とりあえず、ここ数日間の水瀬家での生活を経て、名雪についてはいくつか理解したことがある。

 一つ目。
 名雪はとんでもないレベルの寝ぼすけだ。
 俺はあれだけの数の目覚まし時計と言う名の騒音兵器に囲まれたら3秒だって我慢できやしない。あの轟音 の中で威風堂々と「く〜」と朝の惰眠を貪り食っている名雪は、冬眠中のクマか、はたまた某国民的アニメに 出演しているあやとりと射撃と居眠りが特技の眼鏡の少年か。
 とにかくそんなわけで俺の朝は名雪の部屋の目覚まし時計を止めることから始まるのだ。

 二つ目。
 名雪は意外と足が速い。
 普段のあののんびりとした様子からはとても想像できないが、なんでも陸上部の部長を務めているそうで、 ウチの高校で中距離のエースと言えば名雪のことらしいのだ。
 きっと毎朝の強制的な早朝ランニングの成果なのだろうと、俺は毎朝名雪と学校までの道をダッシュしながら 考えている。

 三つ目、実はこれが一番の問題なのだが――

 名雪は生徒の間で非常に人望が厚い、ということだ。
 名雪の基本おっとりした性格上、委員長みたいにリーダーシップをとって頑張る、というようなことではな いのだが、とにかく男子からも女子からも信頼されているのが伺える。
 名雪の人望のおかげでどこに出ても恥かしい転校生である俺もなんとかクラスに溶け込めているのだが、最 近になって辟易していることがある。











乖離











「相沢、お前水瀬さんとどういう関係なんだよ」

 これだ。
 最初の内こそ、単なるゴシップ好きの野次馬根性と言った手合いばかりで扱いも比較的楽だったのだが、 最近はちょっとシリアス入った連中――主に男子だが――がこの話題を口にするから始末が悪い。
 つまり連中の言いたい事を分かりやすく日本語訳すると「僕、水瀬さんが好きなんだけど、最近転校してき た男と同居してるっていうじゃないか。男と女が一つ屋根の下で……いや〜んな関係になってないか確かめな いと僕チン夜も眠れないよぅ」という感じになるだろうか。
 勿論そんな手合いに対して俺は「そんなことはございませんよ、ご安心下さい」と丁重にお引取り願ってい るのだが、その数が約2週間で5、6人ともなるとさすがにその対応にも疲れが見えてくるってもんだ。
 こんなことは名雪にも秋子さんにも相談できないし。

「で、消去法で私にところに来たわけね」
「そういうこと」

 俺の目の前にいる女生徒――美坂香里はいつでも凛々しい。
 掃除当番でたまたま一緒になったが、名雪の紹介で学校初日に話していることもあり、すんなり友好関係が 結べた。
 最初の印象は「キッツイ女」だったが、多少話してみると意外にアネゴ肌で、相談を持ちかけるにはもって こいの相手だ。
 香里は当番になっている廊下を箒でパッパッとぞんざいに掃きながら俺の話を聞いている。

「ま、あの子見た目も中身も可愛いし、相沢くんがそんな状況になるのも無理はないわね。一種の有名料だと 思って諦めたら?」
「そういうわけにもいかねぇって。その内俺の机の前に恋のキューピッド依頼の列が並ぶことになるぜ」
「おかげで助かってるわよ。相沢くんが来てくれたおかげでわたしにかかる負担はかなり減ったから」
「むぅ……」

 唸る俺とは対照的にカラカラと愉快そうに笑う香里。
 まったく、こっちは真剣に悩んでるのに。
 相談する相手を間違えたかなと本気で俺が思い始めた時、香里は何か面白いことを思いついたような瞳で 悪戯っぽく言った。

「そんなに鬱陶しいなら、相沢くんが本当に名雪と付き合っちゃえばいいのよ。そしたら周囲に大っぴらに宣 伝できて、そんな輩が来ることもなくなるし、相沢くんも名雪と付き合えて嬉しい。一石二鳥じゃない」

 俺は途端に飲んでいたコーヒー牛乳でムセた。
 口に含んでいた水分を全て香里の顔面にぶちまけそうになったが、そこは気合で回避。
 香里が白々しく「大丈夫?」などと聞いてくるが目は完全に笑っている。

「……冗談止めてくれ」
「あら、じゃあ相沢くんは名雪と付き合うの嫌なんだ?」

 満面の笑みでこっちを眺めている香里を見て、今度こそ相談する相手間違えたと、かなり後悔した。
 香里の目は笑っているようで、その実、こちらの思っていることの大半を見透かしているのではないか、と も思えた。
 そんな相手に絡まれるのは、なんとも分の悪い話だ。

「そういうわけじゃ……ないけどさ」

 そういうわけじゃないんだけど。
 そう言った俺の頭に浮かんできたのは、従姉妹の名雪ではなく、俺の夢の中に出てくる背中に羽を付けた少 女だった。
 話はそこで途切れ、俺は彼女が集めたゴミをちりとりで集め、空になったコーヒー牛乳のパックと一緒にゴ ミ箱に放り込んだ。
 ならいいじゃない、と言って香里は使っていた箒を掃除用具入れに放った。


 香里とは掃除が終わったらすぐ別れた。
 「ま、頑張んなさい」と何か含みのある顔で言われたが、結局実りのある話は出来なかったな。

 俺は最近やっと通いなれてきた道を一人、歩いている。
 このまま直で家に帰るのもなんだか芸がない気がして、商店街の方に寄ってから帰ることにした。
 商店街は通学路のすぐ側にあり、学校帰りに寄り道するには絶好の場所だ。
 とは言うものの、俺の前に住んでいたところとは違って、カラオケやらゲーセンやら若者が暇を潰せそうな 施設はほとんどない。人通りは多少あるのだが。

 商店街は「あの日」と同じような夕焼けに赤く、赤く染められていた。

 特に目的があるわけでもなく、ただ単純にブラブラするだけ。
 ぶらついたついでに、この前名雪に案内してもらったCDショップに立ち寄る。
 店内はそう広くもなく、適当に2、3曲試聴してその店を後にした。

 何かが足りない。
 今俺にはあるべきはずだったものがない。
 商店街を一人で歩くたびに、そう感じた。
 一体何が。
 自問自答してみるが、答えの分かりきった問いほどつまらないものはない。
 電柱に付いているスピーカーからはよく分からないちょっと古めの海外の曲が流れていた。

 ふと立ち止まる。
 もうここは商店街の出口だった。
 特に何があったわけでもない。
 こんな所で立ち止まらずに、さっさと家に帰るはずだった。

 だが。
 こんな夕焼けの綺麗な時に、
 背中の羽を快活に揺らしながら、
 彼女は、
 俺の心に踏み入ってきたのだ。

 ――ここは、
 俺と彼女が再会した場所だったから。

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