ぼくのいやなこと      翔菜



−ある夏の日1−


 夏の空を白球が駆け上がっていく。
 少し前で守っていた右翼手が一歩二歩と後ろへ下がる。
 定位置より一歩半後ろの位置で止まり、下降を始めた打球を捕るために構えた。予測される落下点は二歩前だ。
 正午過ぎの太陽は眼球を、網膜を、視神経を。焦がさんとばかりに鋭く熱い光を放っていたが、ボールからは決して目を逸らさない。
 サードランナーはどうするか。ある程度は知っていた。どちらかと言えば足の速い選手だ。けれど。決して浅いフライではないが、肩には自信がある。向こうもそれくらいの事はわかっているだろう。
 十中八九、タイミングとしては際どくなる。それでも、僅かにこちらが分はいいと判断する。ランナーは2・3塁。セカンドランナーは名前を聞いた事もない選手だったが、この試合で見る限り足は速い。鋭い当たりでなければ単打で還れるだろう。
 最終回。一点差。ワンアウト。ツーアウトから次の打者に賭けて来るか。試合終了のリスクを負ってでもここで同点にしようとするか。

 刹那に脳を走り抜けた思考には意味はない。

 ただ冷静に対処するために、状況を整理しただけだった。
 四の五の言わず全力でバックホームすればいい。タッチアップするか否かなどどうでもいい。
 動かなければ動かなかったでいいし、ベースを蹴ったなら刺してやるだけだ。 
 地を駆けながら、白球をグラブに収める。幾百幾千の練習で慣れきった硬球の衝撃を左手に残し、つけた勢いも使って右腕を理想的なフォームで振り切った。

 ホームベースで構える捕手のミットにワンバウンドでのストライク返球。
 既に足から突っ込んでいたサードランナーと交錯する。正面からブロックの隙間に滑り込ませるのではなく、横から掠め取るようにホームベースへと腕を伸ばす。
 その指先はホームベースに届き、そして、


  *


 肌寒くなってきた晩秋の空気を引き裂き、空を白球が駆け抜ける。強烈なライナーは、しかしファールだ。
 直球を待って早く振ったのだろう。スライダーにバランスを崩されながらも当てたのは大した物かも知れない。
 思考の最中、太ももを痛烈な感覚が襲う。
 呻きながら、蹲った。打球を見ても、その行き着く先を予想もしなかった事を後悔する。
 アホか俺は、などと自己嫌悪してみても痛みは消えしない。

「だ、だいじょうぶですかー!?」

 中性的な顔立ちをした少年――直枝理樹――が心配そうな顔をして駆け寄ってくる。
 太ももを押さえながら立ち上がり、制止するように手の平を前に出した。

「大丈夫。慣れては、いる」
「は、はぁ」

 その言葉に嘘はない。試合中、練習中、何度もこんな事はあった。
 痣が出来た事もあるし、練習を休んだ事もある。その経験から、これくらいなら今痛いだけだろうと予想もついた。
 それでも心配そうに見てくる理樹の横、男は足元に転がったボールを掴みとり、大丈夫だと半ばアピールする目的でグラウンドに向けて放り投げる。

 どこぞの筋肉が打ち返した。おい。

「…………」
「……あの、その、馬鹿がすいません」
「さっさと戻ったらどうだ。バッターがいなきゃダメなんだろう」
「は、はい……えっと、……あ」
「どうした」
「い、いえ、なんでもないです。……すいませんでした」

 ぺこっ、と軽く頭を下げて戻っていくその背中を見、溜め息。
 恐らく気付かれたのだろう。試合の時に一度会っただけでどこぞの連中と違って目立つ事もしていないのに、大した記憶力だと自身の成績を思い浮かべながら少し羨んだ。
 相変わらず気弱そうな奴だと思う。
 あんなのでよくキャプテンが務まる、とすべきかあんなのだからキャプテンが務まる、とすべきかは未だ判然としない。

「……ったく」

 練習が再開されたグラウンドに視線を戻し、あれじゃあボールの数が無駄に減るだけだとそんな事を思う。
 投げられた球を打ち返すのも楽しくはあるだろうが、練習としてもあまりいいものとは思えなかった。猫が邪魔だし。
 晴れ間はあるが雲の多い空を見上げる。もしかしたら、少し降るかもしれない。風も割かし強い。
 そんな風に感じて顔を伏せて校舎の側へ身体を向け歩き出し、

「なんなら、練習に参加してもいいんだぞ」

 聞き慣れた男の声に顔を上げた。

「……なんだ、やっぱり棗か。いないと思ったら仲間を遠くからストーカーか? あまり良い趣味じゃないな」
「なんだとはご挨拶な上に、随分な言われようだな。明日から就活で旅に出るから職員室で公欠の手続きをしてきて遅れたんだよ」
「未だに就職が決まってないのはアホやって事故に遭ったからわかるにしても、……就活するたびに旅に出てるのはどうなんだ」
「金がないからな。まぁ、こないだ粗大ごみの日になかなかしっかりしたママチャリを拾ってきたからちょっとは楽になる」

 急な坂は歩きよりきついけどな、と続けて笑った後で恭介はグラウンドに目をやり、黙り込む。
 無視したまま歩き出す事も出来たが何故か足を動かす気分にはなれなかった。
 さぁ、と少し今までより強い風が吹き抜ける。「わ、た、ひゃうあ!?」などと言う悲鳴が聞こえてきた。
 見れば星の髪飾りをつけた女の子が涙目で頭を抑えながら尻餅をついていた。目測を誤ったのか風でふらついたのか、頭に打球が当たったらしい。

「なぁ、どうだ」
「なにがだ」
「野球部主将から見て、あいつらは」
「元、だ。第一、部が活動停止状態だったから俺がやった事なんてなんもねぇよ」

 呆れを態度で示しつつ睨み付けるように、横目でその顔を見る。
 表情からはなんのつもりなのか、読めない。
 いつもの事だったが、自分に向けられるとどうにもやりにくかった。
 野球をやらせようとでもしているのか、コーチでも欲しいのか。

「まぁ」

 ちらっ、と見る。いつかに比べればマシだが、それでも草の生えたダイヤモンドを人間だけでなく犬猫が走り回り、隅の木陰には読書する少女。
 めちゃくちゃ。男女混合。はっきり言ってカオス。運動神経のない奴も居れば万能の奴もいたり、筋肉でバットを振り回すしか能のない奴も居る。
 でも、まあ。

「草野球チームとしては成り立つんじゃないか」

 実際、それ以上でもそれ以下でもない。
 あれなら、そこらの草野球チームとやっても戦績は五分五分だろうと思う。
 主将を掻き集めたチームに勝ったのだって、運動神経ばかりで野球に関しては同じような素人ばかりだっただからだ。
 剣道部の主将だけは無駄に桁違いではあったが。

「なかなか手厳しいな」
「ただの寄せ集めに対する評価としては十分だろうが。お前は何を目指してるんだよ」
「そう言われると大きな大会があるわけでもないから答えにくいが」

 飄々と返してくる。目標もなくやっていてあれだけの強さになるのなら大したものだと苦笑する。
 必死にやって必死にやって、それでも辿り着けないものは多いというのに。

「その点」
「…………」
「お前は目指してたんじゃないのか? 甲子園」
「……さぁ。どうかね」

 はぐらかす。
 進学校でありながらソフトや剣道など全国クラスの部活動もあるが、それに比べて野球部は彼が入る以前から弱小もいいところだった。
 最高で地方大会のベスト4は記録していたが、たまたま良い選手が揃ったのだろう、十数年前の1回きり。ここ数年は1回戦負けの常連だった。
 恭介の言葉に、自問する。中学時代、そこそこ活躍した。常連とまでは行かなかったが十分に狙えるだけの高校から誘いもあった。だと言うのに、こんなところにきて。
 それは果たして、本気で目指していたと言えるのだろうか、と。

「大学では続けないのか」
「続けねぇよ。もう1年もやってないし、どっかの誰かと違ってもう就職先も決まってる。それに、」

 野球なんて、ただ他のスポーツよりも出来たから、やっていただけ。
 けれどその言葉は飲み込む。ちっぽけなものだった。結局は他の奴らよりも出来るからやっていたのだ。
 誰よりも上に立てる。チームの中心になり、自分が引っ張る。きっと、そんな事に優越感を抱いていただけなのだと、そう思う。

/

 ――あんたに任せたって、間抜けなスイングで三振するだけだろうが、この下手糞が!
 言葉の応酬。
 ――そうやって、見下してんのが!
 気に入らないと。大した実力もなく、練習もいい加減なくせに、ちっぽけなプライドだけは持っている上級生。
 勝ちたがるくせに、勝つための努力はしない怠け者。
 衝撃にロッカーが軋む。ぶつけた背が痛む。
 誰も助けはしない。腐った年功序列のレギュラー争いを、実力で黙らせ、見下し罵る事で壊し叩き潰したから。
 同級生も下級生も。反発していたものも賛同してくれていたはずの人間も、誰も、何も言わず、動かなかった。

/

 ――だから、あんな事件も起こった。
 部室での騒ぎはさほど大きくもならず沈静化した。
 だが、腹いせだったのだろう、上級生が校外で他校の不良と喧嘩をした。まだ退部はしていない内に起こった暴力事件。
 しばらくして下された処分は半年間の対外試合の禁止。春の選抜に大事な秋がなくても、まだ、夏がある、そう思った矢先。面子にこだわる進学校が下した別の処分。
 無期限の……部活動禁止。

「それに……俺は嫌いなんだよ、野球は」

 吐き捨てながら、何が違ったのだろうか、と思う。
 噂で聞いただけだったけれども。結果が出ているだけで上級生が無意味に威張る事は何も変わらなかったソフト部を、根本から作り変えたらしい、下級生の少女と。自分は。
 やろうとした事も目標も、聞いたとおりなら似たようなものだろう。だが、結果はこうも違ってしまった。

「ただガキん頃からやってたから何となく続けてただけだ」
「……そうか」
「信じてない、って顔だな、そりゃ」
「そりゃまあ、信じられるはずもないさ。わざわざこんな所に野球やってる連中を見にきてる奴の、そんな言葉は」
「偶然通りかかったら見ちまうだろ、こちとら経験者なんだ」
「……今更だがな、ひとつ、気になっていた事がある。その経験者がなんで試合のとき、8番だったんだ?」

 一瞬、言葉に詰まる。
 が、すぐに言うべき言葉は見つかり、鼻で笑った。

「練習どころか碌に運動をしていなくて、他の部の奴よりも使えない野球部に上位を打たせる理由がないな」
「たまに、寮の裏でバット振ってたのに……な」

 舌打ちする。
 なんなんだこいつは、と。露骨に不快感を顔に出してみせる。
 何がしたいのかがさっぱりわからなかった。何にしたって得になる事があるわけもないのに、この、棗恭介と言う男は何を思って人の感情を逆撫でするような事を言ってくるのだろうか。
 疑問に思ったところで答えは出ないし、出るくらいなら多分……まだ、野球をやっているだろう。

「……なにがしたいんだ? 就職決まった奴への僻みか」
「んなわけあるか。だいいち、俺はお前さんの就職が決まったってのは今日初めて知ったんだ」
「じゃあ、」
「ここ最近、結構な頻度で見に来てたろ。だから、……未練でもあるんじゃないのか、と思ってな」
「っ……知ってたのかよ……」
「そりゃ、あれだけ来れば気付きもするさ。個人の問題だし、別に放っておいてもよかったんだがな。
 ただこっちは一応、野球部の部室やグラウンドを『借りている』身だ。それに関して何かあるなら、解決するのが筋ってもんだ。違うか?」
「勝手に使って勝手に恩返しなんざ、お節介もいいとこだな。ありがた迷惑だよ」
「そう思われたなら、これ以上は何も言わないさ」
「ああそうかい。助かるよ」

 言って、背を向けて今度こそ本当にここから離れるために歩き出す。
 もう二度と来るものか、そんな決意をして、校舎へ向かう。
 後ろからもアスファルトの地面を踏む音がして、制服のポケットに手を突っ込み、歩を緩めた。

「なぁ」

 一度、聞いてみたかった事があった。それを今になって思い出し彼は声をかける。
 足は止めない。恭介からの返事がなければ、歩き続けるつもりで。

「どうした?」
「棗。……お前はどうして、野球をしようなんて思った。なんで続けてる。あのメンバーで、好き嫌い以前に碌に野球を知らない奴もいる集まりで」

 立ち止まり、空を見上げる。まだ晴れ間はあったが、雲は厚くなっているようだった。
 恐らく小雨だろうが、もうじき降り出すだろう。夜には土砂降りになるかも知れない。

「周りが就職活動や受験勉強に必死になる中、流されず、俺が俺で在り続けるため……ってのもあるが」
「なんだそりゃ」

 意味が分からなかった。それなら、さっさと就職先を決めてしまってやった方がいいだろうに。
 本当におかしな奴だと思い、苦笑した。

「楽しいし、燃えるだろ。輝きはしないダイヤモンドの中で、仲間たちと何かのために一生懸命になって動くのは。
 弱くても、泥に塗れてみんなで強くなって、信頼で勝利をもぎ取る。最高の展開じゃないか。
 集まったメンバーは、俺にとって、そしてあいつらにとってもきっと最高のメンバーだ。だから続けている」

 弱いチームを強くして甲子園へ。近道は詰まらないから選んだ道。そこから、誰よりも高い場所へ。
 そうしようとした自らと。
 素人ばかりの女子も多いチームで、少なくとも運動神経においては秀でている運動部主将チームに勝とうとして、勝った。
 そうした棗恭介は似ていると、そんな事を思う。
 けれどそれは全て、すぐに気付けてしまうほど自惚れた錯覚で、実は何もかもが違う。
 ――ああ、やっぱりか。
 思い知ったのは二度目だった。
 恭介は仲間を信頼していたし、今だってそれは変わらない。自分の方が強いから上に立ちそこから引っ張り上げ、それなのに視点は同じ位置に合わせ、同じものを見ていた。そして多分今は、全員が同じ位置に立っているのだろう。
 それに比べ、彼は。上から引っ張り上げると同時に、共に強くなるべきチームメイトを見下し、実力で従わせていた。似ているようで、根本的に違っているのだ。

「……棗。その中に、」

 無意識のうちに言葉を紡いでいた。途中で我に返り、何を言おうとしていたのか惑う。わからなくなる。
 俺を? 違う、ありえない。あるはずがない。だとしたら、ひとつだけだ。その中に入れて欲しいのが、自分ではないのなら。

「……もし、野球部の二年生と何も出来ないまま引退した三年生、それと、野球部に入れなかった一年生に……野球をやりたいって奴が居たら……入れてやってくれ」

 野球部の活動停止の遠因でありながら、何よりも大きな引き金となった彼が、野球部の主将が、仲間にはなれなかった野球の好きな連中に出来るたったひとつの何か。
 ひたすら高みを目指すために、楽しさを全て奪ったから、次は、心の底から楽しめる野球を。贖罪になりはしない。する気もない。
 出来たのはただ頼むだけなのだから。頭だって下げるつもりもない。この場所で野球が出来なくなった人たちのために頭を下げてやれるほど自分は立派な人間ではないとわかっていた。

「さっきも言ったが……」

 振り向く。恭介は力強く笑っていた。

「こっちは借りている身だからな。それくらいは聞いてやらないと割に合わないさ。約束しよう、何なら声をかけて回るが」
「それはいい。……本当にやりたい奴は我慢出来なくなって、ここに来ると思う」
「お前も、そうじゃないのか?」
「違うさ、俺は。さっきも言ったろ。俺はな、野球なんて大嫌いなんだよ」

 この言葉に偽りはない。何か後ろめたい事があるとしたら、かつては『好きだった』事を隠していること。
 多分、就職が決まってからここに、グラウンドの見える場所に足を運び続けていたのは、そんな気持ちを全て、綺麗さっぱり捨ててしまうためだ。
 最初は好きだったものを、必死にやっていたものを、簡単に捨てられるのか、と。人が聞いたらそう言うかも知れない。彼自身も少しそう思うから。
 だが、そうじゃない。簡単に捨てなきゃいけないなのだ。未練タラタラに躊躇してギリギリまで持っていたって、いざ捨てるときに後ろめたさや後悔が残るだけだ。
 今なら未練はない、後悔もしない。こんなところに、下手くそな野球を見に来た意味はあったじゃないか。そう思う。

 いつかの疑問の答えだってもう出た。だから、もう、捨ててしまおう。

「風邪、引くなよ」
「は?」
「雨が降ってきたみたいだからな。商店街のおっさんたちとの試合が近いってのに、こりゃ今日の練習は中止だな」

 言われ、頬の濡れた感触に気付く。
 そこに触れ、笑った。見上げた空に晴れ間はなくなっていて、分厚い灰色が我が物顔で天を覆い尽くしていた。
 視界も僅かに霞んでいる。
 そうだ、俺は、野球なんて大嫌いなのだ。
 だからこれは恭介の言う通り雨なのだと。

「ああ……本降りになる前に帰るよ」

 ずぶ濡れになった情けないところなんて人に見せられるわけがない。
 だから早く寮の自分の部屋に帰って寝てしまおうと思う。
 棗恭介は既に背中を向けていて、静かに手を振るだけだった。


  *


−ある夏の日2−


 タッチの方が、早い。
 だが、焦ったためにしっかりと捕球出来ていなかったのか、肩口にぶつかったミットからボールは零れ舞い上がった。大して上がりはせず、すぐに頂点へ達して地面へと向かって落ちて行く。
 捕手は体勢を崩していてボールを取りに行っても間に合いはしない。

 これで、同点。

 滑り込んだままの無様な格好で首を捻りボールの行く末をイメージしながら、確信した。
 その確信を引き裂く短く大きな声が、砂を巻き上げた。
 捕手のカバーに入っていた投手が腕を目一杯伸ばして頭からボールに突っ込み食らいつく。真夏の陽光が歪める砂煙の向こうに、絶望を見た。
 その投手のグローブに白球は収まっていない。しかし、落ちてもいない。茶色いグローブの先に引っかかった白球は乾いた色をした地面に落ちる事は無く。次の瞬間に審判が宣告したアウトは、彼の耳に聞こえはしなかった。
 ただ、思った。
 ――ああ、なるほど。
 こいつらは、全員で、野球を、やっていたんだと。もし自分たちがこんな状況になっても、チームの誰一人としてここまで必死に食らいつきはしない。絶対に。


 タッチアップが分の悪い賭けである事はわかっていた。しかしそれ以上に、例え今日安打を放っていようが、次の打順を打つ三年生など信用出来なかった。
 ひとりでやってきた。見下して、引っ張って、実力で不平不満を抑えつけ消し去り、言う事を聞かせて。自分しか信用せず、そして結果を出してきた。他の奴の事なんて、人数合わせくらいにしか考えていなかった。
 だからもう、ひとりで野球をやる方法しかわからなかった。考えても浮かばなかった。
 頭抜けた実力と才能があったから、この競技が、信頼も必要なものだなんて、知らなかった。知る機会もなかった。誰よりも強かったから、誰よりも弱かった。そんな事に気付く。
 でも今更知って、何が出来る。ここまでくれば、弱い人間なんて、そう簡単に変わりはしないのだ。それこそ、別の世界でも作って、無限の時間でも得ない限りは。

 もう、何も変えられないのなら、野球なんて。

「だい……っきらいだ」

 もしかすると、さいしょから?
 呟きは空へ向かう事もなく。相手チームの歓喜の声に掻き消された。

 今になって眼前に転がる汚れた白球は決して、疑問に対する答えをくれない。

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