿をさ……」
天使春原 「……………………………うん」

 天使春原、撃沈。
 ふっふっふ……杏……ヒィヒィ言わせてやるぜ!(ポジティブ)
「杏、杏……ほら、起きろよ……」
 ゆっさゆっさ。
 少し強めに揺すってやる。
「……う……うーん……なによぅ……」
「杏、飯作ってきたぜ。腹減っただろ……?」
 「飯」という言葉にかすかに反応する杏。
「……うー、お腹減った……って、陽平……?」
 僕が飯を運んできたことに少々驚いている様子の杏。
「これ……もしかして、アンタが作ってくれたの……?」
「あ、ああ。まぁね……」
 ギクッとしたが、そこはそれ。
 パカッと、地獄の釜の蓋を開けた。
 見た感じ、旨そうだ。
 あくまで、見た感じ、だ。
「おかゆかぁ……美味しそうじゃない。ありがとね、陽平」
「ああ……よく噛んで食べろよ……」
 ぐっふっふ、と心の中で下卑た笑みが漏れる。
 と、同時に心の中で、十字を切る。アーメン。

 そして期待と絶望をないまぜにして、背後で走り去る二つの足音をBGMに、ゆっくりとオッサン&汐ちゃん&僕特製・人間の限界を超えた超激辛おかゆが今、かつては学園最狂と謳われた藤林杏の艶かしくも面妖な唇を通過して、いざその常闇の胃袋へ――!























 とりあえず、結果だけ書いておくことにしよう。






















 入院した。























 僕、仕事、行けねっす。





(終われ!)




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